手紙セレクション / Selected Letters / 1829年8月2日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年8月2日
ベルリオーズ医師宛

大切なお父さん、
学士院で受け取った、中に書きつけの入った先日のお母さんの手紙への返事は、すべてが済んでから書こうと思い、今日まで書かずにいました。[ローマ賞コンクールの]判定が、昨日、下されました。1等賞は授与されませんでした。僕にも、ほかの誰にも。学士院は、[今年は]1等賞を与える理由が見出されなかったと宣言し、授与を翌年に延期したのです。つまり、彼らは、来年、適切と認めれば、1等賞を2つ授与することができる訳です。ル・シュウール先生が体調不良で決定に関われなかったことが、ひどく不利に働きました。それでも、ケルビーニとオベールは僕を支持してくれました。また、ドイツ楽派の大ファンのプラディエ、アングル両氏が、会議の終わりに長時間発言して、過去の提出作品の出来映えが分かっていて、あのような不出来な演奏のせいで今回の提出作品がどのようなものなのかを知ることの出来ない、僕の作品について、これほどの[権威をもつ]会議が、ここまで軽々しく判断を下すとは信じられないと述べて、大いに憤りを示しました。
それというのも、僕の作品を歌うはずだったダバディ夫人が、『ギョーム・テル』の総稽古が学士院のコンクールの時間に重なってしまったために、僕への約束を果たせなくなってしまったからです。彼女は、代わりに、彼女の妹の音楽院の学生を僕のところに送って来ましたが、この人は、まったく未熟だった上、リハーサルもわずか数時間しかできなかったのです。
けれども、このような結果を招いた最大の原因は、1等賞は僕に授与されるはずだという前評判を信じて、自分への支持は万全だから、去年のような自制をせず、思ったとおりに作品を書いても大丈夫だと思い込んでしまった、僕自身にあります。今年の課題は「クレオパトラの死」でしたが、この題材が僕に働きかけ、気高く、斬新だと思われる着想をたくさん呼び起こしました。僕は、躊躇なくそれらを書いてしまったのですが、それが僕の失敗だった訳です。審査員の人たちは、皆、僕に大層好意的だったのです。ところが、彼らには、僕の書いたものがまったく理解できませんでした。音楽部会の審査員は、僕の作品を、彼らの流儀に対する一種の批判と受け止めました。そしてそれが彼らの自尊心をひどく傷つけたのです。
僕は、つい今しがた、大通りでボイエルデュー[作曲家。学士院会員。審査員の一人]に出会いました。彼は、すぐに僕のところに来て、1時間もの長い会話に僕を引きこみました。彼が言ったことのあらましは、次のようなものです。「友よ、貴君はいったい、何ということをしてくれたのかね。我々は、貴君に受賞させるつもりでいたのだ。我々は、貴君が去年より思慮深く行動するものだと思っていた。ところがどうだ、貴君は、その逆の方向に百倍も遠ざかってしまっているではないか。私は、自分に理解できるものしか判断できない。だから、貴君の作品の出来が良くないなどと言うつもりは微塵もない。聴くことではじめて理解し、賞讃するようになった作品だって、たくさんある。それにしても、貴君はいったい何が望みなのか。私はまだベートーヴェンの作品の半分も理解できていないが、貴君は、ベートーヴェンよりもさらに先に進もうとしている。貴君は、我々がは到底そんなふうにはなれないような、ある種の激しい気質(une organisation volcanique [「火山のような性格」とのイメージ])の持ち主だ。のみならず、私は昨日、同僚たちにこう言わずにいられなかった。『この若者は、このような考えを持ち、このような書き方をするからには、我々のことを心底見下しているに違いない。彼は、他の誰かが書くようには、1音符たりとも絶対に書きたくないのだ。彼は、リズムにまで新しいものをいくつも用いずにはいられず、可能なところでは、いつも新たな転調を考案したいと思っている。彼の目には、我々がしていることのすべてが、陳腐で使い古されたものに映っているに違いない!」
これがカテルとボイエルデューの謎を解く鍵です。それでも、オベールとケルビーニは、独自の考えから僕を支持してくれました。しかし、彼らにしても、僕の作品には同じ印象を受けているのです。ただし、ケルビーニについては、ほかの人たちよりその程度がずっと少ないのですが。
音楽家でない会員の人たちは、こうしたことは何も分かりません。[9歳の弟]プロスペールに『ファウスト』を読ませるようなものです。僕と1等賞を争って2等になった、もうひとりの人物は、正反対の理由から受賞を逃しました。つまり、[彼の作品は]あまりに平板で、皆がどっと笑うほどだったのです。
素焼きの壺についてのご依頼は、果たせませんでした。試験会場の小部屋を出たときには、書籍を送る木箱は、もう出てしまっていたのです。お父さんたちに会いに[ラ・コートに]帰ることは、まだ出来ません。より長くそちらに滞在する自由を僕に与えてくれるような何らかの取り決めを、フェドー劇場と整えたいと思っています。近いうちにまた手紙を書きます。
今夜はボイエルデューの家に行かなければなりません。話の続きをすることを約束させられたのです。僕のことを研究したいそうです。
さようなら、大切なお父さん。
愛情を込めて抱擁します。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集132]

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