手紙セレクション / Selected Letters / 1830年9月5日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年9月5日
ナンシー・ベルリオーズ宛

可愛い妹よ、
君が受賞の報せを喜んでくれることを、僕は疑っていなかった。僕の大切な人たちみながこの成功に満足してくれていると思うと、とても嬉しい。僕に関しては、君は、僕がこうしたスコラ神学的な栄誉のことをどう思っているか、分かってくれていると思う!・・・だが、まあ、アカデミー会員の人たちの悪口を言うのは、やめておこう。僕にとてもよくしてくれた善良な人たちなのだから、そっとしておいてあげなければ忘恩になってしまうからね。この貴いアレオパゴス会議[古代ギリシア、アテネのアレオパゴスの丘に議場のあった長老や有力者の会議。出所:小学館ランダムハウス英和大辞典第2版等]で、僕は、尋常ならざる成功を収めたようだ。というのも、画家や建築家の先生方の耳に僕の音楽がどんな印象を残したかについての真に注目すべき種々の説明を、僕は毎日それらの人たちから聞かせてもらっているからだ。音楽家の先生方も、満足の意をじきじきに伝えてくれた。カミーユは、非常に心配して判定結果の報せを待っていたので、それを知らされたときには、本当に恐ろしくなるほどの喜びようだった。取るに足りないこの栄誉に彼女が見出していた重要性を理解して、僕は身震いした。事前にはあれほど、「コンクールのことはあまり心配しないように。貴方の意見は分かっている。結果がどうでも貴方の才能についての私の意見は変わらない」と言っていたのだ。いずれにせよ僕が木曜日(音楽部会の判定の日)の夜に訪ねていくと、彼女はひどく発熱して母親の肘掛け椅子に横たわり、心配のあまり死にそうになっていて・・・モーク夫人が、僕の成功を確かなものに感じさせる幸せな予感がすると言いつつも、気付け薬を持って来させているところだった[ et Mme Moke qui malgré ses pressentiments heureux qui la rendaient sûre, disait-elle, de ma réussite, se faisait apporter de l’éther pour se remettre …〜「éther pour se remettre」(回復のためのエーテル)に付した「気付け薬」の訳語は、étherの辞書上の語義によらず、文脈から推定したもの ]。ああ、僕がどんな気持ちだったか、君には想像もつかないだろう。
ようやくこれで、この問題はすべて片付いた。残るは、[イタリア]旅行を強いられることなく給費を受け取ることだけだ。それというのも、言うまでもなく僕は絶対にパリを離れるつもりはないからだ。どれほど高額な給費を失おうとも、だ。ああ、僕の天使!どれほど言葉に尽くしがたい愛を、僕は彼女に感じていることか。この愛は、それほど深く、それほど近く、僕の思考、感情、エンスージアズム、つまり、僕の生命のすべてに結びついている。可愛い妹よ、実を言えば、僕には見えているのだ。詩の地平が、昇る太陽の美しい光を受け、黄金色に輝いているのが。僕は、巨大な創造の力を感じている。僕は、芸術を、いわば、革命化しようとしているのだと思っている。だが、僕の音楽上の将来がどうなるにせよ、それはいずれにせよ、別の要因に左右されるだろう。幸福はそれ[音楽上の将来]を切り拓(ひら)く僕の力を倍にしてくれるだろうし、不幸はその力をすべて失わせてしまうだろうから。カミーユこそが、僕の人生のすべて、僕の音楽、僕の力、僕の誇り、僕の栄光なのだ。もし、どのようにであれ、彼女を失うようなことがあれば、僕は、それとともにすべてを失ってしまうだろう。だが、どうして自分がこんなことを君に言っているのか、僕は分からない。彼女の両親は、いまも同じことを考えている。つまり、学士院の賞を得たことで、確かに僕は前進した。だが、それでは足りない。鎧(あぶみ)に足をかけねばならない。オペラ劇場用の作品[の成功]で。要するに、僕のお金の面での立場がもっと確実なものにならなければならないということなのだ。僕の気の毒なカミーユは、ひどく仕事に追われている。いまも家族を支える役目を負っているのだ。まだしばらくは父親を支援しなければならない。つまり、父親に取引上の負債が残っていて、それを彼女が支払っているということなのだと思う。これが、彼女の母親が将来のことについてこれほどまでに用心深くなっている理由だ。「あの子が病気にでもなったら、」彼女[モーク夫人]は言う。「レッスンも演奏会も、さようなら。お金にもさようならです。それだから、そんな不幸に見舞われた場合にも、貴方が家族を支えられるようでなくてはならないのです。」
幸いなことに、僕らは、オペラ劇場の自由化の時期にさしかかっている。この革命は、明確に芸術の自由のために行われたのだ。革命がなかったとした場合に較べ10倍は早く、僕は成功を収めることができるだろう。
ああ、ナンシー、僕は今日5時に彼女に会う。母親が夕食に招いてくれたのだ。僕の素晴らしいエーリアルが、僕の周りを小鳥のように飛びまわるだろう。いまここにいても、彼女のほっそりした優美な体つき、きらきらと輝く眼、真ん中分けの清らかな長い髪が目に浮かぶ。悲しげな僕の様子をからかい、僕の目に浮かんだ涙をみて、「あらあら、何てことでしょう。子どもみたいなことは、さあ、もうおしまいです。でないと、私、怒りますよ!貴方にはそんなふうに弱くあって欲しくありません。命令です、どうか岩のように平然としていてください。」と叫ぶ、彼女の声がきこえる。——— 彼女はあるとき、僕にこう言った。「でも、それは愛ではなく、熱情(フレネジ)からでしょう。」いや、これは、たしかに愛ゆえだ。だが、それは、すべてを呑みつくす魂の、音楽で思考する頭の、そして他の多くの人たちより百倍も強く打つ心臓の、愛ゆえなのだ。彼女への僕の思いの大きさと強さとをすべて理解することは、彼女にはきっと不可能だ。彼女の母親も、最近、夫のモーク氏に、こんな愛が小説に描かれているのを読んだらきっと誇張だと思うに違いないと書いていた。
2人の女性たち[カミーユとその母]は最近、議会に向かう王家の人たちの進路に居合わせた。彼女らの姿を認めて、国王が馬上から会釈した。同時に、王妃と王家の子女たちも盛んに親愛の情を示すジェスチャーをしたので、彼女らの周りに人垣ができたほどだった。翌日、王妃から夜のひとときを過ごしに来てくれるようにとの懇(ねんご)ろな招待があった。オルレアン家の王女たちは、カミーユが到着するや彼女を抱擁し、その後も非常な好意を示し続けた。カミーユは、いつものとおりの演奏をした。つまり、あたかもベートーヴェンとウェーバーの至高の精神が彼女の指を導くかのように弾いたということだ。これらは、彼女の母親が僕に話してくれたことだ。彼女自身は決して自らの才能を語らない。だが、その才能は途方もないものだ。いかなるたとえもそれがどのようなものかを示すことはできない。彼女が戯れに楽器に触れて遊ぶと、まるでこの和声楽器の鍵盤の上で妖精の群れが舞っているような印象を受ける。それは僕の息の根をとめてしまう。ナンシー、僕はそれで死ぬだろう。このことを君に話しているうちにも、僕は息が詰まりそうになってきた。さようなら。(了)[書簡全集176 ]

訳注/カミーユ・モークの肖像
ベルリオーズがシェークピアの戯曲『あらし』に登場する空気(大気)の精、エーリアルに喩(たと)えた、カミーユ・モークの印象は、この年11月、パリ・オペラ座で初演された彼の作品、『シェークスピアノの『あらし』に基づくファンタジー』 に、その姿を留めている。この作品は、後に、『幻想交響曲』の続編、『レリオ、又は生への帰還』(1832年12月、パリ音楽院で初演)に終曲として収められ[全集CD3(6)、YouTube:tempest berlioz]、今日に至っている。

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