手紙セレクション / Selected Letters / 1831年4月19日(27歳)

凡例:緑字は訳注

ディアーノ[地中海に面した北イタリアの小村]発、1831年4月19日
オラス・ヴェルネ[在ローマ・フランス・アカデミー館長]

心が落ち着きを取り戻した一瞬を素早く捉え、大急ぎでこの手紙を書いています。卑劣この上ない犯罪と背信行為の犠牲になったことで、私は激しい怒りに我を忘れ、フィレンツェからここまでやって来ました。いかなる観点からも、最も正義に適い、最も容赦のない復讐を実行するため、フランスを目指して疾駆していたのです。ジェノバでは、一瞬めまいに襲われ、予想外の失神に自由意志を奪われて、子供のような絶望に身を委ねました。それでも、最後は、塩水を呑み、鮭のようにやすで身体を捕まえられ、陽の光の下で15分も死んだようになって横たわり、その後1時間、激しく嘔吐するだけで済みました。自分を引き揚げてくれたのが誰だったのかすら、分かりませんでした。辺りの人々は、僕が誤って市の城壁から落ちたのだと考えました。とはいえ、結局のところ、私は、生きています。自分が死ぬようなことになれば、ひどく悲しむに違いない二人の妹たちのためにも、芸術のためにも、生きねばならないと思います。
私は今、両舷砲撃を行った船の中甲板[上下の甲板に挟まれた空間〜同]の乗員のように、激しく動揺しています。けれども、イタリアを決して離れないことは、名誉にかけて、ここにお誓いします。私にとっては、それが、[復讐の]計画の実行を思い留まるための、唯一の手段なのです。
[自分のイタリア離脱の]報告書が、まだ本国に送られておらず、給費の受給資格が失われていないことを、切に願っています。この手紙へのお返事は、私がこれから向かおうとしている、ニース[当時はサルディニア王国領で、イタリアに属していた。]に宛てて、お送りください。このような状況の下(もと)、両親と迅速に連絡を取り合う差し迫った必要があることから、あと2週間ほど、彼の地に滞在しようと考えています。同地にご連絡くだされば、そこからお返事を差し上げます。
さようなら。
生と死の闘いは、なお激烈ですが、私は、倒れず、踏み止まっていることができると思います。そのことを、私は、名誉にかけて誓ったのですから。

敬具
H.ベルリオーズ

追伸
給費がどうなったかについて、一言なりとも、ニース宛にお知らせいただければ幸いです。(了)[書簡全集217]

訳注/ジェノバでの出来事について
この手紙で語られているジェノバでの海への転落については、失神等に起因する事故だったとする理解(ケアンズ1部28章)、自ら身を投げたとする理解(ブルーム2章)の、二つが成り立つ。そのためと思われるが、マクドナルド(2章)は、「(復讐の)決意を揺るがすような何らかの危機」に遭遇したと述べるにとどめている。これに対し、ホロマン(5章)は、このエピソード全体について、ヴェルネ向けに創作された、ベルリオーズのイマジネーションの産物である可能性がある旨、指摘している。
問題の箇所の原文を、以下に掲げる。
à Gênes, un instance de vertige, la plus inconcevable faiblesse a brisé ma volonté, je me suis abandonné unésespoir d’un enfant ; mais enfin, j’en ai été quitte pour boire d’eau salée, être harponné comme un saumon, demeurer un quart d’heure étendu mort au soleil et avoir des vomissements violents pendant une heure ; je ne sais qui m’a retiré, on m’a cru tombé par accident des remparts de la ville.

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