『回想録』 / Memoirs / Chapter 24

目次
凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

24章 引き続きスミッソン嬢のこと、ある募金公演のこと、残酷な巡り合わせのこと

コンクールとそれに続く授賞式が済むと、私は、常態化していた暗く不活発な状態に逆戻りしてしまった。また、相変わらずほとんど無名のままの知られざる惑星として、私の太陽・・・光り輝く太陽・・・の周りを回り続けていた。そしてその太陽は、何と、ひどく悲しく消えてしまう運命にあったのである。・・・ああ、美しきエステル[ベルリオーズの初恋の女性。3章参照]、あのステラ・モンティス[山の星(ラテン語)]、私のステラ・マテュティナ[暁の星(同。カトリック『聖母マリアの連禱』の聖母マリアに呼び掛ける祈りの言葉]は、当時、完全に姿を消してしまっていた!それ(elle[女性及び女性名詞を指す代名詞。エステルその人と彼女を象徴する星(ステラ〜女性名詞)の双方を指すと考えられる]は、天空の奥深くで見失われ、私の真昼(mon midi[「壮年期」をも意味する])を照らす大いなる天体[太陽〜スミッソン嬢のこと]に霞まされていたので、いつかそれが再び地平線上に姿を現すのを目の当たりにすることがあろうとは、私はほとんど思っていなかったのである・・・英国劇団の前を通らないようにし、パリ中の書籍商の店先に飾られているスミッソン嬢の肖像を見ないよう目をそらせていながら、私はそれでも彼女に手紙を書いていた。だが、一行の返事すら、彼女から受け取ることはなかった。はじめの何通かの手紙が彼女の心に触れるどころか不安を感じさせてしまい、爾後、スミッソン嬢は小間使いに私からの手紙を受け取らぬよう指示した。何をもってしても彼女のその決意を変えさせることはできなかった。その上、英国劇団の公演は終わろうとしていた。一座がオランダに移るとの噂が流れ、スミッソン嬢の最終公演も既に予告されていた。私はそれを観るつもりはなかった。既に述べたとおり18章、舞台上のジュリエット、オフィーリアを再び観ることは、私の力に余る苦痛だったからである。だが、フランスの俳優ユエ(Huet)のための募金公演がオペラ・コミック座で企画され、スミッソン嬢とアボットの演じるシェークスピアの『ロミオ』の2つの幕がその演目に加えられていたことから、私はその公演のプログラムで、自分の名をあの偉大な悲劇女優のそれに連ねようと決意した。彼女の目の前で成功を収めることを期待し、その子供じみた考えで頭がいっぱいになって、私は自分が作ったある序曲をユエのための晩のプログラムに加えてくれるよう、オペラ・コミック座の監督に依頼した。監督は、オーケストラ指揮者の同意を得て、それを承諾した。こうしてその演奏のリハーサルへの立合いのために劇場に行くと、そこでは英国劇団の俳優たちが『ロミオとジュリエット』の稽古を終えようとしていた。彼らはキャピュレット家の墓所の場面[原作5幕3場。ギャリック版(後述)同幕4場)]のリハーサルをしていた。私は、[服毒して]惑乱したロミオがジュリエットを両腕に抱えようとする、まさしくその瞬間に劇場に入ったのである。[一座によるこの作品のパリ公演は、その頃イギリスで標準的に上演されていた、デイヴィッド・ギャリックによる改作に拠っていた。シェークスピアの原作では、ジュリエットがキャピュレット家の霊廟内で仮死の状態から目を覚ましたとき、ジュリエットが死んだとの報せを受けそれより早くその場所に到着したロミオは、彼女の後を追おうと服毒した結果、既に絶命している。これに対し、ギャリックの版では、ロミオが服毒した後、まだ息のあるうちにジュリエットが目を覚まし、2人は暫し言葉を交わす(当館「イントロダクション」中の図版参照)。なお、ギャリック版では、ロミオの死、それに続くジュリエットの自刃をもってこの劇は終わり、原作の大団円である、長く敵対してきた両家の和解の場面は、省かれている]予期せずシェークスピア一座の姿を見た私は、叫び声を上げ、苦痛に身もだえしながら逃げ出した。ジュリエットが私の姿を認め、私の声を聞いた・・・私は彼女を怯えさせた。彼女は居合わせた俳優たちに私を指し示し、こう懇請したのである。あの紳士(ce gentleman)に気をつけて、あの人の目は何もよいことを告げていないから、と。

1時間後、劇場に戻ると、そこはがらんとしていた。オーケストラは集合しており、彼らは、私の序曲のリハーサルをした。私は、何の意見も言わず、夢遊病者のような状態でそれを聴いた。奏者たちが私に喝采し、私は、この作品が聴衆に及ぼす効果と演奏の成功がスミッソン嬢に与える影響に幾らかの期待を抱いた。何と憐れむべき愚かさだろう!!!

私自身がその只中に生きていた世界についてのかくも甚だしい無知は、読者には信じがたいことだろう。

フランスでは、募金公演で演奏される序曲は、たとえそれが『魔弾の射手』や『魔笛』の序曲[のような傑作]であったとしても、単なる前座の音楽とみなされ、聴き手のごく僅かな関心を集めることすらない。さらに言えば、このような形で序曲が本来の文脈から切り離され、オペラ・コミック座のそれのような小振りな劇場オーケストラによって奏される場合、たとえそれを注意深く聴く人があったとしても、ひどく凡庸な音楽にしか聞こえないものである。他方、このようなケースで公演の受益者から参加の招請を受けた有名俳優たちは、自分の出番になるまでは劇場に来ない。こうした公演のプログラムには彼らの知らない演目があり、彼らはそれらには全く関心がないからである[; ils ignorent en partie la composition du programme, et ne s’y intéressent nullement]。彼らは、衣装を着けるために急いで控室に入ろうとするから、舞台の袖に足を止めて自分たちに関わりのない演目に耳を傾けるようなことはない。つまり、私は考えていなかったのである、こんなふうにプログラムに挿入された私の序曲が、たとえ起こりそうにない例外的な事情によって熱狂的な成功を収め、歓呼をもって聴衆からアンコールを望まれたとしても、自分の役のことで頭がいっぱいになっているスミッソン嬢は、控室で着付け係に衣装を着せてもらいながらもそのことばかりを考えているから、そのような出来事については知らされることすらないだろうとは。また、たとえ彼女がその出来事に気付いたとしても、それが何だろうか!「あれは何かしら?」聴衆の喝采を聞いた彼女が、こう問うとしよう。「何でもありません、スミッソンさん。序曲がアンコールされたのです。」さらに言えば、その序曲の作曲者が彼女の知る人物であったにせよ、そうでなかったにせよ、このような取るに足りぬ成功は、その者に対する彼女の無関心を愛に変えるに足るものであるはずもなかった。これほど自明なことはなかったのである。

私の序曲[『ウェイヴァリー』。全集CD1(2)、YouTube: waverley berlioz]は、見事に奏され、かなりの喝采を受けたが、アンコールの求めはなく、スミッソン嬢の知るところには少しもならなかった。彼女は、得意とする役でもう一つ大成功を勝ち取った翌日、オランダに向けて旅立った。私は、偶然にも(それが偶然だったとは彼女は決して信じなかったが)、彼女の住まっていたヌヴ・サンマルク通りの角のアパルトマンとほぼ真向かいの、リシュリュー通り96番に住まっていた。

私は、前の日の晩からその日の午後3時まで、打ちひしがれ、死にゆく人のようにベッドに倒れ込んでいたが、その後起き上がり、いつものとおり、何気なく窓に近づいた。まさにそのとき、運命のあの理不尽で卑劣な苛酷さの一つが、スミッソン嬢が彼女の住まいの玄関前で馬車に乗り、アムステルダムに向けて出発する姿を私に見せることを望んだ・・・・・・

私が感じた痛みを言葉にして語ることはひどく難しい。別離の悲しみ、恐ろしい孤独、空虚な世界、凍るように冷たい血液とともに血管内を巡る不断の苦しみ、生きることを嫌悪しつつさりとて死ぬこともできない状態。それは、シェークスピアその人ですら決して名状を試みようとしなかったものである。彼はただ、『ハムレット』において、人生最悪の苦悩の一つに数えるにとどめた[3幕1場のハムレットの言葉「The pangs of despized love(蔑まれた愛の痛み)」のこと]

私は、もはや作曲をしなくなった。私の知性は、感受性が高まるにつれ、弱まっているように感じられた。私は何もしなかった・・・ただ苦悩することを除いては。(了)

訳注1/この章に関係する出来事
1827年9 月、英国劇団の『ハムレット』、『ロミオとジュリエット』を観る(18章)
1828春 、ベートーヴェンの交響曲(3、5番等)を聴く(20章)
同年5月、パリ音楽院ホールで最初の自作演奏会を開く(18、19章)
同年8月、ローマ賞コンクールで2等賞を得る(22、23章)
同年9月、 帰省中、アンベール・フェランに再会、ハリエットへの思いを明かす
1829年2月25日、オペラ・コミック座で序曲『ウェイヴァリー』を演奏
同年3月3 日、ハリエット、アムステルダムに向け、パリを発つ

訳注2/この章に関係する手紙(いずれも1829年)
1月11日(ラ・コートの友人、エドゥアール・ロシェ宛)
2月2日(友人アンベール・フェラン宛)
3月2日 (友人アルベール・デュボワ宛)
4月9日 (フェラン宛)
6月3日 (フェラン宛)

(参照文献)
時系列表のデータ
『書簡全集』第1巻、ブルーム編『回想録』各年表等

ギャリック版『ロミオとジュリエット』関係
『上演史』喜志哲雄(『ロミオとジュリエット』福田恒存訳、新潮社、昭和39年所収。〜ギャリック版についての詳しい説明)
『新ベルリオーズ全集』第18巻『ロメオとジュリエット』(ギャリック版5幕4場のテクスト)

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