凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
パリ発、1832年11月8日木曜日
アデール・ベルリオーズ宛
愛しいアデール、
パリに無事着いたことを約束どおり君に知らせようと、数行の短い手紙を書いている。演奏会[『幻想交響曲』の再演と『生への帰還〜メロローグ』(後に『レリオ、又は生への帰還』と題される作品)の初演]の準備でひどく忙しく、自由な時間が全然ない。こんな場合に決まって持ち上がるそれほど重要でない困難は、十分克服できると思っている。演奏家の人たちは前と同様、惜しみなく支援してくれていて、そのことについては自分たちを大いに頼りにして欲しいと言っている。パリには昨日の朝着いたばかりだが、僕の音楽装置(ma machine musicale)は、もう動き始めている。ヴィエンヌからリヨンまでは、グルノーブルのベルナール氏と一緒だった。リヨンでは、劇場でたまたまデプラニュ夫人の姉妹、フルーヴァン夫人と隣り合わせになり、デプラニュ夫人の消息を色々訊かれた。リヨンからパリへの旅も、僕のパリでの知り合いをよく知っている人たちと一緒で、大いに愉しく過ごした。パリでは、親しい人たちがとても温かく迎えてくれた。昨日はル・シュウール先生の家で夕食を取った。アルフォンスにも会いに行くが、これは少々遠出になる。というのも、僕の住まい、
ヌーヴ・サンマルク1番地
は、彼の家から1リュー[約4キロメートル]も離れているのでね。
さようなら、愛しいアデール、お父さん、お母さん、そして君を抱擁する。
追伸
君たちはプロスペールをどう放任したのだろうか ?・・・[文意不詳~原文:Comment avez-vous laissé Prosper? ~動詞 laisserには「~にかまわない」、「~をほうっておく」、「~を見限る」等の意味がある。ベルリオーズ家の末子、プロスペール(当時12歳)は、成長するにつれ学習拒絶、脱走等の問題行動が目立つようになり、ベルリオーズ医師はじめ、家族は手を焼いていた。](了)[書簡全集291]