『回想録』 / Memoirs / Chapter 28

目次
凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

28章 強烈な気晴らしのこと(Distraction violente)、F.H*** のこと、M*** 嬢のこと

私が陥っていた熱に浮かされたような惑乱の原因は、こうした音楽上の企てだけではなかった。我が国の名演奏家のなかでも今日その才能と数々の恋愛事件( aventures )とによって最も有名なある若い女性が、ドイツのピアニスト・作曲家、H***[フェルディナント・ヒラーのこと]の心に、本物の恋愛感情を生じさせていた。H*** と私には、彼がパリに来た当初から親交があった。H*** は、私のシェークスピア的な崇高な愛( mon grand amour shakespearien )[ハリエット・スミッソンへの報われぬ愛のこと]のことを知っていて、この感情が私に堪え忍ばせていた苦悩に心を痛めていた。彼は不注意な無邪気さをもってそのことをM*** 嬢[カミーユ・モークのこと]に繰り返し語り聞かせ、あのような恋愛感情の高揚( exaltation )は見たことがないと言った。――「実際、僕があの人にやきもちを焼くようなことはないと思う。」彼はある日、付け加えた。「あの人が貴女を愛するようなことは決してないことが確かだからね!」彼女のようなパリ女性に軽々しくこのような打ち明け話をすることがどのような結果をもたらすかは、推して知るべしである。彼女はもはや、このあまりにも人を信じやすくプラトニックな自分の賛美者に、反対の証拠を示すことしか考えなくなった。

その同じ夏、私は某女子寄宿学校の校長、オブレ夫人から彼女の学校の講師の仕事のオファー(・・・ギターを教えてくれないかとの)を受け、引き受けていた。大いに傑作なことに、私はいまもオブレ寄宿学校のパンフレットの教師一覧に、この高貴な楽器の教員として名を連ねている。M*** 嬢もまた、この学校でピアノを教えていた。彼女は、私の沈んだ様子を冷やかしたり、世界のどこかに私に大いに好意を寄せている人がいると私に請け合あったり・・・、H*** のことを話したりした。曰く、自分はH*** から大層好かれているが、H*** は際限なく・・・等々と。[ Elle me plaisanta sur mon air triste, m’assura qu’il y avait par le monde quelqu’un qui s’intéressait bien vivement à moi…, me parla de H*** qui l’aimait bien, disait-elle, mais qui n’en finissait pas …  ]

ある朝、私はM*** 嬢から手紙まで貰った。彼女はその手紙で、H*** についてもっと話したいことがあるとの口実で、翌日密かに会う手筈を知らせてきた。私はその場所に行くのを忘れた。意図的にそうしたのであれば、その道の大家の名に恥じない見事な手練手管であったところだが、本当に忘れてしまい、その時刻を何時間も過ぎてからやっと思い出したのである。この見事な無関心が、すでに申し分なく順調に始まっていたものを完成させた。私は、数日間かなりつっけんどんにヨセフを演じた[「誘惑に抗った」の意。ヨセフは旧約聖書の重要な登場人物。エジプトのファラオの宮廷の役人ポティファル( Putiphar )に仕えるが、ポティファルの妻の誘惑を拒絶したために彼女の恨みを買い、彼にいたずらされそうになったとの彼女の讒言(ざんげん)を信じたポティファルに投獄されてしまう(創世記39:1-20)。出所:小学館ランダムハウス英和大辞典(Putipharの項)、新共同訳聖書等]後、仕舞(しまい)には易々(やすやす)とポティファル役に転じ( je finis par me laisser Putipharder )[「讒言を真に受け」、の意とみられる。すなわち、この言葉は、カミーユ・モークがベルリオーズに対し何らかの讒言を行い、ベルリオーズがそれを信じたことを暗示するものであろう。讒言とはおそらく、彼女がベルリオーズにハリエットにまつわる「恐ろしい真実」を告げたこと〜1830/4/16付フェラン宛、同6/5ロシェ宛の手紙参照〜を指すものであろう。ただし、以上の解釈には異説もある。脚注3参照。]、火のように激しい私の気質( mon organisation de feu )と当時の年齢、18歳だったM*** 嬢の蠱惑的な美しさに思いを致すならば大いに納得されるであろう熱情をもって、自らの内奥の悲哀[ハリエットへの愛に起因する感情のこと]を和らげる( consoler de mes chagrins intimes )仕儀となったのである。

このちょっとした波瀾万丈物語とそれを構成する諸々の性質の信じがたい場面の数々を語れば、斬新で意外性に富んだ仕方で読者を楽しませるであろうことは、ほぼ確実である。だが、既に述べたとおり、私は告白録を書いているのではない。私としては、M*** 嬢が私の身体に地獄の炎と悪魔のすべてを注(そそ)ぎ込んだということを認めれば十分である。気の毒なH*** は、(私はこの人に真実を打ち明けねばならないと信じたのであるが、)最初、非常に辛い無念の涙を流した。だが、その後、結局のところ私には彼に対する背信が一切ないことを悟ると、しかるべくきっぱりと意を決し、激情を抑えきれぬかのように私の手を強く握りしめ、楽しく過ごすよう私に願うと、フランクフルトへと去っていった。この時の彼の行動に、私は今も感嘆の気持ちを持っている。

以上が私の心を満たし、頭の中をいっぱいにしていた高貴で痛切な恋愛感情[ハリエットへの想いのこと]に、官能の疼きが束の間もたらしたこの強烈な回り道( distraction violente )について、私の語るべきことの全てである。読者はただ、このエピソードが如何に劇的な仕方で結末を迎えたか、そしてM*** 嬢が如何にしてあともう少しで「火を弄ぶことなかれ」の格言の恐るべき真実性を身をもって示すところであったかを、イタリアへの旅についての私の話34章の中に見出されるであろう。(了)

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訳注1/時系列表(橙字:この章で語られる出来事及びそれに関連する出来事)
1830年
4/16 フェランへの手紙で「恐ろしい真実」に言及
5/16 ヌヴォテ劇場で『幻想交響曲』のリハーサル(26章)
6/5 父・ベルリオーズ医師にカミーユとの結婚の承諾を求める手紙を書く
6/6 カミーユとパリ東郊ヴァンセンヌへ駆け落ち
7/17 ローマ賞課題曲作曲のため学士院の小部屋に入る
7/27 7月革命(「栄光の三日間」 )勃発(29章)
8/21 ローマ賞コンクール1等賞を得る(29章)
10/30 受賞曲『サルダナパル』を学士院で初演(30章)
11/7『あらし』に基づく劇的幻想曲をオペラ座で初演(27章)
12/5 『幻想交響曲』を音楽院で初演(30章)
12/ モーク夫人、ベルリオーズとカミーユの結婚を承諾
12/末 イタリアに向け、パリを出発(ラ・コート経由)(31章)

1831年
3/10 ローマに到着(32章)
4/1 パリを目指し、ローマを出発(34章)
4/5 カミーユ、ピアノ製造業者プレイエルと結婚
4/20 – ニース逗留(34章)
6/ ローマ帰着(35章)

(データの出所について)
時系列表のデータは、主としてブルーム編『回想録』、シトロン編『回想録』の年譜及び本文注釈、『書簡全集』の年別時系列及び書簡注釈、従として当館「参考文献」ページ所掲のその他の書籍の年譜・記事・注釈並びにベルリオーズはじめ関係者の手紙の日付等の資料に拠った。

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訳注2/この章に関係する手紙〜カミーユ・モークとの恋愛
1830年
3/3 友人フェルディナント・ヒラー宛(「・・・貴君は、僕に教えてくれることができるだろうか?僕をひどく消耗させている、この感情への能力、この苦悩する力が、いったい何なのかを。貴君の天使[当時ヒラーと交際していたピアニスト、カミーユ・モークのこと]にも、尋ねてみてくれたまえ・・・天国の扉を貴君に開いた、あのセラフィム(熾天使)に!・・・」)

4/16 友人アンベール・フェラン宛(「・・・恐ろしい真実が、疑う余地なく露わになり、僕を治癒へと向かわせた。治癒は、僕の頑固な性質が許すに従い、完全なものとなっていくだろう。僕は、自分のその決意を、ひとつの作品[『幻想交響曲』]によって確認したところだ。・・・」)

6/5 故郷の友人エドゥアール・ロシェ宛(「・・・僕は今日、父に手紙を書いた。僕の結婚に、承諾を求める手紙だ。・・・先日、君といるときに出会った、あの感じの良い、若い女性[カミーユのこと]だ。スミッソン嬢の不品行(les infamies de Mlle Smithson)のことを僕に全部教えてくれたと、あのとき僕が君に話した、あの娘だ。・・・僕は、自分の傷が癒えてからは、彼女を愛している。だが、彼女の方では、あのヒュドラ[ハリエット・スミッソンのこと]が僕の心を去るずっと前から、僕を愛していたのだ。・・・彼女の方からそれを僕に告白した。・・・」)

6/16頃 妹ナンシー宛(「・・・これほど早く両親が承諾してくれるとは予期していなかった。[承諾の返事を]受け取るや、僕は喜びに我を忘れそうになった。・・・」)

7/24 フェラン宛(「・・・最も優しく最も細やかな愛を、僕は手にしている。僕の魅惑的な空気の精、僕のエーリアル・・・は、これまで以上に僕を愛してくれているようだ。・・・僕らはもう何日も別れ別れになっている。僕が学士院に閉じ込められているからだ。だが、それも今回が最後だ。賞を取らねばならない。僕らの幸福が大いにそれにかかっている。・・・」)

8/23 母ベルリオーズ夫人宛(「有名なこの賞を獲得したことをついにお知らせできるようになり、嬉しく思います。ローマ賞は僕のものです。・・・可哀そうな僕のカミーユは、ひどく不安な一日を過ごしました。2時には結果を知らせに来られると言ってあったのですが・・・8時半になるまで自由になれなかったのです。僕が着くと、彼女は母親の大きな肘掛椅子に身を横たえ、熱に浮かされて真っ赤になっていて、僕にもほとんどものが言えない状態でした。・・・・・・ああ、気の毒な僕の天使、その翼は、ひどく萎(しお)れてしまっていたのです。・・・この栄冠が彼女を満足させるというのであれば、それは、僕の眼にもかけがえのないものに映ります。それにしても、11月の僕の演奏会で、力強く新しい何ものかを彼女に聴いてもらうこと、つまり、彼女がピアノに語らせることができるように僕もオーケストラを従えることができるところを彼女にみてもらえることは、何と魅惑に満ち、誇らしいことでしょう!ああ、僕は彼女を愛しています!・・・」)

9/3 ロシェ宛(「・・・僕のすべての心配が、彼女のことに集中している。僕の両親は、たぶん君も知っていると思うが、僕らの結婚に同意した。・・・だが、彼女の母親が、ただ暫定的にではあるけれども、僕らの結婚に反対している。僕のキャリアがもっと発展し、オペラ劇場で確固たる地位を築くことが、どうしても必要だというのだ。彼女の父親も同意見だ。とはいえ、ついに週に2、3回会えるようにはなった。彼女は僕を愛している。僕を愛しているのだ。・・・このことが納得できだろうか?誰にも愛されたことがないこの僕を。このような天使が!たぶんヨーロッパで並ぶもののない才能の持ち主が!・・・この愛がどんなふうに始まったかを、もし君が知っていたら?いや、たとえそれを語っても、君は信じないだろう。・・・気の毒なスミッソンは、まだ当地にいて、自分の値打ちをさらに下げている。ああ、僕の天使、僕のカミーユ!・・・彼女は、僕のコンクールの結果を心配してあまりに苦しんだので、まだひどく体調が悪い。彼女は学士院の公開演奏会と、その翌日のイタリア劇場での演奏会に来ることになっている。イタリア劇場では、僕がその日の演奏会のためにいま作っている新しい作品[『シェークスピアの「あらし」に基づくファンタジー』〜後に『レリオ』の終曲となる〜のこと]が演奏される。続く11月21日、僕は大がかりな演奏会を開き、『幻想交響曲』を演奏する。・・・」)

9/5 ナンシー宛(「・・・彼女の両親は、いまも同じことを考えている。つまり、学士院の賞を得たことで、確かに僕は前進した。だが、それでは足りない。鎧(あぶみ)に足をかけねばならない。オペラ劇場用の作品で。要するに、僕のお金の面での立場がもっと確実なものにならなければならないということなのだ。僕の気の毒なカミーユは、ひどく仕事に追われている。いまも家族を支える役目を負っているのだ。まだしばらくは父親を支援しなければならない。つまり、父親に取引上の負債が残っていて、それを彼女が支払っているということなのだと思う。・・・」)

10/20 ベルリオーズ夫人宛(「・・・モーク夫人はかつてないほど僕らの結婚に承諾を与えることに後ろ向きになっています。カミーユは・・・僕を励ましてくれていますが、僕は苦い悲しみが自分を待ち受けているのではないかと、不安でなりません。モーク夫人の抵抗には本人の個人的な利害が大いに絡んでいるということに、僕は気付いています。・・・」)

10/20(推定) ナンシー宛(「・・・モーク夫人が、僕に対する言葉遣いと態度を変えた。僕の頻繁な訪問を依然受け入れはするものの、それにはもはや愛情と好意が伴っていない。この人は、カミーユを僕から切り離そうと、ありとあらゆることをした。自分[モーク夫人]に安楽な生活をもたらしてくれる富裕な結婚をするのでなければ娘が結婚しない方がよいと考えている、打算的な女性なのだ。彼女は、気の毒なカミーユを意のままにできるいまの暮らしがとても気に入っている。・・・僕は、彼女[カミーユ]と2人きりでは2分と過ごせずにいる。・・・[モーク夫人は]カミーユを連れて僕の[ローマ賞の]授賞式に来ると約束したが、今はもうそうする気を失くしている。会場の人々が彼女ら2人に気付くだろう、演奏家たちが皆、彼女は僕を目当てに来たと言うだろうというのだ。こんな次第で、楽しみに待っていたこの日の記念演奏も、僕には悲しみの材料でしかなくなってしまっている。・・・」)

12/12 ナンシー宛(「・・・かけがえのない僕の音楽よ!結局、そのおかげなのだ、カミーユが得られることになったのも!・・・15か月後、イタリアから帰ったら、僕は、カミーユと結婚する。今は、かの地[イタリア]に赴かねばならない。夫人がそれを強く求めている。それに、そうしないと、給費が失われてしまうのだ。そういう訳で、僕は1月初めにパリを発ち、途中、君たちに会いに、ラ・コートに寄る。・・・さんざん頼み込んだ末、僕は、モーク夫人から、カミーユが僕の演奏会[『幻想交響曲』の初演]に来ることについて、約束を取り付けた。・・・モーク夫人が・・・娘に付き添うことになった。・・・アンコールを求める声が客席から湧き起こり、僕は・・・カミーユのボックス席のすぐ近くで、母親が手を振って僕に合図し、自分が有頂天になっていることを知らせようとしているのを見、カミーユが「素晴らしい、素晴らしい、信じられない!」と叫ぶのを聞くことになったのだ。・・・この成功があってから、すべてが変わった。僕は、カミーユと毎日会っている。母親も、もはや繰り言を言わない。つまり、彼女[モーク夫人]が僕らを悩ませることは、もう、なくなったということだ。彼女は、1832年の復活祭を、[二人の結婚の時期として]確約した。・・・」)

12/30 友人ステファン・ド・ラ・マドレーヌ宛(「・・・僕は出発する。だが、幸いなことに、不安をもたずに。僕のエーリアル、僕の天使は、もう僕から引き離されはしない。僕らは十分に固く結びついているので、僕ら自身の意思によるのでなければ、別離はあり得ない。・・・パリにて(午前2時) 追伸 6時間後、僕は発つ。1人で。・・・」)

1831年
1/10 ローマ賞同期受賞者モンフォール宛(「・・・僕の演奏会が途方もない成功を収めたおかげで、C・・を母親から得るについての障害は、もはやなくなっている。M・・夫人が承諾を与え、僕らは婚約した。・・・このことは、まだ他言しないでいてくれたまえ。・・・」)

3/25 ナンシー宛(「・・・2週間前、僕はカミーユに手紙を書き、このままずっと手紙をくれないなら、給費も音楽も全部放棄して・・・パリに向かうつもりだと告げた。だが、今は、躊躇している。いったい僕はなぜ、愛ゆえに嘆き、悲しみ、声にならない叫びを上げる状態に逆戻りし、自分の方から僕の全存在を揺さぶっておきながらいまでは無関心な態度しか示さず・・・不実な母親に愛情と敬意を抱いているかのように振る舞っている人のために、無益に自分を犠牲にしようとするのか!・・・二か月も手紙をくれないなんて!・・・」)

4/21 父ベルリオーズ医師宛(「・・・はてさて、僕が心配していたのは、間違いだったのでしょうか?カミーユが、プレイエル[富裕なピアノ製造業者]と結婚しました!母親が手紙で知らせてきました。信じられない厚かましさで、僕を娘婿に迎えることに一度も同意していなかったかのような書きぶりです。ここまで恥知らずな不実は、前代未聞です。つまりは、こういうことだったのです。モーク嬢は、僕が彼女を意識もしていなかったときに、彼女の方から僕を愛していると告白し、愛してくださいとひざまずいて懇願したいとか、僕と逃げたいとか、自分を連れ去って欲しいといったことを告白してきたのです。これらはすべて、去年の6月のことでした!・・・彼女の母親は、それを皆知りながら、彼女を他の人に与えたのです!・・・プレイエルは、とても富裕な人なので、モーク家をまるごと養子にしようとしているのです。彼女は、それで、プレイエルの2度目の求婚を受け入れたのです。・・・彼女は子供で、感情も精神もないコケット[あだっぽい娘、浮気娘]です。僕には一言も書いてよこさず、自分の行動が僕に与える打撃を、和らげようともしませんでした。彼女の母親は、5ヶ月以上も前から計略をめぐらせていたおぞましい悪党で、僕に友情の言葉をふんだんに浴びせ、その上、僕を娘婿と呼んで、僕が確実にイタリアに出発するように仕向けたのです。彼女[モーク夫人]は、プレイエルが自分の娘に夢中になっているということを終始確信していて、彼に期待を持たせ続けていたのです。そしてその期待が、現実になったということです。僕さえいなくなれば、娘の僕に対する軽い感情を消滅させることはたやすいことだと、彼女は考えていたのです。すべてが計画どおりに運びました。・・・犯罪にも等しいこんな行為が、罰されもせずにまかり通るのであれば、天にも地にも、正義はありません。お父さんたちがいるのでなかったら、処罰は、行われずにはいなかったでしょう。けれども、僕は今、こうして無事でいます。僕は、生きるつもりです。お父さんたちのすぐ近くまで来ているので、すぐに手紙を書いてください。ニースの局留めにして、1日おきに何通も。・・・」)

4/29 ベルリオーズ医師宛(「・・・この地[ニース]に僕がいる理由を、これからお話しします。僕に魔法をかけていたガラガラヘビの手紙が、一向にローマに届かないので、僕は給費を受ける権利を擲(なげう)ってパリを目指したのですが、その一方で、ヴェルネ[在ローマ・フランス・アカデミー館長]とは、イタリアを離れる際は彼に知らせること、それまでは僕はアカデミーに在籍しているものと扱われることを、取り決めてあったのです。いずれにせよ、問題の手紙がパリから届くことを期待して、僕は8日間、フィレンツェで待ちました。そしてそのとおり、その地でその手紙[モーク夫人からの手紙]を受け取ったのです。封を切った途端、僕は、自分が何をなすべきかを悟りました。計画は、即座にまとまりました。僕は、あらゆる破壊手段のうちで、最も迅速で、最も情け容赦ないものを、自由に使える状態にあったのです。悪党どもを根絶やしにすべく、僕は、郵便馬車で出発しました。この最初の時点で、お父さんたちのことに考えが及ばなかったことは、赦していただけると思います。僕は、200リュー[約800キロメートル]を、風のように駆け抜けました。死が、全速力で飛翔していました。憤激は、鎮まるどころか、増すばかりでした。けれども、3日目になると、沸騰した僕の頭に、お父さんたちがひどく絶望している姿が浮かんで来て、僕は、自分の人生を擲(なげう)つことで、お父さんたちの人生まで犠牲にしようとしているのだということを、はっきりと理解しました。そのとき、恐ろしい葛藤が起こりました。僕は、両舷砲撃をした直後の船の中甲板の乗員のように、ぐらついていました。それでも、一瞬の機会をうまく捉え、ディアーノという小さな村からヴェルネに手紙を書き、イタリアを離れないことを名誉に懸けて誓うとともに、アカデミーの籍を抹消しないでくれるよう、彼に懇請することができました。ひとたびこの誓約を書面にして投函してしまうと、そのことが、計画の実行を思いとどまる助けになってくれるようになりました。そこで僕は、来た道を引き返すことはしないで、ニースまで旅を続けることにしたのです。というのも、お父さんたちと迅速に連絡をとり合う差し迫った必要は、ここニースでなら・・・他の何処よりもよく充たされるだろうと思ったからです。イタリア域内にありながら、フランスに隣接しているので、この地にいれば、お父さんたちからの手紙も直ぐに受け取ることができるし、給費を受ける権利も失われないという訳です。・・・」)

5/6 パリの友人たち宛(「・・・僕は救われた。そして、自分がこれまでより良い状態で再生したことに気付きつつある。心中の怒りさえ、もはや、消えている。・・・ローマ滞在中は、メンデルスゾーンだけが、何とか耐えられる時間を僕に過ごさせてくれた。僕の心は、不安に苛まれていた。僕の誠実な婚約者が、まったく手紙をくれなかったからだ。オラス氏の存在がなかったら、到着の3日後には、この地を発ってしまっていただろう。ローマに来て、彼女からの連絡が一切届いていないことを知ったときの絶望は、それほど深かった。月末になっても手紙が来ないままだったので、僕は、聖金曜日、パリで何が起きているのかを知ろうと、給費を受ける権利を擲(なげう)って、帰国の途に着いた。・・・フィレンツェで、喉の痛みに襲われた。僕はそこに足留めされ、旅を続行できるようになるまで待たねばならなくなった。その地でピクシスに手紙を書き、モンマルトル街[のモーク夫人の住居]で何が起きているのか、できるだけ早く知らせてくれるよう依頼した。彼からの返事はなかったが、フィレンツェで返事を待つと彼に伝えていたことから、僕は実際、モーク夫人の見事な手紙を受け取るその日まで、同地で待っていた。・・・このような精神状態で過ごしているときのことだった、モーク夫人から、娘がプレイエルと結婚することを告げる手紙が届いたのは!・・・それはまさに、厚顔無恥の見本のような手紙だった!実際に見なければ、とても信じられないだろう。この厄介事がどのように始まったかについては、誰よりもよくヒラーが知っているし、僕がパリを出るとき、彼女と交換した婚約指輪を指に付けていたことは、僕自身が知っている。「私のお婿さん」云々と、夫人は僕を呼んでいたのだ・・・。ところが、この驚くべき手紙では、その同じ夫人が、僕が求めた彼女の娘との結婚の承諾を、自分は一切与えていないと言い、僕に自殺したりしないよう、大いに勧めることまでしている。大した食わせ者だ!・・・ああ、あと150リューばかり近くに、僕がいたのだったら!だが、ここまでにしておこう。僕がしたことや、しようとしたことは、とても手紙に託せる性質のものではない。ただ、[モーク夫人の]この忌まわしく、卑劣で、不実で、胸が悪くなるような下劣な行いがあったことの結果として、僕がいま、ここニースまで来ていることを、貴君らに告げておく。ここには11日間ほど滞在しているが、それは、この場所がフランスに近いこと、家族と迅速に連絡を取る差し迫った必要があることが理由だ。妹たちは、一日おきに手紙をくれている。彼女らと僕の両親の怒りは頂点に達しているが、彼らは僕がこんな女性に捕まらずに済んだことを喜んでもいる。僕はこのとおり回復し、普段どおり食事もしている。とても長い間、ただオレンジを貪ることしかできない状態だったのだ。結局のところ、僕は救われ、彼女ら[モーク母娘]も命拾いした。僕は、この上ない喜びをもって、生へと帰還した。僕はいま、音楽の両腕に身を委ねている。そして、かつてないほど、友に恵まれていることの幸福を感じている。貴君らにお願いする。・・・僕に手紙を書いてくれないか。僕は、伊仏国境を越えることはしない。ヴェルネからの手紙が昨日、届いた。時間はまだあり、僕の給費受給権は失われていないとのことだった。・・・」)。

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訳注3/「me (se) laisser Putipharder 」の解釈について
(1)ブルーム編『回想録』脚注の指摘等
ブルーム編『回想録』p.280, n.5は、動詞 putipharderにつき、1872年刊『パリ俗語・隠語辞典』( Étienne Lorédan Larchey, Dictionnaire de l’argot parisien〜 ガリカ[Gallica〜フランス国立図書館が運営する資料検索・閲覧等のためのウェブサイト] で閲覧することができる。)において、「violer sans plus de façons que la femme de Putiphar(ポティファルの妻ほどのためらいもなく強引にこじ開ける~暫定訳。詳細な検討は後掲別ページ参照。)」との語義説明がなされていることを指摘し、ベルリオーズの言葉「 je finis par me laisser Putipharder」は、彼がグネらパリの友人たちに書いた1831年5月6日付の手紙の行間(この手紙にある「1830年6月6日、・・・して以来、僕が守ってきた節操を、最近、気散じに解いた話をしよう。」との言葉の「・・・(伏せ字)」になっている部分)で遠回しに言及されている事実、すなわち、ベルリオーズがこの日カミーユと駆け落ちした事実を指している、との見方を示している。この解釈に立つ場合、上記のベルリオ一ズの言葉は、例えば、「仕舞には心の中に手荒に入り込まれてこれに屈し」などと訳すことになろう。
なお、このときのベルリオーズとカミーユの駆け落ち先は、パリ東郊のヴァンセンヌ(Vincennes)であるとされている(マクドナルド1章、ケアンズ1部24章等)。また、この出来事に触れているとみられるベルリオーズの手紙として、1831年1月31日付フェルディナント・ヒラー宛があり、そこには、次のように記されている。「・・・黙っているべきだったことをセゲールに色々と話してしまったのは、例のヴァンセンヌ旅行をもっと進めなかったことに、ひどく腹を立てていた時期だったからだ。僕は、せめてこれをM夫人の承諾をもぎとるために活用しようと考えていた。貴君も察してくれるだろうとおり、僕は、この方法に訴えることは早期に断念した。・・・」)

(2)当館訳について
当館では、ベルリオーズが文中でヨセフとポティファルを明瞭に対置していることを重視し、本文(及び本文中の訳注)のような解釈を採った。なお、ベルリオーズが遠回しにのみ語っている部分は、本文中では同様の婉曲表現を用いて訳出したが、その部分を敢えて言葉に表して訳出すると、「仕舞にはポティファルよろしく讒言を易々(やすやす)と信じ」などとなる。

付:「je finis par me laisser Putipharder」の訳出に関する更なる検討(詳細にわたるため、別ページとしています)

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