手紙セレクション / Selected Letters / 1832年11月26日(28歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1832年11月26日
ナンシー・パル宛

愛しいナンシー、

わずかな空き時間を捉え、この手紙を君に書いている。一昨日、お母さんの手紙を、同封の短信と一緒に受け取った。できるだけ早い機会にそのことをお母さんに知らせてほしい。

僕の演奏会は、12日後の12月9日、日曜日と決まり、そう広告されている。何もかもが恐ろしくなるほど望みどおりに進んでいる。演奏家の人たちは、僕がパリに着くや、親愛の情に溢れた熱烈さで迎えてくれ、我勝ちに僕のオーケストラに参加してきた。器楽は、巨大な規模になるだろう。声楽は人数不足で、女声15、男声20以上は用意できない。ケルビーニは僕を愛想よく迎え、再会を喜ばしいとまで言った。オペラ座監督のヴェロン氏は、A.ヌリを出演させることは承知しなかったものの、別の歌手、デュポンを出してくれ、僕が訪ねて行くと、お世辞たっぷりの祝いの言葉を浴びせかけた。甘い言葉の後、何が出てくるのか、興味が持たれるところだ。彼は、僕の演奏会を聴きに来る。

演奏会の演目(Mon affiche)は、最高度に好奇心を掻き立てている。どこへ行ってもその話でもちきりだ。今回のようなゆとりは、これまで手にしたことがない。現時点ですべての準備が整っているのに、演奏会は、12日も先なのだ。僕はウジェーヌ・シューと知り合いになった。紹介してくれたのは、ルグ―ヴェ氏なる人だ(3万リーヴル[1リーブルは1フラン。この単位は年金や公債によく用いられたという。情報の出所:脚注参照]もの金利収入がある、感じのよい若い男性で、手紙で僕と知り合いになりたいと申し込んできた)。

ウジェーヌ・シューはいま、僕向けのオペラの題材を探している。その後それをある大家に頼んで韻文にするのだという。3、4人の人々がそれぞれ独立に僕に言うには、A.デュマが僕を想定した台本を仕上げたということだ。これはたぶん思い違いだが、彼の家に行って確かめる時間がまだ取れていない。

まあ、いずれはっきりするだろう。パリに戻って、思っていたよりずっと自分が有名になっていることに気付いた。僕がいない間に、パリの小さな新聞や雑誌が僕のことを頻繁に取りあげていたようだ。

お母さんの手紙によれば、君は元気で、カミーユ[・パル。ナンシーの夫]は、間もなくディジョンに発つのだそうだね。プロスペールは、また元の行いに戻ってしまっているのだね。どうするのか知らせてくれたまえ。スミッソン嬢が当地に来ていることで、お父さんが心配しているとのことだが、あの女(ひと)は、あらゆる面で以前とはすっかり変わってしまっていて、もう僕にばかなことをさせることはないから、ご安心くださいと伝えてくれないか。

昨日、カミーユ[・プレイエル、旧姓モーク。ベルリオーズのかつての恋人、婚約者]の家で夕食をしたある音楽家の話では、彼女は僕のことを色々聞きたがっていたそうだ。ご主人に2度も遮られたのに、話題を変えようとしなかったという。こっけいな話だ。今に分かる。彼女が見出すのは、彼女が思い描いているウェルテル[ゲーテ『若きウェルテルの悩み』の登場人物。人妻への報われぬ恋に悩み、自死する]ではもはやなく、ドン・ファン[「スペインの伝説的人物。漁色家で不信心者。モリエールの戯曲、モーツァルトのオペラなどの主人公となる。」(小学館ロベール仏和大辞典)]でしかないのだ。

さようなら、愛しい妹よ。君を抱擁する。

H.B(了)[書簡全集293]

訳注/本文中の貨幣単位についての注記は、「バルザック『人間喜劇』セレクション」(全13巻・別巻2巻、鹿島茂・山田登世子・大矢タカヤス責任編集、藤原書店、1999−2001年)巻末資料「19世紀の換算レート」によった。
なお、同資料は、1フラン=約千円とする。

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