凡例:緑字は訳注
パリ発、1830年5月13日
アンベール・フェラン宛
親愛な友よ、
貴君の手紙を僕が受け取ったのとほぼ同じ日に、貴君も僕の手紙を、貴君の従兄弟、ウジェーヌ・ドデールから、受け取ってくれたに違いない。オーギュストが帰るときにも、次の手紙を必ず託す。着いたらすぐ貴君に会うつもりだと、彼が言っているのでね。
貴君の手紙に、僕は、たいそう心を動かされた。ハリエット・スミッソンのことで僕が冒そうとしていると、貴君が推測してくれている危険について、貴君がそこまで心配し、気遣ってくれているということや、溢れ出る貴君の真情、貴君が僕にしてくれている助言に!・・ああ、親愛なアンベール、豊かな心( une âme )、思いやり( un coeur )、イマジネーション等、すべてを備えた、非の打ちどころのない人を見出すことは、本当に稀なことだ。僕らのような熱烈で性急な人間どうしが、出会い、互いを理解し合うことも!だから僕は、貴君と知り合えた幸福がどれほどのものか、どう貴君に説明したらよいか分からないくらいだ。
僕の作品、『幻想交響曲』について、貴君に書き送った説明に、満足してくれたと思う。復讐心は、それほど強くない。そもそも、僕が『サバトの夜の夢』を書いたのは、そのような精神からではない。恨みを晴らすことなど、僕は望んでいない。彼女には憐憫と軽蔑を感じている。彼女は、人の心の悲痛な思いを伝えることについて、本能的な天賦の才を授かってはいるものの、それを自ら感じることは決してなく、僕が彼女にあると考え、讃えていた、広大で高貴な感情を抱く能力を、本当には持ち合わせていない、普通の女性なのだ。
今日は、今月30日の僕の演奏会について、ヌヴォテ劇場の経営陣と最後の調整をする。たいへん実直で、話の分かる人たちだ。3日後に、この巨大な交響曲(la Symphonie gigantesque)のリハーサルを始める。パート譜は、すべて最大の注意を払ってコピーしている。2300頁の楽譜だ。写譜の費用も400フラン近い[ près de quatre cents francs de copie ]。まともな売上が得られることを期待するほかない。聖霊降臨の主日には、すべての劇場が休演になる。
途方もない歌手、ハインツィンガーに、ぜひとも歌ってもらう必要がある。シュレーダー・ドゥヴリアン夫人にも、出演してもらいたいと思っている。この人は、その流儀に従っている他の歌手たちとともに、『魔弾の射手』と『フィデリオ』で、隔日の公演のたびに、サル・ファヴァールを沸かせている。
そういえば、最近、ハインツィンガーに、僕らの『秘密裁判官』に、彼に相応しいテノールの重要な役はあるかときかれた。彼は、僕の答えを聞き、また、それに加え、彼が知っているすべてのドイツ人が僕について言っていることを聞いて、この作品の台本をオーケストラ伴奏のついていない歌と一緒にドイツに持って行き、翻訳させたいと思うようになっている。今年カールスルーエで予定されている彼の募金演奏会で、この作品の新しい総譜を演奏しようというのだ。そうなれば素晴らしい。何としても、ボヘミア人たちのフィナーレ、テノール、ソプラノの歌2、3、それに5重唱を、全部、仕上げなければならない。数か月のうちにカールスルーエに行きたいと思っている。ハインツィンガーや他の人たちが一種の前評判を引き起こしてくれたところでね。
『[アイルランド9]歌曲集』についての貴君の評価は、オンスロウの意見とほぼ一致していることをお知らせする。彼は、次の4つが良いと言う。まずは『酒を飲む歌』、[それに]『エレジー』、『夢想』、『聖歌』だそうだ。友よ、この曲集は、貴君が思うほど難しくない。ただ、ピアノ奏者が必要だ。僕は、ピアノ譜を書くときは、楽譜も読めない愛好家ではなく、奏法を心得た弾き手を想定している。ル・シュウール先生のお嬢さんたちは、決して名手という訳ではないが、『散文のエレジー( Elégie en prose )』の伴奏を、ちゃんと弾きこなしている。この曲は、『戦いの歌』と同じく、決して易しくはないのだが。姉妹のひとり、気の毒なウジェーヌ嬢は、感じは良いけれど冷淡で優しさに欠けたある若い男性に片思いの感情を持っているのだが、最初はこの作品を前に途方に暮れたという。彼女が僕に打ち明けて言うには、初めは全く理解できなかったそうだ。彼女はその後、この作品を練習するうちに、あるひとつのことに思い当たった。愛のために死なんとしている男の苦悩を描くこの[作品の]悲痛な情景に、自らの姿を認めたのだ。今、彼女の胸には熱情が宿り、この[『アイルランド歌曲集』]第9曲[『エレジー』]を、絶え間なく弾き続けている。僕はまだ、この曲が歌われるのを聴いていない。それが出来るのはヌリだけだが、引き裂かれた胸から迸(ほとばし)り出たこれらの言葉を、それに相応しく表現するために必要な、感情が極度に高まった状態に自らを置くことに、彼が同意してくれるかどうかは疑わしいと思っている。
だが、彼は僕の歌曲集を持っているので、僕のために歌ってみてくれることができるかどうか、いちど訊いてみようと思う。ヒラーの伴奏で、僕ら3人だけのセッションで。僕の演奏会では、『秘密裁判官』序曲も再演するつもりだ。1階席を少しばかりかきまわし、ご婦人方に叫び声を上げてもらうためにね。それに、この作品には集客効果もある。今ではよく知られていて、この曲を聴くためだけに来てくれる人も多いのだ。
来てくれられないのは、貴君だけだ!一昨日の手紙によれば、父までが、聴きたがっているというのに。ああ、それにしても、この交響曲といったら!・・・あの不幸な女性が、当日、これを聴いてくれるとよいのだが。少なくとも、フェドー劇場では、多くの人が、彼女を会場に来させようと、謀(はかりごと)をしている。だが、そうはいかないと思う。僕の器楽ドラマのプログラムを読めば、自分のことだと気付かないはずはないし、そうなれば、用心して姿を見せないだろう。だが、まったく何と、人は言うことだろうか!僕の話は、皆に知られてしまっている!
さよなら!(了)[書簡全集162]
訳注/5月の演奏会の計画の顛末
この演奏会は、リハーサルも何回か行われ、フィガロ紙には、演奏会の予告とともに、当日配布される予定の『幻想交響曲』の「プログラム」が事前掲載されたが、結局、実現しなかった。開催直前に、キャンセルやむなしと判断せざるを得ない事情が生じたのである。回想録26章に語られるとおり、ヌヴォテ劇場でのリハーサルでは、演奏席に奏者や楽器が収まりきらないことが当日判明するなど、かなりの混乱があったようであるが、中止を導いた決定的な理由は、開催直前になって、ベルリオーズの演奏会と同じ日に音楽院とドイツ劇場でそれぞれの演奏会が企画され、頼みにしていた奏者たち(ドイツの名歌手2人を含む)が使えなくなってしまったことだった(5月28日付けベルリオーズ医師宛の手紙~未収録)。そのため、『幻想交響曲』の初演予定は、当座、11月1日(諸聖人の祝日)に持ち越される。しかし、この予定もその後再延期されたので、結局、初演は12月5日、パリ音楽院コンサート・ホールで行われた。
訳注/『散文のエレジー』( Elégie en prose )[全集CD8(9)、YouTube: elegie en prose berlioz]
この作品が「散文の・・」と題されているのは、同じ曲集の他の作品が、友人トマ・グネによる韻文の訳詩に作曲したものであるのに対し、この作品に限っては、グネとのプロジェクトよりもさら早い時期にベルリオーズが読んでいた(回想録11章参照)、ルイーズ・ブロックによる散文訳に基づいているからである。
この作品は、作曲家の心がハリエット・スミッソンの直接の影響下にある時期に、それを直接反映する形で書かれたもので、ベルリオーズにとって、特別な意味を持つものだった(回想録18章参照)。
この作品のピアノ伴奏のスタイルについて、ケアンズ(1部22章)は、この頃、ベルリオーズがフェルディナント・ヒラーの家で度々開いていた、二人でのベートーヴェン・セッションの影響がみられることを指摘し、また、同様に、マクドナルド(5章)も、「彼の最も野心的なピアノ作品の1つであり、・・・ベートーヴェンの精神に近いものである。」と評している。