『回想録』 / Memoirs / Chapter 26

目次
凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

26章 ゲーテの『ファウスト』を初めて読んだこと、『幻想交響曲』を書いたこと、無駄に終わった演奏の企てのこと

私の生涯における重要な出来事として、もう一つ、ゲーテの『ファウスト』のジェラール・ド・ネルヴァルによるフランス語訳を読んで、尋常ならざる、根源的な影響を受けたことを挙げておかなければならない。読み出すや否や、私はこの驚くべき書物にすっかり魅了されてしまい、片時も手放せなくなった。食卓でも、劇場でも、街中でも、どこでも、とにかく読み続けたのである。

この散文訳には、韻文の断章、歌、讃歌等が、随所に挿入されていた。私は、それらに音楽を付したい気持ちに抗うことができなかった。そして、大いに手間をかけてその仕事を終えるや、愚かにも自分が書いた総譜を一音も聴かぬまま製版させてしまった。・・・自費で。『ファウストの8つの情景』[全集CD7(10-17)。YouTube: huit scenes de faust 。脚注3資料に対訳へのリンクあり]の題名でパリで出版されたこの作品(ouvrage)の何冊かが、こうして市中に出た。そのうちの1冊が、ベルリンの有名な批評家・理論家、マルクス(Marx[, Adolf Bernhard ])氏の手に渡り、氏は、親切にも、この作品に好意的な手紙を私に書いてくれた。ドイツから寄せられたこの思いがけない励ましの言葉は、言うまでもなく、私にはたいへん嬉しかった。だが、この出来事も、この作品(œuvre)の持つ幾つもの重大な欠陥に長く私を気づかぬままにしておくことはなかった。この作品(同)は、その楽想(les idées)には値打ちがあると今も私には思われるけれども、(というのも、私はそれらをまったく別な風に展開して私の伝説曲(légende)、『ファウストの劫罰』[全集CD10-11。YouTube: damnation de faust]に保存しているからであるが、)要するに、不完全で、書き方がひどく拙かった(fort mal écrite)のである。この点についての自らの判断が固まるや、私は、見付けられる限りの『ファウストの8つの情景』のコピーを急ぎ回収し、廃棄した。

さて、私は今、私の最初の演奏会で[以下に語られる演奏会は、ベルリオーズの2度目の演奏会である。彼がここで「最初の演奏会」と言っているのは、「総譜を出版した後、最初に開いた演奏会」との意であろう。]、この作品中の1曲、『空気の精のコンサート』と題する6声の曲[第3曲]を演奏したときのことを思い出している。歌ったのは、音楽院の学生6名である。この曲は、何ら効果を生まなかった。人(on)はそれ(cela)を全く意味をなさぬ作品と評した。曰く、全体として曖昧で生彩に乏しく、絶対的に「歌に欠ける(dépourvu de chant)」ように感じられると。[ブルーム編『回想録』 p.273, n.6は、ルヴュ・ミュジカル誌1829年11月号にフェティスによる同趣旨の演奏評が掲載されている旨を指摘する。]18年後、オーケストレーションと転調を少し変えた同じその曲[『ファウストの劫罰』2部7場『地の精、空気の精のコーラス』のこと。全集CD10(14)。]が、ヨーロッパの様々な聴衆のお気に入りとなった。サンクト・ペテルブルクでも、モスクワでも、ベルリンでも、ロンドンでも、パリでも、この曲を演奏してアンコールを求める声が上がらなかったことはない。いまや聴衆は、この曲(en)の輪郭(dessin)を申し分なく分かりやすい(parfaitement clair)と感じ、旋律(la melodie)にも魅力を見出しているのである。確かに私は、この曲では旋律をコーラスに託している(je l’ai confié [à un chœur])。6人の優れた独唱歌手が見つからなかったので、80人の合唱団を用いたところ、楽想(l’idée)が際立ったからだ。楽想の形と色合いが感じ取れるようになり、効果が3倍になったということである(on en voit la forme, la couleur, et l’effet en est triplé.[en= l’idée])。一般に、歌手陣が脆弱であるせいで本来の力を発揮できずにいたこの種の声楽作品が、訓練され十分な人数で構成された合唱団に委ねるだけで輝きを取り戻し、魅力と力を再び発揮するようになることは多い。凡庸な歌手1人での演奏が聴くに耐えない場合でも、15人の平均的な歌手たちならば、聴き手の心を奪うことができる。情感を欠く歌手は、作曲家の最も熱烈な感情のほとばしりをすら素っ気なく、さらには、ばかげてさえ感じさせてしまうものであるが、真に音楽的な集団に常在する通常の熱意は、往々にして作品の内なる炎を輝かせ、冷淡な名人歌手であれば作品から命を奪ってしまうであろうような場合でも、作品に生命を与えるのである。

『ファウスト』に依拠したこの作品を作曲した直後、私は、依然ゲーテの詩作の影響を受けたまま、『幻想交響曲』[全集CD2(1-5)。YouTube : symphonie fantastique]を、ある楽章[複数]は苦心惨憺して、他の楽章[同]は信じがたいほど淀みなく書き上げた。たとえば、『アダージョ』(『野の情景』)[全集CD2(3)]は、聴衆にも私自身にも常に鮮烈な印象を与える楽章であるが、3週間以上も骨を折って作曲したものである。作曲を中断してはまた取り上げるということを、2、3回も繰り返したのである。反対に、『刑場への行進』[全集CD2(4)]は、一晩で書き上げた。しかし、この二つの楽章も、この作品の他のどの楽章も、その後何年もかけて加筆修正している。

しばらく前からヌヴォテ劇場がオペラ・コミックを上演するようになっていて、ブロック(Bloc)が、かなり良いオーケストラをそこで指揮していた。この人が、私の新作[『幻想交響曲』のこと]を劇場の経営陣に提案し、それを取り上げた演奏会の開催を彼らと企画しようと持ちかけてきた。経営陣は、この作品のプログラムの珍しさだけに魅かれて、この提案を受け入れた。プラグラムが大衆の好奇心をそそるに違いないと考えたのである。他方、大編成オーケストラによる演奏を望んだ私は、80人以上の奏者を追加で招請し、ブロックのオーケストラと合わせて130人になるようにした。だが、これほど大きな楽器奏者の集まりを適切に配置する準備は全く整っていなかった。しかるべき舞台装置や雛(ひな)壇はもとより、譜面台すら用意がなかった。経営陣は、この点に関し私が種々要求することのすべてに、どこに困難があるのかを知らない者の落ち着きをもって、こう応えた。「ご安心ください、準備しますよ。うちの道具方は優秀ですから。」だが、リハーサルの日が来て、130人の奏者が舞台上で位置に着こうとする段になると、彼らを配置すべき場所が見付からないのだった。私は舞台下の小オーケストラ用のスペースを使うことにした。だが、そこにはヴァイオリンが辛うじて収まるだけだった。私より余程落ち着きのある作曲家をも動転させずにおかぬほどの騒ぎが、劇場内で俄(にわか)に持ち上がった。譜面台を要求する者があり、大工たちが大急ぎでその代わりになるものを作ろうとしている、道具方が悪態を突きながら迫上(せりあげ)(ferme)や支持枠(portant)を探している、こちらでは椅子を、あちらでは楽器を、また別の場所ではろうそくを求める声が上がっている、コントラバスの弦がないと言う者があれば、ティンパニを置く場所がどこにもないと言う者もある等々といった具合である。舞台助手(garçon d’orchestre)も誰の手助けをすべきか判断がつかなくなっている。ブロックと私は大いに粉骨砕身したけれども、それも空しかった!混乱は収まらず、音楽家のベレジナ渡河[1812年、ロシア遠征の帰路、ナポレオンの軍隊がベレジナ川で敢行した渡河作戦。多くの犠牲者を出した。]とでも言うべき、正真正銘の壊走となった。

それでも、ブロックは、この混乱の最中(さなか)、本人の言葉によれば「この交響曲がどのようなものか、経営陣にも見当を付けてもらうため」、2つの楽章を試奏することを望んだ。我々は、この混乱に陥ったオーケストラで、『舞踏会』[全集CD2(2)]と『刑場への行進』を、どうにか稽古した。後者は、奏者たちの間に猛烈な叫びと拍手喝采を引き起こした。それでもやはり、演奏会は、実現しなかった。この騒動に恐れをなした経営陣が、企画から手を引いてしまったのである。曰く、準備が大変すぎ、時間もかかりすぎる。交響曲一つにこれほどのことをしなければならないとは思わなかった、と。

こうして私の計画は、譜面台と何枚かの板が足りないせいで、台無しになった。・・・このとき以来、私は演奏会に用いる用具や資材に細心の注意を払うようにしている。この点についてのわずかな不注意がどれほどの惨事をもたらすかを、知っているからである。(了)

訳注1/時系列表(橙字:この章で語られる出来事及びそれに関連する出来事
1827/9   英国劇団の『ハムレット』、『ロミオとジュリエット』を観る(18章)
       /11   ネルヴァル訳『ファウスト(第1部)』、パリで出版
1828/春  ベートーヴェンの交響曲(3、5番等)を聴く(20章)
        /5   パリ音楽院ホールで最初の自作演奏会を開く(18、19章)
       /8   ローマ賞コンクールで2等賞を得る(22、23章)
       /9   帰省中、『ファウスト』の挿入歌『トゥーレの王』に旋律を付ける
              アンベール・フェランに再会、ハリエットへの思いを明かす
1829/2  オペラ・コミック座で序曲『ウェイヴァリー』を演奏(24章)
         /3   ハリエット、アムステルダムに向け、パリを発つ(24章)
        /4   ゲーテに手紙を書き、『ファウストの8つの情景』の総譜を送る
        /8   ローマ賞コンクール提出作品『クレオパトラ』、選外となる(25章)
        /11  2度目の自作演奏会で『空気の精のコンサート』を演奏(本章)
1830/5  ヌヴォテ劇場で『幻想交響曲』のリハーサルを行う(本章)

(データの出所について)
時系列表のデータは、主としてブルーム編『回想録』、シトロン編『回想録』の年譜及び本文注釈、『書簡全集』の年別時系列及び書簡注釈、従として当館「参考文献」ページ所掲のその他の書籍の年譜・記事・注釈並びにベルリオーズはじめ関係者の手紙の日付等の資料に拠っている。

訳注2/この章に関係する手紙
(『ファウストの8つの情景』関係)
1828年
9/16 友人フェラン宛(「馬車の中で『トゥーレの王』のバラードを書いた」)
1829年
4/9 フェラン宛(「『ファウスト[の8つの情景]』の総譜を貴君に送る」)
4/10 ゲーテ宛
6/3 フェラン宛(『8つの情景』出版の反響等)
6/15 フェラン宛(ゲーテから返事が来ない[訳注:ツェルターの酷評])
10/30 フェラン宛(『空気の精のコンサート』のリハーサル)
11/3 父ベルリオーズ医師宛(『空気の精のコンサート』の演奏)

(『幻想交響曲』関係)
1829年
6/3(既出)フェラン宛(「僕がいま考えを練っている、途方もない器楽作品」に言及)
1830年
1/30 妹ナンシー宛(「新しいジャンルの大規模な器楽曲」に言及)
2/6 フェラン宛(「僕は・・・大規模な交響曲(ある芸術家の生涯の挿話)を、まさに書き始めようとしていた・・・。それは全部、僕の頭の中にある。だが、何も書けない。・・・待たなければ。」)
3/3 友人ヒラー宛(着手直前に書かれたとみられる手紙)
3/17 妹アデール宛(作曲中に書かれたとみられる手紙)
4/16 フェラン宛(作品の内容を詳細に説明。「親愛な友よ、これが、この途方もない交響曲の構想の出来上りの姿だ。僕はいま、その最後の音符を書いたところだ。」)

(「無駄に終わった演奏の企て」関係)
1930年
4/16 フェラン宛(前出。「5月30日、聖霊降臨の主日(ペンテコステ)までに準備が整えば、ヌヴォテ劇場で、奏者220人のオーケストラで、演奏会を開くつもりだ。」)
5/10 ベルリオーズ医師宛(リハーサルの直前に書かれた手紙)
5/13 フェラン宛(同。訳注「5月の演奏会の計画の顛末」も併せ参照されたい。)

訳注3/『ファウストの8つの情景』(1829年)、『ファウストの劫罰』(1846年初演)及びゲーテの原典の相互関係(資料)
説明:以下の資料では、『8つの情景』各曲の『劫罰』への組み込み先に付したリンクにより、『劫罰』対訳の該当箇所に移動できるようしてあります(移動先からこのページに戻る場合はブラウザの機能を利用してください。)
2つの作品の対応する楽曲の歌詞と旋律は一部の例外を除き同一なので、『8つの情景』各曲の歌詞は『劫罰』の対訳で知ることができます。
ただし、『8つの情景』第1曲、第2曲、第3曲に関しては、『劫罰』への組み込みに際し、ファウスト、メフィストフェレスといった『劫罰』の登場人物たちが語る言葉(又は歌う旋律)と組み合わせるなどの加工が施されています。加工の概要は、各曲「コメント」欄に記してあります。
また、各曲「原典」欄には、ゲーテ『ファウスト(第1部)』(1808年)の行番号を示してあります。これにより、ベルリオーズの作品の元となったゲーテの詩を、岩波文庫、新潮文庫、その他各種の版の『ファウスト(第1部)』で参照することができます。

第1曲 『復活祭の歌』[全集CD7(10)、YouTube : chant de la fete de paques]
→『劫罰』2部4場に『復活祭の歌』[全集CD10(7)]として編入
コメント:『劫罰』では、復活祭のコーラスにファウストの独白が組み合わされている。すなわち、はじめは、復活祭のコーラスの合間にファウストのレシタティフ(歌われる台詞)が挿入される形で両者が交互進行する(部屋の外から聞こえてくる聖歌の歌声に気付いたファウストは、それに反応して短い言葉[「何の声だ?」]を発した後、沈黙し、コーラスに耳を傾ける)が、やがてコーラスが繰り返しに入ると、両者は重なり合い、同時進行する(ファウストは今や我を忘れ、湧き上がる想いを語る)。
原典:ゲーテ『ファウスト』第1部737行(キリストは甦られた)[以下「○○行(内容)」と略記]。

第2曲 『菩提樹の下の農民たち』[全集CD7(11)、YouTube : paysans sous les tilleuls]
→ 『劫罰』1部2場に『農民たちの輪舞( Ronde de paysans )』[全集CD10(3)]として編入。
コメント:『劫罰』では、農民たちのコーラスの合間にファウストの独白が挿入される。
原典:949行(農民たちの踊りと歌)

第3曲 『空気の精のコンサート』[全集CD7(12)、YouTube : concert de sylphes]
→ 『劫罰』2部7場に『地の精、空気の精のコーラス( Chœur de gnomes et de sylphes)』[全集CD10(14)]として編入
コメント:『劫罰』では、『8つの情景』冒頭の精霊たちの言葉「Disparaissez, arceaux noirs et poudreux ! … (暗く埃だらけの天の丸天井よ、去れ!・・・)」が、ファウストへの呼びかけ(「眠れ、眠れ、幸せなファウスト・・・」)に差し替えられている。また、続く精霊たちのコーラスに、メフィストフェレス、ファウストの言葉が挿入されている。
原典:1447行(霊たちのコーラス)

第4曲 『陽気な仲間の持ち歌披露(ある鼠の物語)』[全集CD7(13)、 YouTube : ecot de joyeux compagnons]
→ 『劫罰』2部6場に『ブランダーの歌( Chanson de Brander )』[全集CD10(10)]として編入
原典:2126行(ブランダーの歌)

第5曲、『メフィストフェレスの歌(ある蚤の物語)』[全集CD7(14)、YouTube : chanson de mephistopheles huite scenes]
→ 『劫罰』2部6場に『メフィストフェレスの歌』[全集CD10(12)]として編入
原典:2207行(蚤の歌)

第6曲 『トゥーレの王(中世の歌)』[全集CD7(15)、YouTube : le roi de thule huite scenes]
→ 『劫罰』3部11場に『トゥーレの王 中世の歌』[全集CD11(5)]として編入
原典:2760行(トゥーレの王)

第7曲 『マルガリータのロマンス/兵士たちのコーラス』[全集CD7(16)、YouTube : romance de marguerite huite scenes]
→ 『劫罰』4部15場、2部8場(フィナーレ)に、それぞれ、『ロマンス』[全集CD11(12)]『兵士たちのコーラス〜学生たちの歌〜兵士たちのコーラスと学生たちの歌の重ね合わせ』[全集CD10(16)]として編入
原典:3374行(心の安らぎは去り)、885行(兵士たちの歌)

第8曲 『メフィストフェレスのセレナード』[全集CD7(17)、YouTube : serenade de mephistopheles berlioz ]
→ 『劫罰』3部12場に『メフィストフェレスのセレナード』[全集CD11(9)]として編入
原典:3682行(メフィストフェレスの教訓的な歌)

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