手紙セレクション / Selected Letters / 1832年6月1日[推定](家族の手紙)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

グルノーブル発
ナンシー・パル[ベルリオーズの上の妹。当時26歳]からラ・コート・サンタンドレのアデール・ベルリオーズ[下の妹。18歳]

大切なアデール、どうかこの手紙の持参人[エクトルのこと]に会っても我を忘れてしまわずに、その人がそこ、つまりあなたのすぐそばにいても、私の手紙を最後まで読んでください。それと、その人がそちらに着いたときのことを、とにかく早く、詳しく知りたいと強く願う私の気持ちを、そのまま伝えておきます。昨晩のことでした、私は、叔父さん[エクトルの父ベルリオーズ医師の弟、ヴィクトル・ベルリオーズのこと。当時はグルノーブルの控訴院判事だったようである(書簡全集1巻p.558参照)]と一緒にジエール(Gières[グルノーブル郊外の町]に行ってオディール[この年3月に結婚したヴィクトルの娘]に会い、その帰りにテセール夫人の家に寄り、それから帰宅しました。夫は寝ていましたが、義母が私にこう言うのです。「男の方が一人、カジミールと一緒にあなたを訪ねて来ましたよ。2度来たのですが、名前は言いませんでした!」「えっ、まさか(non)」私は言いました。まあ、随分と間の抜けた、無作法な人もあったものです!(Alors c’est un imbécile ! oui un animal !)その直後に、呼び鈴が鳴りました。「さっきの人ですよ、たぶん」でも、実際に姿を見せたのはカジミールさんで、私にこう言うのです。「マダム、あなたのお兄様の消息を知らせてくれる人をお連れしています。」私はもう長く兄さんから連絡がないことを知っていたので、急にとても不安になりました。報せをもって来たというその人に会おうと、急いで近付いていったのですが、見れば何と、それは、あなたも知るその人[エクトル]だったという訳です・・・。そのときの驚き(surprise[後続の文との関係から、ここでは「思いがけない喜び」との意味合いが強いものと思われる])と言ったらありませんでした。人生には、他の多くの[やりきれない]瞬間を受け入れるため、こんな[嬉しい]瞬間も、いくらかは必要です![Il faut quelques moments comme ceux-là dans la vie pour en faire passer tant d’autres !]。私は眠そうなカミーユ[ナンシーの夫。下記注参照]を兄さんに見せたくなかったし、第一印象が良いものになることを心から願っていたので、眠りから覚めたばかりで目をこすっている男性の呆然とした顔を彼に見せようとは全く思いませんでした。彼は、今日の午後、公判から帰った夫と、初めて会いました。彼がどう思ったかは、本人があなたに話すと思いますが、気に入ってくれているように私には見えました。分かってくれると思いますが、二人の初対面は、私には、かなり気の揉めることだったのです(Cette première entrevue me tourmentait un peu : tu comprendras cela.)。昨日、お母さんから手紙が届きました。内容はそれほどぐちっぽくなくて、私が几帳面に手紙を書いていることに満足してくれているようだったので、嬉しく思いました。お祖父さん[ベルリオーズ夫人の父、ニコラ・マルミオン〜グルノーブル郊外の小さな町、メラン在住〜のこと]はサン・ヴァンサン[ナンシーの夫、カミーユ・パルがグルノーブル郊外の町、ヴォレップに所有していた邸宅]で大いに歓迎されたと、お母さんに伝えてください。お祖父さんは、先週の火曜、メランで馬を借り、持っている小さな馬車を彼の庭師に御させてここに来ました。朝7時、私は急いで服を着て、昼食にするものを持って彼の馬車に乗り、30分後に出発しました。彼は、サン・ヴァンサンの周辺を、寂しい(triste)けれども美しい場所だと判断し、「まあ、メランほどではないがね!」と言っていました(Oh ! disait-il, cela ne vaut pas Meylan !)。4時にここに戻って来て夕食を取り、その後帰りました。彼はいつも立ち上がるときにとてもぎくしゃくするのですが、その日は太腿がそれほど痛まないと話していました。思うに彼はいつもどおりで、体調が悪いようにはみえませんでした[Au reste il a toujours et ne paraît pas mal portant.]。エクトル兄さんが今晩のうちにそちらに行くと言い出さなければ、私たちは明日、彼をメランに連れていったところでした。けれども、彼は、[ラ・コートの家族の]皆が自分の安否を気遣っていると知って、何を措いてもあなたがたと再会することを望みました。とはいえ、彼もじきにまたこちらに来てくれるでしょうし、私もあなたとお母さんが蚕の世話を終え次第、彼があなたがたを少なくとも3週間は無理にでもこちらに来させてくれること、お母さんが自分がラ・コートにいなくても繭を売るか絹を紡ぐかできるよう手筈を整えてくれることを心から望んでいます。あなたがた[ラ・コートの家族]皆に、必ず近いうちにこちらに来て欲しいです。ヴィクトル叔父さんが彼のコルシカの仔馬を連れてサン・テティエンヌに出掛けてしまうというへま(maladresse)をしないでいてくれたら、気晴らしに彼の乗り物に便乗させてもらい、2日ばかりあなたたちと一緒に過ごしに行ったところなのだけれど、彼の馬車馬たちはいつものとおり他所で使われることになっていて、私を乗せる訳にはいかないとのことでした。だから、とにかく早くこちらに来てください。

さようなら。あなたのことはエクトル兄さんに任せます。私のドニャ・マリアは、駅馬車で送ってくれる必要はありません。特に急がないので、ついでの折があったときでよいです。とりあえず、私の別のピエロの色をあせさせ終えます。[Il n’est pas nécessaire de m’envoyer ma dona maria par la diligence, attendez une occasion, je n’en suis pas extrêmement pressée. Je finis de pâlir en attendant mon autre Pierrot. 〜「ドニャ・マリア」、「ピエロ」、「色をあせさせる」の意味不詳。衣料関係の言葉か?]特に忙しくなさそうにみえるのに、カミーユが帰ってきてこの方、あなたから手紙が来ないことに、とても驚いています。
さようなら。

追伸
虫歯と鼻風邪を別にすれば、私は健康です。兄さんはそちらで結婚式(noces)に居合せることになりますね。(了)[『家族の手紙』1巻No.285]

訳注1/参照文献
本文中の「サン・ヴァンサン」の訳注の作成に当たり、『家族の手紙』第2巻(209頁以下)「サン・ヴァンサンの地所(La propriété de Saint-Vincent)」に関する同書の編著者Pascal Beyls氏による解説を参照した。

訳注2/ナンシーの結婚
ナンシーは、1832年1月、グルノーブルの判事、カミーユ・パルと結婚し、同市のヌーヴ通り(現在のヴォルテール通り)の建物内のカミーユの住居(アパルトマン)に移り住んでいる。この地区には、その頃、富裕層に属する人々、法曹関係者等が多く住まっていたという。なお、同市は、革命前は高等法院(パルルマン)、この手紙が書かれた当時は控訴院(第2審裁判所)の所在地で、判・検事、弁護士、公証人その他の法律関係者が集まる、法律家の街でもあった。(出所:『書簡全集』1巻p.513(年譜)、『家族の手紙』2巻p.12注3(ヌーヴ通り関係)、中村義孝「フランスの裁判制度」立命館法学2011年1号、2号等)。

次の手紙

年別目次 リスト1(1819-29)  リスト2(1830-31)    リスト3(1832-)