手紙セレクション / Selected Letters / 1830年4月16日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年4月16日
アンベール・フェラン宛

親愛な友よ、
たいそう長く、貴君に手紙を書かずにいた。だが、僕も、オーギュストがパリに立ち寄る際、彼に託されるはずだった貴君の手紙を、空しく待っていたのだ。前回の手紙の後、恐ろしい[感情の]嵐に遭遇し、僕の船は、ひどくきしんだ。だが、最後には立ち直り、いまはまずまず無事に航行している。恐ろしい真実が、疑う余地なく露わになり、僕を治癒へと向かわせた。治癒は、僕の頑固な性質が許すに従い、完全なものとなっていくだろう[ D’affreuses vérités, découvertes à n’en pouvoir douter, m’ont mis en train de guérison ;je crois qu’elle sera aussi complète que ma nature tenace peut le comporter.]。僕は、自分のその決意[ハリエット・スミッソンへの思いを断ち切ること、と考えられる]を、ひとつの作品によって確認したところだ。その作品は、僕にとって完全に満足のゆくもので、そのテーマは、次のようなものだ。これらのことは、ひとつのプログラムに語られ、演奏会の当日、会場で配布されることになるだろう。

『ある芸術家の生涯の挿話』(5楽章より成る幻想的な大規模交響曲)( Episode de la vie d’un artiste ( grande symphonie fantastique en cinq paries ) )
第1楽章:2部構成。短いアダージョと、それに直ちに続き、展開される、アレグロから成る。(漠然とした情熱(vague des passions)。行き場のない夢想(rêveries sans but)。多感な愛(tendresse)、嫉妬、怒り、不安など、あらゆる感情の激発を伴う、惑乱した情熱。)
第2楽章:『野の情景』(アダージョ、愛についての思索と、不吉な予感により、不安を投げかけられた希望)。
第3楽章:『舞踏会』(まばゆく、心を沸き立たせる音楽)
第4楽章:『刑場への行進』(残忍、壮麗な音楽)
第5楽章:『サバトの夜の夢』

友よ、これが今、僕が考えている、物語の構成だ。物語というよりは、むしろ、伝記というべきなのかもしれない。主人公を特定することは、貴君には難しくないだろう。
シャトーブリアンが、『ルネ』で、実に見事に描いた、あの心の状態に陥っている、活発なイマジネーションを授かったある一人の芸術家を、僕は想定した。彼は、自分がとても長い間心から望んでいた、理想の美しさと魅力とを体現する一人の女性を、初めて見出し、狂おしく心を奪われる。たいへん奇妙なことに、彼の愛する女性の姿(イマージュ)は、彼が自分の愛する人のものだと思っている性格に似通った、優美で高貴な性格を彼が感じ取る、ある一つの楽想に伴われることなくしては、決して彼の思惟に登場することがない。この2重の固定観念( idée fixe 。イデ・フィクス。)は、彼に絶えずつきまとう。交響曲のすべての楽章に最初の楽章のアレグロの主旋律が絶え間なく登場することの、これが、理由だ。(第1)
数知れぬ惑乱を経て、彼は、ある希望を抱く。自分が愛されていると思うようになるのだ。ある日、彼はたまたま田舎に居て、遠くで牛追い歌で対話する2人の牧童の声を聴く。牧歌的な2重唱が、魅惑的な夢想の世界へと彼を誘(いざな)う[「誘う」と訳した動詞 plongerには、「突き落とす」、「投げ込む」の意味がある。「イマジネーションの世界にジャンプさせる」、の意であろう。](第2)。アダージョのモチーフ[複数]を横切り、件(くだん)の旋律が、少しの間、再び姿を現わす。
彼は、ある舞踏会に赴く。祝宴のざわめきも、彼を楽しませることはできない。あの固定観念が、彼を再び悩ませるようになっている。輝かしいワルツのなか、大切な人の旋律が、彼の胸を高鳴らせる(第3)。
絶望にとらわれ、彼は阿片で服毒自殺する。ところが、その麻薬は、彼を死に至らしめはせず、かえって、恐ろしい幻影を彼に見せる。その幻影の中で、彼は、自分が愛する人を殺(あや)め、有罪を宣告され、自らの処刑に立ち会おうとしていると信じる。刑場への行進。刑の執行人たち、兵士たち、そして群衆の、果てしない行列。最後に、あの旋律がまた現われる。死に至る一撃で断ち切られる、愛する人への最後の想いのように(第4)。
それから彼は、サバトの夜の祝宴を催すために集まったおぞましい魔法使いや悪魔の群れに囲まれた、自らの姿を見る。彼らは、遠方に呼びかけている。あの旋律が、ついに来る。それまではただひたすら優美だったその旋律は、いまは、田舎の森の酒場で歌われる、ありきたりで品のない歌(エール)に姿を変えている。それは、彼女の犠牲者[ sa victime。「いけにえ」とも訳せる。主人公のこと。]の葬列に加わろうとサバトにやってきた、愛する人だ。彼女はもはや、そのような乱痴気騒ぎに姿をみせるのに似つかわしい、ひとりの高級娼婦にすぎない。葬儀が始まる。鐘が鳴り、魔物たちは、平伏(ひれふ)す。一つの聖歌隊が、単旋律聖歌、死者のセクエンツィア[ la prose des morts ](『怒りの日』)を歌う。他の二つの聖歌隊が、それをビュルレスク(滑稽物)風に繰り返す。最後に、サバトの輪舞(ロンド)が渦を巻き、次いでそれが猛烈な大音響のなかで『怒りの日』と重なり合い、幻影は終わる(第5)。
親愛な友よ、これが、この途方もない交響曲の構想の出来上りの姿だ。僕はいま、その最後の音符を書いたところだ。5月30日、聖霊降臨の主日(ペンテコステ)までに準備が整えば、ヌヴォテ劇場で、奏者220人のオーケストラで、演奏会を開くつもりだ。パート譜の写譜が間に合わないことが心配だ。いまは放心状態だ。作品を作るために思考力を酷使したので、僕のイマジネーションは消耗してしまった。ぐっすり眠って休養したいと思う。だが、頭脳が眠っても、心は起きたままだ。そして、ひどく切実に僕は感じるのだ、貴君が、僕には欠けていると。ああ、友よ、僕はもう貴君に会えないのだろうか?(了)[書簡全集158]

訳注/この手紙及び『幻想交響曲』について

1 有名な『幻想交響曲』の、初稿完成を告げる手紙であり、この作品の意図や構成、内容が詳しく説明されていることから、作品研究上も、重要な資料とされている。

2 この手紙は、第2楽章を『野の情景』、第3楽章を『舞踏会』としており、今日演奏される版(1845年に出版された総譜をベースに校訂を行ったもの)とは、順序が逆になっている。この点については、この手紙が書かれて間もなく、最初のリハーサルが行われるまでに、現在の順序、すなわち、第2楽章が『舞踏会』、第3楽章が『野の情景』の順に、改められたと考えられている。また、第5楽章の説明に用いられている、「高級娼婦(une courtisane)」との語は、この手紙の後に作成、公表された「プログラム」では(いくつかの版があるが、そのいずれにおいても)使われていない。この手紙が、ハリエット・スミッソンに関するゴシップ(「恐ろしい真実」)を真に受け、衝撃を受けてから日も浅い時期に書かれたものであること、また、親しい友への私信であったことから、このような表現になったものであろう。

3 「恐ろしい真実」は、カミーユ・モーク(3月3日付けのフェルディナント・ヒラー宛の手紙でベルリオーズが「貴君の天使」と呼んでいる、ヒラーの当時の交際相手)によって、ベルリオーズに告げられたものであろうと推測されている(シトロン編書簡全集1巻p.318, n.2、マクドナルド1章p.18、ブルームp.39、)。ケアンズによれば、その内容は、ハリエットを彼女のマネージャーであるターナーに結びつけるものだったという(1部24章。同旨を述べる文献としてバーザン1部p.122、Edward T.Cone, Norton Critical Scores Berlioz Fantastic Symphony, W.W. Norton & Company, New York, London, 1971, p.7がある。)。ターナーといえば、前年、ハリエットがベルリオーズに密かに好意をもっているとの(偽りの)情報を、ベルリオーズに与えた人物である(29年2月2日付けフェラン宛の手紙等参照)。なお、カミーユのこの行動について、ケアンズは、「自己の大義の増進を求める恋する人の功知をもって、しかし善意で、ハリエットについて出回っていた劇場では事欠かないような種類のゴシップを彼に伝えたものに違いない」との考えを示している(1部24章)。

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