手紙セレクション / Selected Letters / 1829年6月3日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年6月3日
アンベール・フェラン宛

もう三ヶ月も、貴君から連絡がない。たぶん旅行に出ているのだろうと思い、いつまでも待っているつもりでいた。ところが、どうも貴君は、ベレーを出ていないらしい。というのも、数日前、妹から手紙が来て、貴君がスイスの歌集を送ってくれたので、お礼を伝えて欲しいと言ってきたからだ。だとすると、何か尋常でない事情があるに相違ない。
僕は、例の『スターバト[・マーテル]』の楽譜の表紙のないもの何部か[フェランに依頼されてパリの業者に印刷させた楽譜。べルリオーズの作品のものではない。]と一緒に、『ファウスト[の8つの情景]』を、貴君に送った。だが、貴君から受領の連絡はなく、僕は、まったく訳が分からないでいる。もしかすると、また匿名の手紙が届いたのだろうか。それとも、貴君のお父さんが、僕らの文通を遮っているのだろうか[フェランの父は、ベルリオーズに賭博癖があると誤解し、息子がベルリオーズと交際することに反対していた〜ケアンズ1部21章参照。]。あるいは、ご家族の周辺にまき散らされた、僕へのばかげた中傷を、貴君自身が信じてしまったのだろうか。・・・
『スターバト』の表紙を、僕はまだ貴君に送っていない。マレスコ[出版業者]が地方に出ていて、連絡が取れないのだ。『ファウスト[の8つの情景]』は、音楽家たちの間で、大成功を収めた。オンスロウ[富裕な著名作曲家]は、ある朝、僕の家を訪ねて来て、こちらが狼狽するほど、熱烈な賛辞を述べてくれた。マイヤベーアは、つい先ごろ、バーデンからシュレザンジェ[『8つの情景』出版元]に手紙を書き、1部欲しいと言ってきた。ユラン[ヴァイオリン、ヴィオラ奏者]、シェラール[ヴァイオリン奏者]等、オペラ座の大勢の有名な演奏家たちが楽譜を求めてくれたし、毎晩、誰かが賛意や祝意を僕に伝えてくれている。だが、これらのなかでも、一番驚かされたのが、オンスロウ氏からの激賞だった。貴君も知るとおり、ベートーヴェンが亡くなってから、器楽の王杖(おうじょう)は、彼の手中にある。彼のオペラ、『 Colporteur[直訳すれば「行商人」、「吹聴者」等]』は、つい最近、スポンティーニがベルリンで上演し、大成功を収めた。独創性(オリジナリテ)ということに関しては一家言ある人なのだが、その人物が、僕に、『ファウスト』ほど独創的な作品を知らない、と請け合ってくれたのだ。
「私は、自分の作品を大いに気に入っていますが」と、彼は付け加えた。「率直に言って、自分にはここまでのものは作れないと思います。」
こうした言葉に、僕は、ごくつまらぬ受け答えしかできなかった。思いがけない訪問に、それほど動転してしまっていたのだ。
オンスロウは、翌々日、彼の本格的な5重奏曲の楽譜を2つ、僕に届けてくれた。
これまでのところ、これが、僕を一番感激させてくれた賛成票だ。
思いがけず、生徒が一人みつかり、僕は、印刷業者のつけを支払うことができた。
僕はいつもどおりとても幸運で、僕の人生は相変わらずとても愉しい。悩みは何もなく、絶望も知らず、夢いっぱいだ。僕をうっとりさせてくれる色々な出来事の仕上げに、オペラ座の審査委員会が、『秘密裁判官』に、断りの返事をしてきた。アレクサンドル・デュバル氏が僕に語ったところでは、この人は審査委員会で僕らの台本を読んだ人物なのだが、審査委員会は、この作品を長くて分かりにくいと判断したのだそうだ。ただ、ボヘミア人の場面だけは、誰もが気に入ったという。また、彼自身は、この作品のスタイルは大いに注目に値するし、その点にオペラ台本としての将来性があると感じたそうだ。
僕は、この台本を、ドイツ語に翻訳させようと考えている。音楽も、完成させる。半ば地の科白で語られ、半ばメロドラマ( mélodrame )[18世紀以降フランスやドイツで行われた、語られるせりふや仕草をオーケストラが註釈しつつ伴奏する劇作品 ~『小学館ロベール仏和大辞典』]になっていて、あとは音楽で構成されている、『魔弾の射手』のようなオペラにするつもりだ。第1幕のフィナーレ、5重唱、ルノールのアリアといった音楽を、4つか5つ、付け加える。シュポーア[ドイツの作曲家、指揮者]は、人を妬むような人物ではなく、むしろ、若手に力を貸そうとする人だと聞いた。それなら、僕は、学士院の賞を手にしたら、日をおかず、カッセルに行こうと思う。シュポーアが、そこで劇場監督をしている。だから、僕は、カッセルでなら『秘密裁判官』を上演できるのではないかと考えているのだ。だが、これらすべての結果が最終的にどうなろうと、この作品のために貴君がしてくれた骨折りについての僕の気持ちが、少しでも減じることはない。僕は、このことについて、貴君に、心からお礼を言う。それに、僕は、この作品が、とても気に入っているのだ。僕はいま、12月の初めに大がかりな演奏会を開こうとして、その準備をしている。演奏会では、『ファウスト[の8つの情景]』を、二つの序曲[『秘密裁判官』と『ウェイヴァリー』]、出版予定のアイルランド歌曲集のうちのいくつかと合わせ、演奏する計画だ。アイルランド歌曲は、まだ一つしか出来上がっていない。残りはグネが翻訳しているところで、その仕上がりを、僕は大いに待たされている。
『ルヴュ・ミュジカル』誌が、『ファウスト』について、たいそう良い記事を載せてくれた。他の新聞・雑誌には、刊行を知らせていない。
僕は、最小規模の本格作品にすら、集中して取り組むことができない。作業する余力があるときは、来るべき演奏会用のパート譜を作っているのだが、それに充てられる時間も限られている。雑誌の記事の執筆を、ひどく催促されているのだ。僕は、ベルリンの『ガゼット・ミュジカル』誌のために通信記事を書く仕事も、ほとんどただ同然で、引き受けている。書いた記事は、ドイツ語に翻訳される。この雑誌の社主が、いまパリにいて、僕を悩ませている。『コレスポンダン』誌の方は、まだ1本しか記事が出ていない。僕は、もう1本の記事で、イタリア楽派をやっつけていたのだが、一昨日、ド・カルネ氏から手紙が来て、もう1本は別のテーマで書いて欲しいと懇願されてしまった。彼らは、僕がイタリア楽派に対して「些か手厳しい」と判断したのだ。つまり、あの娼婦( La Prostituée )[単数であることから、イタリア楽派の筆頭、ロッシーニを指していると考えられる。]は、信仰の篤い人々の間にさえ、愛好者[複数]( des amants [愛人、恋人の意もある])を獲得しているということだ。
僕は、ベートーヴェンの生涯についての記事を準備している。
僕は、ドイツ劇場の入場パスを持っているのだが、[そこで上演された][ウェーバーの]『魔弾の射手』と[ベートーヴェンの]『フィデリオ』が、イタリア劇場のオーケストラのお粗末な演奏にかかわらず、新たな刺激を僕に与えてくれた。オーケストラの演奏に関しては、聴衆の声、特に今日の新聞が、とうとう罰を与えてくれた。
ある人がロッシーニに紹介すると僕に申し出た。貴君も察してくれるだろうとおり、僕はそれを望まなかった。僕は、このフィガロのような人物( ce Figaro [「辛辣な機知の持ち主」との含意と思われる])が好きでない。というより、日々、ますます嫌いになっている。ドイツ劇場のロビーで彼が言い放った、ウェーバーへのからかいの言葉に、激怒してしまったのだ。彼に会い、[辛辣な言葉の]一斉射撃をお見舞いしてやらなかったことを、僕は、大いに後悔した[原文:je regrettais bien de ne pas être de la conversation pour lui lâcher ma bordée.]
気の毒なフェラン君、僕は貴君に、もうあまり貴君には関心のない、たいそう長い、無駄話をしている。僕の手紙は、もはや以前のようには、貴君に興味を起こさせないのではないかという考えに、僕は傾いている。何か不可解な変化が貴君に起きたのでなければ、総譜の入った小包と一緒に送った僕の手紙に、これほど長く貴君が返事をしないでいるものだろうか?貴君は、聖週間[復活祭前の1週間]には、それを受け取っているに違いないのだ。僕が胸に抱(いだ)くよう仕向けられた希望が、すべて失われてしまったことを貴君に告げたことに対しても、貴君からは、友情の言葉のひとつすらないままだ。僕は、あの最初の日より進んだ状態ではない[文意不詳。原文:Je ne suis pas plus avancé que le premier jour ; 苦悩が癒えぬままだ、の意か。]。苦痛で死にそうだ[原文:cette passion me tuera ;]。人はよく僕に言う。希望のみが、愛の持続を可能ならしめると!だが、僕はその逆のケースの証拠だ。通常の火は、空気を必要とする。だが、電気の火は、真空の中でも燃焼するのだ。英国のあらゆる新聞・雑誌が、彼女の天賦の才に、ブラボーの声を響き渡らせている。僕は、無名のままだ。だが、僕がいま考えを練っている、途方もない器楽作品[『幻想交響曲』となるべき作品のことだと考えられる]を書き上げたら、それを演奏するため、ロンドンに渡りたいと思う。彼女の目の前で、輝かしい成功を勝ち取れるように!
ああ、親愛な友よ、僕はもう、これ以上書くことができない。虚脱が、僕の指からペンを奪い去ろうとしている。
さようなら。(了)[書簡全集126]

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