手紙セレクション / Selected Letters / 1830年8月2日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年8月2日
ベルリオーズ医師宛

大切なお父さん、

先の木曜日の5時、僕は真っ先に学士院を出ました。ルーブル宮奪取が、まさに成ったところでした。人々が眼下で血みどろの戦いをしている中、固く閉ざされ、壁で護られたこの城塞[学士院のこと]の中に、2日間も僕を留め置き得たのは、このコンクールのどうしようもない重要性だけでした。ルーブル宮の砲台から散弾や砲弾が一直線に飛んできて、ポンデザール[セーヌ川に架かる橋]を掃くようにして学士院のドアに当たり、ドアを穴だらけにしました。提出作品の最後の音符を書き終えた後、僕が最初にしたことは、お分かりだと思いますが、最後の銃声や叫び声が飛び交う中、死者や傷者の姿を横目に、死ぬほど気がかりな女(ひと)のいる場所に駆けつけることでした。幸い、彼女は無事でした。モーク夫人の家を出た後、まずすべきことは、武器を手に入れ、使えるようにすることでしたが、これが容易ではありませんでした。なにしろ、3時間も奔走してようやく手に入ったのは、長い鞍(くら)ピストル1丁( une paire de longs pistolets d’arçon [「一対」とは2重銃身の意と解した])だけで、それも、弾のないものだったのです。
市庁舎へ行けと国民衛兵の人たちが言うので、そこへ走りましたが、弾は一発もありませんでした。最後に、道ゆく人に頼み込んで、ある人から弾を、別の人から火薬を、また別の人から鉛を切る小刀をもらい、ようやく装備一式を揃えることができました。が、そこまででした。一発も撃ちはしなかったのです。金曜の夕方、サン=クルーで戦いが起きそうだとの発表がありました。僕らは大挙してエトワールの柵のところまで進みました。個人がめいめい取った行動でしたが、結局、何もありませんでした。ブローニュの森で野営していた護衛部隊も撤収していて、人々はみな、パリに戻りました。
大勢の善良な人々が、血をもって我々の自由という獲得物を贖(あがな)ったというのに、自分は何の役目も果たさなかった人間のひとりだとの思いが、僕に片時の安らぎも与えてくれません。これは、多くの他の人々にも科された、新たな罰です・・・
お父さんからの報せを心待ちにしています。グルノーブルではどんなことが起きていますか?こちらでは、すべてが平穏です。この3日間の魔法のような革命に見事に行き渡っていた秩序が、いまも維持され、確固としたものになっています。盗みも、いかなる暴力沙汰も、何ひとつありません。素晴らしい人たちです!
さようなら、大切なお父さん。愛する息子より。
H・ベルリオーズ(了)[書簡全集170]

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