凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
パリ発、1833年4月27日、
アデール・ベルリオーズ宛
可愛いアデール、
もし君が僕を愛してくれているなら、もしそうならばお願いだ、すぐに返事をくれたまえ。いったいなぜ、2度目のソマシオンの知らせが全く来ないのだろうか?・・・カミーユ[ナンシーの夫、パル判事]がアルフォンスに手紙を書き、3日のうちにグルノーブルでシャラヴェル氏[グルノーブル近郊の町の治安判事。1833/3/29付の手紙参照]に会い、いまはもう受任を拒まない意向を示しているラ・コートのシミアン[公証人]の許(もと)に赴いてくれるよう、彼に頼み込むつもりだと知らせてきた。僕は、同じ日に届いた君の手紙の内容を読んですぐ、デュシャド[ベルリオーズにシャラヴェルを紹介したベルリオーズの友人。上記の手紙参照]に頼んで[シャラヴェルに]手紙を書いてもらった。だから、もうとうに何か連絡があって然るべきなのだが、何の知らせも来ない。[ Camille avait écrit à Alphonse qu’il verrait sous trois jours M. Charavel à Grenoble et qu’il le prierait de renvoyer à la Côte auprès de Simian qui ne refusait plus son ministère ; d’après ta propre lettre que j ‘ai reçue le meme jour, j’ai fait écrire sur le champ par Duchadoz ; nous devrions donc aujourd’hui avoir une réponse, et il n’y en a point.]僕はそちらへ向け出発した方がよかったのだろう。郵便馬車の席を取り、料金も払ってあったのだ、もっとましな気分になるまで行かないでと哀願する、ほかならぬ可哀想なオフィーリアの言葉にさえ抗って。僕は金曜の夕方に発とうとしていた。君の手紙を受け取った翌日だ。ああ、なぜそうしなかったのだろう!
お父さんは僕を死に追いやらずには満足しないだろう。僕ほど理由もなく両親から苦しめられた人間は他にいないと思う。こんなばかげた妨害をすることが、何の役に立つのだろう?たぶんそれは自分自身に次のように言うためなのだろう。「私はできる限り異議を唱え、3、4ヶ月ばかり長く息子を苦しませた。それでも何もしないよりはましだ」と。
いったい僕とアンリエットの結婚を誰かが妨げるようなことは起こり得るか?絶対に否だ。それどころか、いまやこのような僕になされた法律上の権限の濫用に対する僕の憤りはあまりに激しいので、たとえ僕がスミッソン嬢を愛することも尊敬することもなくなることや、僕の彼女への感情が憎悪と軽蔑に変わるようなことが起きたとしても、僕はなお彼女と結婚するくらいなのだ。ところが実際には、僕は彼女にとても細やかで深い愛情を抱いている。そしてその愛たるや、双方向のものとなったいまでは、もはや最初の5年間の、あの恐ろしい辛さを伴っておらず、むしろその試練を経たことで、いっそう強固なものになっているのだ。どのような犠牲を払ってであれ、アンリエット・スミッソンは、早晩、僕の妻になる。僕の至福の時代の到来を遅らせる障害は何であれすべて、無限に呪われてあれ、だ。
僕の可愛い、気立ての良いアデール、いつもただ僕を愛し、慰めることだけをしてくれている君について言えば、僕は、君の愛情をとても有り難く思っている。あまり熱心にその話をしてアンリエットを心配させてしまうくらいだ。ある日、僕が君の話に夢中になっているのを見て以来、彼女は僕に何度も言うのだ。「ああ、貴方は私を妹さんほどには愛してくださっていないのですね。分かっています、私は2番目にすぎないのです。」ナンシーから手紙が来ない。彼女が僕に伝えられる考えが、僕の考えと相容れないものでしかないのだとすれば、賢明な態度だ。何も言わずにいてくれる方がよい( si elle n’a que des Idées incompatibles avec les miennes à me communiquer elle fait bien ; Il vaut mieux ne rien dire. )。それでも、彼女が僕を愛してくれているとの推測はつく。1通の手紙でさえ、あるいは1フレーズのメッセージでさえもが、僕を誤りに気づかせることもあれば、控え目に言っても僕をして彼女を嫌わせてしまうことがあることを思えば。[の意か〜原文:Je puis supposer qu’elle m’aime toujours, tandis que une lettre, une phrase même pourrait me désabuser ou du moins me faire la prendre à moi en aversion.]
さようなら、愛しい妹よ。さようなら、できるだけ早くそちらの状況を知らせてくれたまえ、そして、僕がそちらに行って自ら問題の処理に当たる必要があるかどうか、判断できるようにしてくれたまえ。
愛する兄より。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集336]
訳注/2回目のソマシオンについて
2回目のソマシオンは、この手紙が書かれた1833年4月27日に実行された[出所:ブルーム編『回想録』p.415n.41]。
なお、この手紙を前出4/20ロシェ宛とあわせ読むことにより、4月中旬頃までに、パリにいるアルフォンス・ロベール(ベルリオーズの従兄弟。回想録4章「パリに出たこと」、5章「医学修養の一年のこと」参照)を中継点とした、パル判事(実質的にはパル夫妻と考えてよいと思われる)によるベルリオーズへの側面支援ルート(ベルリオーズ医師へのソマシオン差し出しに関するもの)が築かれたのではないかとの推測が浮かび上がってくる。また、この手紙は、このルートを通じたパル判事からのベルリオーズへの連絡(判事によるシャラヴェルへの働き掛けについて知らせるもの)がなされたのと同時期に、ラ・コートのベルリオーズ家にいたアデールも、ベルリオーズに友人デュシャドを通じたシャラヴェルへの働きかけを自ら行うことを思い立たせる内容の手紙を書いたことを示しているが、このことは、パル夫妻が築いたベルリオーズ支援体制には、アデールもまたある程度関わっていたのではないかとの推測を呼び起こす。