手紙セレクション / Selected Letters / 1832年6月21日(28歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

ラ・コート・サンタンドレ発、1832年6月21日
[グルノーブルの]アルベール・デュボワ宛

親愛なアルベール、重ねての招待と、情愛のこもった咎めの言葉をありがとう。前者については、必ずお言葉に甘えようと思う。後者について釈明すれば、グルノーブルに入るまでは、乗合馬車を離れる訳にいかなかった。木箱、トランク、楽譜の包み ed altre robbe[イタリア語。「及びその他の品々」の意。なお、robbeは正しくはrobeとすべきところであろう]を携行していて、それらから目を離すのは思慮深いことではなかったのでね。グルノーブルに着くと、今度は一通の手紙が失われたせいで両親が僕の安否を心配しているということが、妹[ナンシー]の話で分かった。という次第で、僕はかねて貴君に約束し、大いに楽しみにしていた訪問を、たぶんそう遠くはない別の機会に委ねることにして、ラ・コートに向け、すぐに出発しなければならなくなった。

聞くところによれば、貴君は、今もnell’ebrezza[イタリア語。「陶酔の状態」(ここでは「新婚の陶酔状態」の意)]にあるそうではないか。大いに結構!少なくともどこかには幸福な人がいる、ということだからね。が、してみると、ええい、この悪人め!貴君は、自身の幸福を目の当たりにして、残骸と化した僕を眺めることで、より気持ちよくそれ[自分の幸福]を味わおうと、僕を招いてくれていることになる。つまり、貴君は、貴君の最新鋭の軍艦(votre beau vaisseau)とその真新しい索具、その優秀な乗組員を、僕の、それだけは無傷でいる火薬庫(une bonne Sainte-Barbe)と、安らぐべき時が来れば躊躇せずそれに火を点ける勇敢な手を残し、他はすべて失って、ほぼ出鱈目に進んでいるだけの、いまやマストすらない旧式の軍艦(ma frégate démâtée)、破片で覆われたその甲板と、較べたいのだね。

なに、構うものか。僕はこの有様を貴君にお見せしよう。

ただ、予めお知らせしておくが、僕はとても太っている。僕を痩せさせることができるのは、激しい情熱がもたらす惑乱(l’agitation des passions violentes)だけで、僕のヴェスヴィオ火山は、前回の爆発以来、外見上は穏やかにしている。とまれ、二人で大いに語り合おうではないか(Nous causerons, nous causerons.)。

次の月曜、ベレーでフェランに会う。そこからグルノーブルへ行き、その後ラ・コンブ[・ド・ランセ(La Combe de Lancy)。デュボワ家は、この町にシャトー(大邸宅)を所有していた]に行く。だから僕らはせいぜい8日から10日のうちに再会するだろう。

さようなら。
貴君への神の加護を祈る[デュボワは敬虔なカトリック信者だった]

エクトル・ベルリオーズ tout cour[肩書なしの]

追伸
この手紙の「デュボワ様」の宛名に、「法学生(élève de l’école de droit)」なる肩書を書き添えた、僕の悪ふざけ(ma mauvaise charge)の意味が分かっただろうか?・・・そう、僕にくれる手紙の宛名に、貴君がいつも「パリ音楽院生(élève du Conservatoire)」と書き添えるのを、手本にさせてもらった次第だ。

第2の追伸
貴君から直々にご紹介いただくまでの間、デュボワ夫人にどうか宜しくお伝えください。(了)[書簡全集278]

訳注/参照文献
本文中のデュボワに関する訳注の作成に当たり、「書簡全集」第1巻560頁以下の解説(Pierre Citron執筆)、「家族の手紙」第2巻28頁以下の解説(Pascal Beyls執筆)を参照した。

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