手紙セレクション / Selected Letters / 1830年10月20日(推)(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年10月20日(推定)
ナンシー・ベルリオーズ宛

愛しいナンシー、
君がついに気骨のあるところを示し、これほど似つかわしくない結婚を断ったのは、とても見事な行動だった。ああ、最初から断っていれば、どれほどよかっただろう。こういう場合は、意志堅固であることが、ぜひとも必要だ。
いつでもお金のことばかりで、もっと貴いもののことは少しも考えない。すべてが胃袋のためで、心のことは一顧だにしない[、そんな人たちばかりなのだから]
せめて君には幸せであって欲しい。僕はどれほどそう願っていることか。僕については、どうやら、幸せになるようには運命付けられていないようだ。
モーク夫人が、僕に対する言葉遣いと態度を変えた。僕の頻繁な訪問を依然受け入れはするものの、それにはもはや愛情と好意が伴っていない。この人は、カミーユを僕から切り離そうと、ありとあらゆることをした。自分[モーク夫人]に安楽な生活をもたらしてくれる富裕な結婚をするのでなければ娘が結婚しない方がよいと考えている、打算的な女性なのだ。彼女は、気の毒なカミーユを意のままにできるいまの暮らしがとても気に入っている。娘が稼ぎ出すお金を好きに使ったり、娘を手掛かりに最上層の人たちと交際したりすることができるからだ。娘を自分の人生の無上の愉しみにしているのだ。僕がどれほど苦しんでいるか、ナンシー、分かって欲しい。僕らは、彼女が母親に「従順の表明」をなし得るよう、カミーユが成年に達するのを待つところにまで、追い詰められている[:nous en sommes réduits à attendre que Camille ait atteint sa majorité pour qu’elle puisse faire des soumissions à sa mère ; 「 faire des soumissions 」の意味が不詳のため、カギ括弧内の訳語は暫定。文脈から推測するに、あるいは、親の承諾が得られないまま結婚を可能にする法的手続( l’acte respectueux )のことであろうか?][夫の]モーク氏は、夫人のような考え方はしていない。少なくとも、僕が目にした僕について書いた彼の手紙[複数]には、僕をがっかりさせるような内容は何も含まれていなかった。君は僕がとても幸せにしていると思い込んでいるが、僕は、彼女と2人きりでは2分と過ごせずにいる。僕が居る間は、母親が少しも客間を離れないので、僕らはどうでもよいことを話しているほかない。この制約が、僕の心を打ち砕いている。カミーユの一言や秘密の合図が僕を安心させてくれることは確かだが、話したいことがとてもたくさんあるときにこのような状態に置かれることは、恐ろしい責め苦だ。母親は数週間前、僕らにこう言った。「私は、積極的な約束は、何ひとつしていませんから。」この言葉に、カミーユはこう応えていた。「そうですか。分かりました。でも、私は約束しているし、それを守ります。」
彼女[カミーユ]は、何も心配していない。僕の心が決して変わらないこと、僕の命が彼女の命と固く結び付いていること、何ものも僕に彼女を放棄させることはできないことが、よく分かっているからだ。それに、彼女が母親に依存している以上に、母親の方が彼女に依存しているということや、彼女の財産は彼女の才能にあるということもよく知っている。ところが、僕はといえば、悪魔のような自分のイマジネーションのせいで、1日中、自分の心を苛(さいな)んでいる。未来が僕を不安にさせる。2年も待つだなんて!・・・カミーユは、先月、19歳になった。僕らがどれほど追い詰められているか、分かってほしい。彼女は最近、こんなことを僕に言った。「パリで給費を受けることが認められず、貴方がイタリアに1年滞在しなければならないことになったら、私は貴方に会えなくなってしまう。でも、それはまだましな1年なのかもしれない。なぜといって、貴方が来る日に決まって母と口論し、こんな悲しい晩を過ごすことになってしまうことが、あまりにも辛いから。」
僕らは僕がオペラ座の監督から『あらし』序曲を演奏する約束を取り付けていることを母親に内緒にしておくことにした。知らせるのは最後にしようと思っている。何かの事情で演奏できなくなりでもすれば、この人はこう言うに決まっているから。「ご覧なさい、貴方はいつだって幻影に惑わされているのです。何にもなりはしないのに。」
彼女はカミーユを連れて僕の授賞式に来ると約束したが、今はもうそうする気を失くしている。会場の人々が彼女ら2人に気付くだろう、演奏家たちが皆、彼女は僕を目当てに来たと言うだろうというのだ。こんな次第で、楽しみに待っていたこの日の記念演奏も[ベルリオーズは、この日のために、受賞作品『サルダナパルの死』に自らの創意を十二分に注ぎ込んだ(提出作品に含まれていなかった)新たなフィナーレ、『大火事の場』を加えた版を用意し、それを演奏することを計画していた]、僕には悲しみの材料でしかなくなってしまっている。この手紙に書いたことの詳細は、お父さんとお母さんには知らせないで欲しい。カミーユはといえば、彼女はある日、僕にこんなことを言った。「私は、このことが皆に知られてしまえばよいと思っている。私たちがこれ以上求婚や縁談に悩まされずに済むように。」彼女はその時、2つの求婚を断ったばかりだった。
昨夜、母親が見ていない間に彼女が僕にしてくれた別れの挨拶のことを、僕は思う。僕の手中にあった彼女の手を今も感じている。僕の苦痛は和らぐ。
お父さんとお母さんは、ロシェさんにカミーユとその家族の情報を集めることを依頼していたようだ。彼はひと月前、「なに、恥ずかしがることはない、君の秘密はみな知っているのだから」と言って、そのことを僕に明かした。こんなことを漏らしてしまうとは、彼はそれほど口の軽い人だったのか?
キンシューのむだ話には大いに苛立っている。カミーユのことで騒ぎ立てるようなことは何もないし、僕の状況のことなど彼は何も知らないと思っていた。僕はカミーユとの愛のことをアルフォンスには打ち明けていたから、彼[アルフォンス]の無思慮[なおしゃべり]がすべての原因だと考えて間違いないと思っている。しようもないことだ。さようなら。僕は幸せには程遠い状態だ。(了)[書簡全集183]

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