1832年のパンフレット『生への帰還(メロローグ)』(資料2)
出所:フランス国立図書館(Gallica)(蔵書番号 Yth22123)
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(目次)
1 資料について
2 題辞に掲げられているユゴーの詩について
3 関係する手紙
4 献呈
1 資料について
この資料は、1832年12月のパリでの演奏会の開催に向け、ベルリオーズが出版業者シュレザンジェに作らせたパンフレットであり、新ベルリオーズ全集第7巻『レリオ』(ピーター・ブルーム編)(以下NBE7と略記)で「PL1 」、ホロマンらの「作品カタログ 2.1」で「印刷リブレット」(PRINTED LIBRETTO)と呼ばれているものである。
英国の蒐集家リチャード・マクナット(注1)からブルームが得た情報によれば、このパンフレットは、1832年11月28日に100部印刷されたとのことである(NBE7 p.XV 本文及びn.63)。マクナットがどのようにしてこの情報を得たのかは明らかにされていないが、情報のとおりであるとすれば、それより3週間余り前の1832年11月3日に友人フェランに宛てた手紙で、ベルリオーズが「印刷が出来上がり次第、『メロローグ』を貴君に送る」と語っているのは、このパンフレットに言及したものではないかとの推測が成り立ち、また、これに続く「味方につけておくべき新聞・雑誌で、編集者を知っているところがあると貴君は話していたが、それらについてできるだけ早く[略]知らせて欲しい」とのベルオーズの言葉から、このパンフレットの作成の主目的が、プレスへの事前説明を行うことによる演奏会のプロモーションにあったことが推知される。また、同年12月14日付けのベルリオーズ医師宛の手紙で、ベルリオーズが(ラ・コートの生家に)10部送ると告げている『メロローグ』も、この冊子のことではないかと推測される(12月9日の演奏会での配布用に新たに刷られた冊子の残りであった可能性もあるが)。
注1/リチャード・マクナット(Richard Macnutt 1935 – 2024 )
世界最大のベルリオーズ関係文書・物件の個人コレクションを築いた英国の蒐集家、古書籍商で、新ベルリオーズ全集の刊行事業の創始、運営にも大きな役割を果たした。氏のコレクションは、2002−3年にフランス国立図書館によって買い取られ、以来、同館のベルリオーズ・コレクションの重要部分となっているという。
(参照文献)
ベルリオーズ辞典「Macnutt 」の項(執筆者ピーター・ブルーム)
The Berlioz Society Bulletin, No.222 ( August 2024 )に掲載されたマクナットの追悼記事(執筆者ヒュー・マクドナルド)
フランス国立図書館歴史委員会によるマクナット・コレクションに関する記事(2025/1/5閲覧)
https://comitehistoire.bnf.fr/dictionnaire-fonds/richard-macnutt
2 題辞に掲げられているユゴーの詩について
1831年に刊行されたユゴーの詩集『秋の木の葉( Les feuilles d’automne )』巻頭に収められた自伝的な詩〜表題がなく、通常、冒頭の詩行、「今世紀は2歳だった!」(作者ユゴーの生まれた1802年のこと)で呼称される〜の一節で、詩の中盤、不幸なことの多かった青少年時代を回顧する部分である。続く詩行では、そのような逆境の中、語り手(「僕」)が詩作、小説・戯曲の執筆、劇の上演を成し遂げたことが、輝かしい詩句で語られる。なお、この詩には、7月革命直前の1830年6月の日付が付されている。
『ヴィクトル・ユゴー文学館 第一巻 詩集』、辻昶・稲垣直樹・小潟昭夫訳、潮出版、2000年に、全文の邦訳がある。
3 関係する手紙
(1)『幻想交響曲』の続編として作られた作品、『生への帰還(メロローグ)』(後に『レリオ、又は生への帰還』と改題)の構想、概要については、創作中、及び創作直後に書かれた、次の2通のベルリオーズの手紙を参照されたい。
ローマ発1831年6月14日、トマ・グネ宛
同7月3日、アンベール・フェラン宛
(2)1831年中に書かれたベルリオーズの手紙には、『生への帰還(メロローグ)』の「芸術家」の独白と共通する表現が数多くみられる。その主なものは、次のとおり。
1月6日、アンベール・フェラン宛(ラ・コート・サンタンドレ発)
「ああ、僕はなぜ、ヒースの茂るどこかの荒れ地で、彼女と2人で北風にあやされ、彼女の腕の中、ついに最後の眠りに就くことができないのか!」
3月25日、ナンシー宛(ローマ発)
「カラブリアのポジリッポ山か、カプリ島に行って、かの地の無法者の親分に・・・」
4月12日、フェラン宛(フィレンツェ発)
(上記ナンシーへの手紙とほぼ同じフレーズに加え)「死が、僕を怖がらせようと、薄笑いを浮かベながら進み出てきた。その顔に唾を吐きかけてやろうと待ち構えているうちに、船は立ち直り、彼女[=死]は、姿を消した。」
4月19日、在ローマ・フランス・アカデミー館長オラス・ヴェルネ宛(ディアーノ発)
「・・・二人の妹たちのためにも、芸術のためにも、生きねばならないと思います。」
4月21日、ベルリオーズ医師[家族全員]宛(ニース発)
「・・・音楽の新世界がある。その地では、かつてベートーヴェンがコロンブスだった。これからは、僕がコルテスか、ピサロになるだろう。」
4 献呈
『生への帰還(メロローグ)』中の6つの音楽作品のうち、第1曲「釣り人」、第3曲「山賊の情景」、第4曲「幸福の歌」は、ハリエット・スミッソンへの求婚期間中(1833年)に、それぞれ独立のピアノ・ヴォーカル譜としてシュレザンジェから出版され、それらには、表紙に「スミッソン嬢へ」との献辞が付されている[出所:NBE7 p.XV、「作品カタログ2.1」p.135-6 ]。(了)
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