手紙セレクション / Selected Letters / 1830年7月24日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年7月24日
アンベール・フェラン宛

貴君の説明に、ともかくも、安心した。・・・考えてもみてくれたまえ、3通もの手紙に返事が来ないのだから。・・・貴君は数行の手紙を僕にくれ、もっと長い手紙を明日には書くつもりだと告げた。僕がその手紙を心待ちにし、もう着く頃だと思ってひどく離れたところから何度自分の家に戻ったかを知れば、貴君も約束を守らなかったことを遺憾に思うだろう。何と貴君は怠け者なのだ!こんなことを言うのも貴君が病気などしていないことを願っているからなのだが、僕は貴君の手紙をいまも待っている。親愛な友よ、幸いにもすべては順調だ。・・・
最も優しく最も細やかな愛を、僕は手にしている。僕の魅惑的な空気の精、僕のエーリアル[シェークスピアの戯曲『あらし(Tempest)』に登場する空気の精の名]、僕の命は、これまで以上に僕を愛してくれているようだ。僕はと言えば、彼女の母親が、僕の愛のような愛が小説に書かれていたとしても本当にあるとは思わないだろうといつも言っている。僕らはもう何日も別れ別れになっている。僕が学士院に閉じ込められているからだ。だが、それも今回が最後だ。賞を取らねばならない。僕らの幸福が大いにそれにかかっている。『エルナニ[この年2月に初演され、翌月出版されたヴィクトル・ユゴーの戯曲]』のドン・カルロス[『エルナニ』に登場するスペイン国王。劇中で神聖ローマ帝国皇帝に選ばれ、カール5世となる。]よろしく僕は言う、「僕はそれを手に入れる」[『エルナニ』4幕2場、選帝侯会議の開催結果の報せを待つドン・カルロスの科白。]と。彼女もこのことを考えて苦しんでいる。牢に繋がれている僕を元気づけるため、モーク夫人が一日おきに彼女の小間使いを送ってきて、彼女らの消息を伝え、僕の様子を訊いていく。ああ、あと十日かもう少し経って再会したら、どれほど眩暈(めまい)がすることだろうか!克服すべき障害はなお多いかもしれない。だが、僕らはそれを克服する。これらすべてのことを、貴君はどう思うか?・・・こんなことがありうるのだろうか?これほどの天使、ヨーロッパ最高の才能が!最近、彼女の母親が絶大な信を置くド・ノアイユ氏が僕の大義を大いに擁護してくれたことが分かった。娘が僕を愛しているのだからお金のことはあまり考えず彼女を僕に与えればよいではないかというのが、彼の強い意見だったという。ああ、友よ、彼女がベートーヴェン、ウェーバーの驚嘆すべき楽想を音に出して考える( penser tout haut[演奏する、の意])のを聴けば、貴君も度を失うだろう。アダージョは弾かないようにと、僕は彼女に大いに釘を刺した。それらの曲はめったに弾かないでいてくれることを、僕は願っている。奏者を呑み尽くすようなこれらの音楽は、彼女を殺してしまうだろうから。つい先日、彼女は死ぬかと思うほどの体調不良に陥り、ぜひとも僕に使いを出して欲しいと望んだが、母親がそれをきき入れなかった。翌日僕が会いに行くと、彼女は蒼白になってソファに横たわっていた。僕らがどれほど涙を流したことか!・・・彼女は自分が胸を冒されていると考えていた。僕は彼女と一緒に死のうと思い、そう告げた。彼女は返事をしなかった。この考えは僕を魅了した。彼女は治ってからこのことで僕を大いに叱った。「貴方は神様が計画もなしにそれほどの音楽性を貴方に授けたと思っているのですか?貴方に託された使命を放棄してはいけません。私が死んでも、後を追うことは禁止です。」
だが、彼女は死にはしない。それどころか、快活で魅力的なこの女(ひと)は、才気に輝くその瞳も、ほっそりとしたその姿も、悲嘆に暮れてじめじめした地下世界に降りていくよりは、むしろ今にも天空に飛び立とうとしているようにみえる。
さようなら、仕事にかからねばならない。課題曲の最後の歌曲(エール)をオーケストレーションするところだ。『サルダナパル』だ。
もう一度、さようなら。これにも返事をくれないでいると、貴君は僕の5本目の手紙を受け取る破目に陥るだろう。
貴君の忠義なアカーテスより[トロイア再興の使命を帯びてイタリアの地を目指す英雄エネアスに従う戦士。ウェルギリウス『アエネーイス』にたびたび登場し、エネアスの親友とされる。]
スポンティーニが当地に来ている。学士院を出たら、彼に会いに行く。(了)[書簡全集169]

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