『回想録』 / Memoirs / Chapter 25

目次
凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

25章 3度目の学士院のコンクールのこと、1等賞が授与されなかったこと、ボイエルデューとの興味深い会話のこと、赤ん坊を揺すってあやすような音楽(La musique qui berce)のこと

6月がまた巡って来て、学士院のコンクールの競技場(la lice[馬上槍試合用の競技場])が再び私に開かれた。私は、今度こそ決着を付ける見通しを持っていた。最良の結果予想が各方面から伝わってきていたからだ。[審査を行う芸術アカデミー]音楽部会の会員たちですら、1等賞を得るのは間違いなく私だとほのめかしていた。その上、私は前年の2等賞の受賞者として、何の入賞実績もない学生や、ただのブルジョワにすぎない者たちと競おうとしているのだった。前年の受賞者という立場が、他の参加者たちに対する大きな優位性を私に与えてくれていた。自分の成功を確信したせいで、私はまずい理詰めの判断(raisonnement malencontreux)をしたが、その誤りは、実験によりすぐに証明された。私の理屈は次のようなものだった。「この先生方[アカデミーの会員たち]は私に1等賞を与えることに初めから決めているのだから、去年と同じように努めて自分の生来の感情や自分に自然に感じられるスタイルに従うのを我慢して彼らのスタイルやセンスで書くようにしなければならない理由は見当たらない。真の芸術家として、優れたカンタータを作ろう。」

我々が与えられた作曲の題材は、アクチウムの海戦後のクレオパトラだった。エジプトの女王、クレオパトラは、自らを毒蛇に咬ませ、震えながら絶命した。自害に及ぶ前、宗教的な恐怖で胸がいっぱいになった彼女は、ファラオたちの霊に祈り、問いかける。放縦で罪深い自分のような女王に、栄光と徳において偉大な支配者たちを祀るために築かれた巨大な霊廟の一つに入ることは許されるのか否かを。

そこには、芸術で表現すべき壮大な(grandiose)観念があった。私は、あのシェークスピアのジュリエットの不滅のモノローグを、自分の思考の中で何度も音楽的に言い換えていた(paraphraser musicalement)。

But if when I am laid into the tomb…
(「でも、もしお墓の中に寝かされてから・・・」)
[『ロミオとジュリエット』4幕3場。「ロミオが救い出しに来る前に目覚めてしまったら、どうしよう」と続く。なお、「But」は、シェークスピアのテクストでは「How」)]

この感情は、少なくともその恐怖において、我らがフランスのへぼ詩人がクレオパトラに語らしめた頓呼(とんこ)法(apostrophe[文の途中で感情が高まり、その場にいない人、物、概念に急に語りかけること。出所:小学館ランダムハウス英和大辞典等])のそれに類似している。私は、上に引用した英語の詩句を題辞として総譜に書き入れる「へま」までしでかした。([これを「へま」]というのは、私の作品を審査したヴォルテール主義の(Voltairien[ここでは「反シェークスピアの」の意])アカデミー会員たちにとっては、すでにこれだけで許し難い罪だったからである。)

私は、それゆえ(donc[「テクストにジュリエットの恐怖との類似性を見出したから」の意と解される])、この題材に、壮大な性格を持ち、その奇妙さそのもので聴く人の心を強く捉えるリズムを持つと私には考えられ、また、その異名同音(エンハーモニー)の連鎖が不吉で重々しい響きをもたらすと考えられ、そしてその旋律が緩徐に持続するクレッシェンドの中でドラマティックに展開する音楽[全集CD7(8)、YouTube: meditation cleopatre berlioz]を、造作なく作った[Je composai donc sans peine sur ce thème un morceau qui me parait d’un grand caractère, d’un rythme saisissant par son étrangeté même, dont les enchainements enharmoniques me semblent avoir une sonorité solennelle et funèbre, et dont la mélodie se déroule d’une façon dramatique dans son lent et continuel crescendos.〜文中、「私には〜と思われる」という意味の言葉が繰り返し使われているのは、説明されている効果が作曲者の狙いにすぎないことを明確にして、狙いどおりの効果が本当に得られているか否かの判断を他者に委ねる、一種の謙譲表現であろう]。後に私はこれを、何の変更も加えずに、私の音楽モノドラマ『レリオ』中の『亡霊たちのコーラス』と題する(ユニゾンとオクターブの)合唱曲[全集CD2(9)、YouTube: choeur d’ombres lelio berlioz]にした。

私は、この音楽をドイツでの私の演奏会で何度も聴いているから、その効果は熟知している。このカンタータの他の部分は私の記憶から消えてしまったが、この音楽単独でも1等賞に値していただろうと私は思う。この音楽は、それゆえ(en consequence)、1等賞を獲得しなかったのである。のみならず、いかなるカンタータも、[それゆえ]1等賞は獲得しなかったのである。

審査員たちは、その作品に「このような傾向が[公然と]現れている(se déceler)」若手作曲家に[公式に]賛意を表して激励するより、その年は誰にも1等賞を与えない方がましだと考えたのである。この決定の翌日、私は大通りでボイエルデュー[作曲家。学士院会員。審査員の一人]に出会った。以下、そのときの彼との会話を正確に再現しよう。余りにも興味深い内容だったので、忘れられずにいるのである。

私を見かけるや、彼は言った。
「やれやれ、貴君はいったい、何ということをしてくれたのかね。賞を手にしていながら、自分でそれを放り出してしまうとは。」
「ですが、先生、僕は最善を尽くしました。誓って間違いありません。」
「まさにそこがいかんと、我々は考えているのだよ。貴君は最善など尽くすべきでなかった。『最善は善の敵』、と言うではないか(votre mieux est ennemi du bien)[「Le mieux est l’ennemi du bien」〜「完全を追求しすぎると、いっさいをだめにするおそれがある」との意味の諺(小学館ロベール仏和大辞典)を用いた表現][赤ん坊を揺すってあやすように]心を和ませてくれる音楽(la musique qui me berce)が何より好きなこの私が、いったいどう、あのような音楽に賛成できるのかね。・・・」
「でも先生、エジプトの女王が、自責の念にさいなまれたり、蛇の咬み傷から体に毒が回ったりして、身も心も苦しんで死のうというときに、心を和ませる音楽を作るのは、かなり難しいです。」
「そらきた!貴君は防戦が巧みだ。そのことは疑わんよ。だが、それは何の説明にもなっておらん。どんな場面にも、優雅な音楽は作れるのだからね(on peut toujours être gracieux)。」
「それはそうです。確かに、古代ローマの剣闘士たちは優雅な死に方を心得ていました([savoir]mourir avec grâce)。でも、クレオパトラは、そんな訓練を受けた女(ひと)ではなかったし、優雅でいられるような心身の状態にもありませんでした。それに、彼女は、人前で死んだのではないのです。」
「貴君は大げさに言うが、我々は何も、クレオパトラにコントルダンスの曲を歌わせろとは言っておらんよ。それに、貴君のあのファラオたちへの祈りの場面だが、あれほど変わった和声を用いねばならぬ、いったい、どんな必要があるのだね!・・・私は、和声法に通じていない。だから、はっきり言おう、貴君のあの奇妙な和音[複数]のことだが、私には皆目分からなかった。」
私はここで、ごく当たり前の常識が促す次の言葉が口をついて出るのを抑え、うつむいた。「先生が和声に詳しくないのは、僕のせいなのですか?」
「それから、だ」彼は続けた。「貴君の伴奏に、これまでおよそ聴いたことのないリズムが使われているのは、何故だね?」
「作曲をしていて、必要な所にうまく収まる、新しい形を見つける幸運に恵まれた場合、それを使わないようにする必要はないと思っていたからです。」
「だが貴君、貴君のカンタータを歌ったダバディ夫人は優秀な音楽家だ。ところが、その彼女にして、貴君の作品を間違えずに歌うには、持てる才能と集中力を出し切らなくてはならなかったようなのだ。」
「確かに、音楽が才能も集中力も発揮しようとしない人に演奏されるためにあるとは、僕も誓って知りませんでした。」
「分かった、分かった。まったく貴君は、およそ言葉に詰まるということのない人だな。まあ、知ってはいたがね。では、私はこれで失礼するよ。この教訓を来年に生かすことだ。ともあれ、私の家を訪ねてくれたまえ。もっと話そうではないか。貴君と一戦交えさせてもらうよ。ただし、「フランス騎士」として、だがね(Je vous combattrai, mais en chevalier français)。」

彼は、別れ際に自分が放った、ヴォードヴィル[軽喜劇]作者たちの言う「決め台詞」(pointeポワント)に大いに満足して、その場を去った。[往時の名歌手、]エレヴィウ(Elleviou)にいかにも似合いそうなこの台詞の面白さを味わうには、ボイエルデューが、私にこの台詞を浴びせることで、自作の一つをいわば引用していたということを知る必要がある。その作品(原注2)で、彼はこの2語[chevalier français(フランス騎士)]に、それらを華やかに飾る音楽を付しているのである。[このやり取りには、加えて、ベルリオーズが引き合いに出した「古代ローマの剣闘士」に、ナポレオンの帝政時代の「フランス騎士」を持ち出して応じる面白さもあったのであろう。なお、chevalierには、ナポレオンが創設したレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ章佩用者の意味がある。また、この後に続くパラグラフ及び原注1の記述からは、「フランス騎士」という言葉は、当時は、洒落者、伊達男を意味していたのではないかとも推測される。]

この無邪気な会話で、ボイエルデューは、この時代のフランスでの音楽という芸術の理解の仕方を、はしなくも代弁していた。そう、まさにそのとおり、パリの大衆は、どれほど恐ろしい場面にも赤子をあやすような優しい音楽を、少しばかりドラマティックではあるが、あまり明瞭でなく(pas trop clair)、生気のない音楽を、変わった和声、新奇なリズム、意表をつく効果を一切もたない音楽を、演奏家にも聴衆にもさして才能、集中力を求めない音楽を、望んでいたのである。それは、愛想がよく、粋で、ぴったりしたズボンと折返し付きのブーツを着けた、情熱に突き動かされたり夢想したりすることの決してない、快活で、トルバドゥール[吟遊詩人。特に中世、南仏、北イタリアで活動した叙情詩人]で、「(・・・パリの)フランス騎士」流の技芸のひとつ(un art)だったのである。

数年前、我々フランス人は、より高い価値があるとも言い難い、これとは別のものを望んだ。いま、我々は、自分たちが何を望むのかも分からずにいるか、あるいはむしろ、全く何も望んでいない。

こんな傑作な国、フランスに、私に生を受けさせるとは、神様はいったいどんなつもりだったのだろうか?・・・それでも私は、音楽(l’art)のことを忘れることができ、この国の愚かしい政治上の騒擾のことをもう考えずにいられさえするなら、このおかしな国がたちまち好きになる。ここでは、人々の暇つぶしが時にどれほどになることか!人々の何と笑い興じていることか!どれほど多くの意見が消費されていることか(少なくとも口では)!何と激しく、森羅万象とその支配者[神]を、真っ白できれいな歯や、つやつやした鋼のような見事な爪で切り裂いていることか!何と才気の躍動していることか!何と言葉に合わせて踊っていることか!王党派、共和派の立場から、何というほら話が吹聴されていることか!・・・最後に挙げた流儀が、面白みには最も乏しい[Comme on y blague royalement et républicainement !… Cette dernière manière est la moins divertissant.]・・・・・・

原注1/帝政時代の粋なフランスの騎士の典型だったオペラ・コミック座の有名な俳優。
原注2/『パリのジャン』

訳注1/関係する音楽作品の対訳と説明
1829年ローマ賞コンクール提出作品『クレオパトラ(Cléopâtre)』

訳注2/関係する手紙(コンクールの結果、ボイエルデューとの会話等)
1829年8月2日 父ベルリオーズ医師宛
1829年8月12日 妹ナンシー・べルリオーズ宛
1829年8月21日 友人アンベール・フェラン宛

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