手紙セレクション / Selected Letters / 1830年12月12日(27歳)

凡例:緑字は訳注

1830年12月12日
ナンシー・ベルリオーズ宛

愛しいナンシー、
今週、僕は、少しも落ち着かないまま過ごした。喜び、陶酔、幸福に、すっかり度を失ってしまい、最近この身に起きた色々なことを、君に詳しく知らせる時間が、まあ、少しも見付けられなかったのだ。ああ、かけがえのない僕の音楽よ!結局、そのおかげなのだ、カミーユが得られることになったのも!きいてくれたまえ、ナンシー、モーク夫人が、承諾してくれた。15か月後、イタリアから帰ったら、僕は、カミーユと結婚する。今は、かの地[イタリア]に赴かねばならない。夫人がそれを強く求めている。それに、そうしないと、給費が失われてしまうのだ。そういう訳で、僕は1月初めにパリを発ち、途中、君たちに会いに、ラ・コートに寄る。20日間ばかり、そちらに滞在できるだろう。
さんざん頼み込んだ末、僕は、モーク夫人から、カミーユが僕の演奏会に来ることについて、約束を取り付けた。カミーユの付き添いは、[モーク夫人でなく、]プレイエル夫人がすることになったが、それというのも、モーク夫人が自分は行きたくないと言い張ったからだ。彼女[モーク夫人]は、ド・ノアイユ氏から僕への偏見を吹き込まれていたのだ。氏は耳に優しい音楽が好みのご老人で、ウェーバーやスポンティーニが大嫌いだったから、当然、僕の音楽を言葉に表せないほど忌み嫌っている。彼女はこう言っていた。「いいえ、私にはそんな勇気はありません。貴方の交響曲はブーイングを浴びるでしょう。きっとただ奇妙な楽想を繋げただけのものなのでしょうから。」等々。
ところが、プレイエル夫人が、体調不良のため、カミーユに付き添えなくなってしまった。それで結局、モーク夫人が不安を克服して娘に付き添うことになった。想像して欲しい。『刑場への行進』[『幻想交響曲』第4楽章]の演奏が終わった直後のことだ。アンコールを求める声が客席から湧き起こり、僕は、聴衆に挨拶するため、前桟敷( avant-scène [舞台の両側2階,3階などにつけた貴賓席〜小学館ロベール仏和大辞典])の方に進み出なければならなくなった。それで、カミーユのボックス席のすぐ近くで、母親が手を振って僕に合図し、自分が有頂天になっていることを知らせようとしているのを見、カミーユが「素晴らしい、素晴らしい、信じられない!」と叫ぶのを聞くことになったのだ。
それから、ああ、その晩、僕が[母娘の]家に入ったときのことだ・・・。モーク夫人が、すっかり興奮した様子で、僕にこう言った。「心から謝ります。貴方の音楽を聴く前に私が色々と口にした貴方への不愉快な言葉のことを。あれほどのスケールの才能を貴方がお持ちとは、思いも寄りませんでした。貴方の才能は、真に有無を言わせぬものです。生涯で、音楽にこれほど感動したことはありません。」そして、ああ、そしてカミーユ!彼女が僕に言ったことといったら!いまも夢を見ているのではないかと思うくらいだ。この成功があってから、すべてが変わった。僕は、カミーユと毎日会っている。母親も、もはや繰り言を言わない。つまり、彼女[モーク夫人]が僕らを悩ませることは、もう、なくなったということだ。彼女は、1832年の復活祭を、[二人の結婚の時期として]確約した。夫のモーク氏も、カミーユに宛てた最近の手紙で、まだ暫く自由の身でいることを勧める一方、将来僕らが結婚することには反対しないと明言した。彼がこの件について夫人に全権を委任するつもりでいることを、僕らはよく分かっているから、その「将来」は、必ず来る。それにしても、この別離、この出立には、ああ、ナンシー、何と胸が張り裂けることか!・・・
ありがたいことに、僕には、君たちに再会することで少しばかり自分に力を取り戻させる幸せを手にする展望がある。
二度目の演奏会は、開かないことにした。[ポリニャックら、前政権の]閣僚たちの裁判があること、元日に当たってしまうこと、マリブラン夫人に出て貰えないことから、[客の入りが振るわず]出費を賄えない懸念があったからだ。初回と違い多くの出演者に演奏料を払わなければならなかっただろうから、出費も相当の額になったに違いない。
昨日、スポンティーニから、素晴らしい贈り物を貰った。120フランもする『オリンピア』の立派な総譜を届けてくれたのだ。彼はタイトルのところに、手書きで「親愛なベルリオーズ君。これに目を通すとき、貴兄を敬愛するスポンティーニのことを、ときには思い起こしてくれたまえ。」と書き入れてくれていた。お礼を言いに駆けつけたところ、彼は、僕の頭が混乱してしまうほど、素晴らしい賛辞を述べてくれた。
記者連中は、政治[主としてポリニャックらの裁判のことであろう]のことばかり書いている。僕について小さな記事を載せてくれたのは『ナシオナル』、『フィガロ』、『ルヴュ・ミュジカル』だけだった。今年僕の記事を載せてくれた雑誌は、全部そちらへもっていく。
さようなら、ナンシー、さようなら。ラ・コートからの一通の手紙を、僕は、依然待っている。君が約束してくれた長い手紙が、まだ届いていないのだ。(了)[書簡全集194]

次の手紙 年別目次 リスト2 リスト1