手紙セレクション / Selected Letters / 1831年4月12日(27歳)

凡例:緑字は訳注

フィレンツェ発、1831年4月12日
アンベール・フェラン宛

ああ、素晴らしい僕の友よ!貴君は、僕がこの豊穣な猿の生息地(その地を人は「美しきイタリア」と呼ぶ)に滞在するようになってから、そちらの様子を知らせてくれた、最初のフランス人だ!貴君の手紙を、僕は今しがた受け取ったところだ。ここフィレンツェまで、ローマから回送されて来たのだが、通常2日で届くところ、1週間もかけてやってきた。ええい、まったく!万事かくのごとく、至って順調だ!・・・然り、万事順調、何となれば、万事不調なればなり、だ!さて、何を貴君に語ろうか?・・・僕は、フランスに帰るため、給費を受ける権利を投げうって、ローマを後にした。カミーユからの手紙が、少しも来ないからだ。ところが、当地でひどい喉の痛みが再発し、足止めされてしまった。僕は、ローマに手紙を書き、手紙の回送を依頼した。そうしていなければ、貴君の手紙は失われ、ひどく残念な事態になってしまったところだ。他の人たちからの手紙が届くかどうかだって、分かったものではない。
もう手紙は書かずにいてくれたまえ。どこに宛てて送ってもらえばよいか、分からないからだ。僕はいま、迷子になった気球のように、空中で破裂するか、海中に沈むか、ノアの方舟に乗った被造物のように動かずにいるか、いずれかをしなければならない状態にある。無事にアララト山[トルコ東部にある火山。旧約聖書によってノアの箱舟が漂着した地点とされている。〜小学館ロベール仏和大辞典]に着くことが出来たら、すぐに手紙を書く。
信じてくれたまえ、僕も、少なくとも貴君と同じくらいには、貴君との再会を望んでいたのだ。その気持ちを振り切るまでに、相反する気持ちのせめぎ合いや、ためらいを、丸1日、味わわなければならなかった。
ヨーロッパ大陸での出来事を見て貴君が感じている憤りは、よく分かる。そうしたことに些(いささ)かも関心を持たない僕でさえ、ときに、呪詛の言葉を吐いている自分に気づくことがある。・・・ああ!実際、そうなのだ、自由の問題なのだ!・・・それ[自由]は、何処に存在するのか?・・・何処に存在したのか?・・・何処に存在し得るのか?・・・この虫けらどもの世界の[ Dans ce monde de vers. ]。否、友よ、人間は、あの美しい女神[自由のこと]から、その両眼の神聖な光を投げかけられる栄誉に浴するには、卑小すぎ、愚かすぎるのだ。貴君は僕に、愛について語っている!・・・音楽についても!・・・何を貴君は言いたいのか?・・・僕には分からない。この地上に音楽なるもの、愛なるものは存在するのか?凶兆を示す、このふたつのものの名を、僕もかつて夢の中で聞いたことがあるように思う。だが、そのようなものを信じていては、貴君も不幸になるだけだ。僕はもはや、何ものも信じていない。
カラブリアのポジリッポ山か、シチリア島に行って、かの地の無法者の親分に、たとえ一介の山賊に身をやつさなければならないにしても、雇われたいと思うのだ。そうすれば、少なくとも同じ悪事でも、こんな胸の悪くなる、吝(けち)で卑劣な小罪、見下げ果てた不実、優柔不断な裏切りではなく、盗み、暴行、人さらい、反乱といった、見事な大罪に出会えることだろう。そう、それこそが、僕に相応しい世界だ。火山に岩場。洞窟内に積み上げられた豪奢な略奪品。恐怖の叫び声の重唱。伴奏は、ピストルと騎兵銃、血と「ラクリマ・クリスティ」、地震に揺らされ、あやされながら流れる熔岩のオーケストラだ。さあ行こう、これが人生だ!だが、今はもう、山賊すら存在しない。ああ、ナポレオンよ、ナポレオンよ!天才、力、活力、意志よ!・・・汝のその鉄の手で、人の姿をしたあの害虫どもを、もう一握りばかり、捻り潰してはくれまいか!・・・青銅の脚の上に立つ巨像よ、あたかも汝がその身の最小の動きをもって、あらゆる愛国主義、博愛主義、哲学の大伽藍を、ことごとく覆し去るであろうように!ごろつきどもめ!
それでいて、彼らは、芸術を、思想を、イマジネーションを、公正無私を語り、さらには、あろうことか、詩を語るのだ!あたかも、それらの観念が、彼らのためのものであるかのように!
こんな取るに足りぬ連中が、シェークスピア、ベートーヴェン、ウェーバーを語っている!だが、愚かな動物である自分が、なぜそんなことに構う必要があるのか?3、4人の個別の例外を除いて、僕にとって世間が何だというのか?もちろん、彼らは、彼らの好きなようにしていればよい。彼らを汚濁から引き上げてやることは、僕の仕事ではない。そもそも、もしかしたら、これらすべてのことも、幻影の連続に過ぎないのかもしれない。実在するのは、生と死のみだ。僕は洋上で、それに遭遇した。あの年取った魔女[「死」]に。僕らが乗った船は、二日間にわたる猛烈なしけの後、ジェノバ湾で沈没しそうなった。突風が船を横倒しにしたのだ。僕は、その時すでに、自分が泳げないように、マントの下で四肢を縛り付けていた。船の内外の積荷がことごとく倒壊し、そこらじゅうが軋(きし)んでいた。白く美しい波の谷間が、最後の眠り[=死]に誘うべく、僕を優しく揺らしに来たのを見て、僕は笑った。「死」が、僕を怖がらせようと、薄笑いを浮かベながら、進み出てきた。その顔に唾を吐きかけてやろうと、待ち構えているうちに、船は立ち直り、彼女[「死」]は、姿を消した。
さて、次は何の話が聞きたいだろうか?・・・ローマの話だろうか?・・・よし分かった。さてと。死者は出ていない。ただ、トラステーヴェレ[「テヴェレ川の向こう側」の意]地区の勇ましい住人たちが、僕ら全員の喉を掻き切り、在ローマ・フランス・アカデミーに火を放つことを望んでいる。彼らの大義名分は、僕らが革命派と気脈を通じ、ローマ教皇の放逐を画策しているということなのだが、もとよりそんなことを考えている者は、ここには一人もいない。僕らは、教皇を大いに支持してきているのだ!教皇は、たいそう品格のある人で、彼を脅かすことを企む者があろうとは思えない。とはいえ、オラス・ヴェルネ[アカデミー館長]は、僕ら全員を武装させた。したがって、もしトラステーヴェレ地区の住民たちが来襲すれば、彼らは、手痛い反撃に遭うことになるだろう。ところが、彼らは、当アカデミーの古い兵舎に火を放とうと試みることすらしなかった!愚か者どもたちよ!気付かないのか?僕が加勢してやらないでもないことに!・・・
さて、あとは何かな?・・・
そう、ここ、フィレンツェのことだったね。この街に最初に来た時、僕は、ベリーニなる悪童が書いた、『ロメオとジュリエッタ』なるオペラを観た。そう、僕はそれを見た。つまり、見る、といわれる行為をしたのだが・・・シェークスピアの亡霊は、この取るに足らぬ人物を滅ぼしに現れはしなかった!・・・ああ!死者は、甦らないのだ!
あと、もう一人、パッチーニなる、去勢者のごとき哀れな作曲家が、『ヴェスタの巫女』の新作を出していたが・・・何と、そこではリキニウス役が女性だった・・・僕は、第一幕が終わったところで、這々の体(ほうほうのてい)で退散した。目にしたものが到底信じられず、劇場を出ながら自分が正気かどうか、よくよく確かめてみたのだが、紛れもない、それが現実だった・・・ああ!スポンティーニ[ベルリオーズがパリ・オペラ座で観て心から賞賛していた、同じ題材によるオペラの作者]よ!
僕は、ウェーバーのある作品の楽譜が欲しくなり、ローマのある楽譜商を訪ね、店主にそれを求めた・・・
「 Weber, che cosa è ? … Non conosco … Maestro italiano, francese, ossia tedesco ? [イタリア語。「ウェーバーですって?それは誰ですか?・・・私は存じませんね・・・イタリアの先生ですか?それとも、フランスか、ドイツの方ですか?」]」
重々しく、僕は答えた。「 Tedesco. [ドイツ人です]
長時間探した後、店主は、満足げに、こう言った。
「 Niente di Weber, niente di questa musica, caro signore, eh ! eh ! eh! [ウェーバーのものは、ひとつもありません。そういう音楽は、ひとつも置いてないのですよ、旦那、そのように仰られましてもね、ヘッ、ヘッ。]
「 Crapaud ! [フランス語。「ヒキガエルめ!」]
「 Ma ecco El PIRATA, LA STANIERA, I MONTECHI, CAPULETTI, dal celeberrimo maestro signor Vincenzo Bellini ; ecco La Vestale, I Arabi, del maestro Paccini. [イタリア語。「その代わり、ほれここに、有名なマエストロ、ヴィンチェンツォ・ベリーニ先生の『海賊』、『異国の女』、『カプレーティとモンテッキ』がありますよ。こっちにはほら、パッチーニ先生の『ヴェスタの巫女』、『アラビア人』もあります。」]
「 Basta, Basta, non avete dunque vergogna, corpo di Dio ? [イタリア語。「いや、いや、もう結構。してみると、なんと貴方は、これらを恥と思わないのですね?」]・・・
さて、どうしたものか?ため息でもつくか?・・・それは子どもじみている。歯がみでもするか?それでは陳腐だ。じっと我慢するか?それはなお悪い。毒素は、一部を蒸発させて濃縮し、かくていっそう強力になった残存物を、破裂するまで、胸中に収めておかねばならない。
誰も僕に手紙をくれない。友人たちも、カミーユも。僕はここに独りでいる。知り合いは、一人もいない。今朝は、若いナポレオン・ボナパルト(ルイの息子)の葬儀に参列した。この人は、弟[後のナポレオン3世]が彼らの母親、気の毒なオルタンスと一緒にアメリカ大陸に逃れている間に、25歳で、命を落としたのだ。母親のオルタンスは、ジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネ[ナポレオン(1世)の最初の妻]の娘で、昔、アンティル諸島[西インド諸島の主島群]から船で渡って来た人だ。陽気なクレオール人[西インド諸島及びスペイン語圏の中南米現地で生まれ育ったヨーロッパ人、特にスペイン人をいう〜小学館ランダムハウス英和大辞典第2版]で、旅の間、黒人奴隷のダンスをデッキで踊り、水夫たちを楽しませたという。彼女は、下の息子を間一髪のところで反革命派の斧から救った後、いまは、孤児、息子を失った母親、夫のいない妻、国を奪われた王妃として、アメリカに還り、悲嘆に暮れ、忘れ去られ、見棄てられて、日を過ごしている。自由を奉じ、あるいは、権力を夢見た、命知らずの若者たちよ!声楽とパイプオルガンとが準備されており、二人の雑役夫が、その巨大な楽器[パイプオルガン]を責め苛(さいな)んでいた。一人はオルガンの鞴(ふいご)に空気を送り、もう一人がオルガンの鍵を指で操ってパイプに空気を通すことで。後者は、明らかに式典の雰囲気に霊感を得たものらしく、ピッコロ・ストップを引き、ミソサザイ[よくとおる美声をもつ小鳥]のさえずりのような、陽気で軽い旋律を奏でていた。何か音楽を・・・貴君は、そうお望みだったね。では、これを貴君に送ろう。[譜例〜略。『幻想交響曲』第5楽章の「グレゴリオ聖歌『怒りの日』のパロディ」からの引用。低音楽器のセルパンと、高音楽器のピッコロとが、交代で旋律を奏するよう指示されている。結びの部分に、「アーメン」の歌詞とその旋律(いずれも原曲にはない)が、書き加えられている。]小鳥の歌には、あまり似ていない。もっとも、僕はこれを、アトリ[小鳥。しばしば陽気、美声のたとえに用いられる。]のように愉快な気分で書いたのだけれどね。
まぜ合わせよ、優しいものには厳しいものを、厳格なものには愉快なものを。
ああ、デプレオ氏よ![詩人、批評家の(Nicolas)ボアロー(1636-1711)のこと。古典主義の理論を展開した「詩法」の著者。新旧論争の際,古代派の論客となる。通称 Boileau-Despréaux(ボアロー・デプレオ)〜小学館ロベール仏和大辞典]
さようなら。ご覧のとおり、僕はいま、かんかんに怒っている。
もう数日間、来ることになっている手紙を待つ。そして、その後、ここを発つ。(了)[書簡全集216]

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