手紙セレクション / Selected Letters / 1832年6月11日(家族の手紙)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

ラ・コート・サンタンドレ発、月曜夜[1832年6月11日]
アデール・ベルリオーズ[当時18歳]から[グルノーブルの]ナンシー・パル[当時26歳]

優しいナンシー姉さん、私たちはあなたの予定のことで判断がつかずにいます。土曜日にようやく届いたあなたの水曜日付けの手紙には、あなたが私たちに会いにこちらに来ることについて、なぜか一言も触れられていません。それなのに、あなたがたぶん今週末にこちらに来るだろうと、ラロシュ夫人が木曜日に書いてきてくれているので、どうしたらよいか分からなくなっているのです。これ以上長く私たちを期待と不安の間に打ち捨てておかないで、すぐに返事をください。昨日、私たちとの夕食の席で、ヴェロン家[ベルリオーズ家と交際のあった富裕な家族]の女性たち[ベルリオーズ家の姉妹、特にナンシーと親しかったルイーズ・ヴェロン(当時23歳)とその母親のこととみられる]から、来週の月曜日(知っていると思いますが、この日が晴れの日[ルイーズの婚礼の日]となります)にあなたが来てくれることを当てにしていると伝えて欲しいと言われました。ですから、大急ぎでおしゃれをする支度をして、身に付けられる一番よいものを全部持って、こちらに来てください。きざな男の人や気取った女の人が大勢来るでしょうから。私たちはいま、あなたが金曜日か土曜日に来てくれるのを待ち構えています。ヴェロン家の女性たちが招いてくれたことは、私にはたいそう嬉しい驚きでした。それに、いくらか楽しめそうだとも思っています。いつもどおり私は自分の好奇心の求めにこたえるでしょうし、私が自分の知らない[用紙破損]がとても好きだということも、あなたの知っているとおりです。それから、私はもう綺麗なドレスやスカーフを身につけても少しはしゃいだ気分になったりしませんが、たとえそうでも、そうしたことが何か心地よいことであることに変わりはありません。[L’invitation de ces dames m’a surprise fort agréablement. Je pense que je m’amuserai un peu, d’ailleurs. Je satisferai toujours à ma curiosité et tu sais que j’aime beaucoup [papier déchiré] que je ne connais pas, puis quand je n’aurais plus la petite satisfaction de me parer de ma jolie robe et de mon écharpe, ce serait bien toujours quelque chose de gentil.]私はあなたが出席することを疑いたくないので、あなたに渡してと言われてルイーズから預かっている小瓶(flacon[リキュール、香水等用の瓶])とドラジェ[アーモンド、ピスタチオの実を糖衣で包んだボンボン。一般に結婚祝いには白のドラジェが配られる由。出所:小学館ロベール仏和大辞典]は、そちらに送らないでおきます。あなたが来ればそれらを受け取ってもらうことができますが、そうでないと、「あら皮」でできた素敵な扇まで持っていた私が、それにもかかわらず、それらを全部とっておくことをあなたに請け合うことになります。[文意不詳。なお、「あら皮(peau de chagrin)」の語の意味につき、訳注2参照。原文:Comme je ne veux pas mettre en doute que tu seras de la partie, je ne t’envoie pas les flacons et les dragées que Louise m’a remis pour toi. Tu viendras les chercher, autrement je t’assure que je garde tout, malgré que j’aie eu aussi un joli éventail en peau de chagrin.]。大切なお姉さんが来てくれることが、私には必須です。それがかなわないなら、私はその人のボンボンを食べて悲しみを忘れようとするでしょう[Il me faut ma chère sœur, on bien je me consolerai en mangeant les bonbons qui lui appartiennent. 〜on bienをou bien と解して訳出]。さあこれで、あなたが冒している危険がどんなものか、分かってくれたと思います。しかるべき行動を起こしてください。

一昨日、私たちはプワンティエール(Pointières)[ヴェロン家がラ・コートの隣町、ジロネ(Gillonnay)に保有していた邸宅]に行って、[新郎から新婦への]素晴らしい贈り物(corbeille)にみとれました。私はすっかり目を奪われてしまいました。忘れられているものは一つもなかったのです。インドのカシミア、フランスのカシミア、とても綺麗なブロンドレース、羽布団(plumes)、ビロード、薔薇色と白のモアレ、ダイヤの指輪、camés[不明。Camée(カメオ)のことか]、腕時計、鎖、ストール、アングルテール(Angleterre[不明])、絹の靴下、スコットランドの麻糸、ブロンドのスカーフ、刺繍入りのハンカチ、扇、その他、いまは覚えていない、たくさんの品々がありました。これらの素晴らしい品々はどれも、グルノーブルから見に来る価値が十分にあります。まして、それらを身に付けようとしている当人[新婦]は、なおさらです。私たちの大切なルイーズは、少しも悲しげな様子をみせていないし、[婚礼当日は]幸せそうな表情が顔に浮かぶでしょうから、さらに美しくなるに違いありません。エクトル兄さんは、彼女は自分の新しい役にすっかり馴染んでいるようだと言っていました。彼は、挙式を控えた若い女性が自分の素晴らしい衣装を披露するときは例外なく特別な感情に包まれていて、血の気を失っているに決まっているだとか、その他色々なことを信じ込んでいたのです。彼はこのことで私をたくさん楽しませてくれました。[Notre chère Louise sera vraiment superbe, d’autant plus qu’elle n’a point l’air triste du tout et qu’elle sera encore embellie par l’expression de bonheur dont sa physionomie porte l’empreinte. Hector trouve qu’elle a l’air tout à fait accoutumée à ce nouveau rôle. Il croyait qu’une fille qui se mariait ne devait montrer ses beaux chiffons qu’avec une émotion extraordinaire et devait être pâle, que sais-je encore ? Il m’a beaucoup divertie à ce sujet.]。大切なエクトル兄さんは、とても快活にしています。前の帰省の時と、何という違いでしょう。今はもう別人のようです。私は、あの不実なカミーユ[・モーク]を、彼がいまどう思っているのか、知りたくて仕方ありませんでした。このことを私の方から話題にする勇気をなかなか持てずにいましたが、この話題をそこまで恐れることはありませんでした。彼の方から私にこの件を切り出し、とても長い話をして、彼女をとても軽蔑しているので、憎む価値すらないと思っていると言っていました。

この言葉を聞いて、私は本当に息をするのが楽になりました。私たちは今ではこのことで、その他の多くのことについてと同様に冗談を言うことさえよくあります。昨日は、ローマ滞在中、彼が首謀者になってした色々ないたずらの話で、私たちを大笑いさせてくれました。彼は、とても多くの人や物事を見てきているので、毎日新しい話をしてくれます。兄さんが来てから、私はとても楽しい時間を過ごしています。彼はいつも熱心に仕事をしていて、私は彼のシャツを繕いながら、それに付き添っています。あなたはたぶん驚くと思いますが、信じられないことに、私にはそうすることが少しも苦になりません。彼のために働くことがとても愉しいのです。あなたが笑っている様子が目に浮かびますが(意地悪な人!)、ばか正直に打ち明ければそうなると分かった上で書いています[Je te vois rire, méchante, mais je m’y attendais après mes naïvetés]

蚕は、もう目を覚ましているのですが、私はまだ触れていません。私には繕い職人の仕事があって、それに精を出しているので、蚕室に行っていないことを悪いとは思っていませんが、数日中にはそうも言っていられなくなるでしょう[Pour les vers à soie, je ne les ai pas encore touchés malgré qu’ils se réveillent déjà des froids, mais grâce à mon emploi de raccommodeuse que je remplis avec beaucoup d’ardeur je ne trouve pas mauvais que je n’ai pas paru à la magnanerie mais dans quelques jours cela changera de note. 〜des froidsの意味不詳。脱皮前の蚕の静止状態(眠〜みん〜と呼ばれる。出所:埼玉県ウェブサイト)を指すものであろうか。ただし、これに当たる訳語は辞書に見出されなかった]

さようなら、大切なお姉さん。水曜日にはお返事をいただけるものと思っています。それまでの間、こちらではあなたやカミーユさん[ton mari〜ナンシーの夫]の話で持切りになるでしょう。カミーユさんに宜しくお伝えください。こちらでは大切なエクトル兄さんがそばにいますが、私の掛け替えのない義兄、カミーユさんのことも、エクトル兄さんと同じように大切で、同じようにいつもいつも(bien bien souvent)思っています。さようなら、あなたを優しく抱擁します。

愛する妹より(了)[『家族の手紙』No.287]

訳注1/参照文献
本文中の「ヴェロン家」及び「プワンティエール」に係る訳注の作成に当たり、『家族の手紙』第1巻(376頁以下)「Louise Veyron-Lacroix puis Boutaud(ルイーズ・ブト、旧姓ヴェロン・ラクルワ)」に関する同書の編著者Pascal Beyls氏による解説を参照した。

訳注2/あら皮(peau de chagrin)
バルザックの小説『あら皮(La Peau de chagrin)』(1831年発表)に登場するシャグリーン皮(すなわち「あら皮」[chargin又はpeau de chagrin]〜ヤギ、羊等の動物[作中ではオナガーと呼ばれるロバ]の皮から作られるなめし皮の一種)の護符は、持ち主となった者のいかなる望みをもかなえる力を持つ一方、その力を発揮する度に小さくなっていく性質を持っている。護符の大きさは、持ち主の余命の長さを表し、持ち主となった者は、護符が次第に小さくなり、ついに消失するとき、自らの命もまた尽きる運命を甘受しなければならない。この小説の主人公である貧しい青年は、すべての所持金を失った後、たまたま入った骨董屋の店主からこの護符の持ち主となることを持ちかけられ、承諾する。彼の運命はたちまち一転し、彼は、思いがけず莫大な遺産の相続人となって富裕な生活と侯爵の地位を手にする。だが、彼のあら皮は、その後も彼の望みを(うかつに欲したことを含め内容を問わず容赦なく)成就させ続け、その度に小さくなることをやめない。彼は、迫り来る死の恐怖に戦慄する・・・。

この小説の発表後、「peau de chagrin」(「あら皮」又は「あら皮のごときもの」と訳される)という言葉は広く人口に膾炙し、財産など、徐々に減っていき、しまいにはなくなってしまうものの例えに用いられるようになったという(小学館ロベール仏和大辞典、三省堂クラウン仏和辞典、下記参考書籍1の訳者解説等)。ただし、アデールの手紙が書かれた1832年6月は、小説『あら皮』が発表されて1年と経たぬ時期であり(参考書籍2、3の年譜によれば、『あら皮』の発表は前年の8月)、この言葉のこうした使われ方がどの程度広まっていたかは定かでない。それでも、この手紙で、アデールが姉のナンシーに、早くラ・コートに来ないと預かっているお菓子を食べてしまうかもしれないという、お茶目な冗談を言って来訪を促すなかで、ことさらこの言葉を用いていることは、少しずつ減っていき最後にはなくなってしまうお菓子のイメージを姉の心に呼び起こすことを意図した、意識的な選択であるように感じられ、バルザックの作中での「あら皮」の働きが、この時点で既に姉妹の間で共有された知識となっていることを窺わせる。すなわち、姉妹は、当時、この小説を既に読んでいたか、少なくともこの小説のあらすじ、特に作中における「あら皮」の働きを、知っていたものと推測される。

他方、ベルリオーズは、この後間もなく友人トマ・グネに宛てて書いた手紙(1832年8月25日付。書簡全集287)で、ラ・コートでの自分の生活ぶりを説明する中で、作品名は明らかにしていないものの、「ド・バルザック氏」を読んだ旨を語っている。この点に関し、『書簡全集』の編者、ピエール・シトロンは、ベルリオーズが読んだ本は、同年5月に出版された『私生活の情景(Scènes de la vie privée)』第2版か、前年(1831年)11月に出版された『哲学的な小説及び短編(les Romans et contes philosophiques)』のいずれかではないかと推測している(同書第2巻30頁脚注1。同注によれば後者は『あら皮』を収録していた)。上述のとおり、『あら皮』の初版は、時期的にこの本の出版と大きくは異ならない1831年8月に刊行されているから、シトロンの候補リストには、この初版も加えて差し支えないと思われる。また、小説『あら皮』は、バルザックがはじめて「ド・バルザック」の署名を付して発表した作品で、彼は、この作品の成功によって人気作家となり、文壇での地位を確立したとされている(参考書籍2、3の年譜)から、この点からも、ベルリオーズ家にあった本は、候補となり得るいくつかの出版物のうち、当時いわばベストセラーとなっていた、この作品を収録したものであった蓋然性は高いと考えてよいと思われる。すなわち、エクトル、ナンシー、アデールの3きょうだいは、ラ・コートのベルリオーズ医師の家で、同じ一冊の本で小説『あら皮』を読んだ可能性が、相当程度あるということである(ナンシーも、1832年1月に結婚するまでは、両親やアデールと、この家で過ごしていた)。

ただ、これらのことを考慮しても、アデールがこの手紙で「『あら皮』でできた素敵な扇まで持っていた」と書いていることの意味は、十分には明らかにならない。すなわち、おそらくこの二人の間では、この手紙が書かれる前にも、アデールが持っていたシャグリーン皮(「あら皮」)の扇をめぐり、バルザックの小説との関連で、ジョークを含む種々の会話が交わされており、この言葉は、それらをも踏まえた上で選ばれ、用いられたのではないかと推測されるのである。

(参考書籍1)
『あら皮―欲望の哲学』、バルザック、小倉孝誠訳・解説、『バルザック「人間喜劇」セレクション』第10巻、藤原書店、2000年
(参考書籍2)
『バルザック「人間喜劇」全作品あらすじ』、大矢タカヤス編、奥田恭士、片桐祐、佐野栄一執筆、『バルザック「人間喜劇」セレクション』別巻2、藤原書店、1999年。所収年譜(佐野栄一、大矢タカヤス作成)
(参考書籍3)
『世界文学大系23バルザック★』筑摩書房、1960年。所収年譜(水野亮編)

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