凡例:緑字は訳注
パリ発、1830年12月30日
ステファン・ド・ラ・マドレーヌ宛
貴君に別れを告げる時間が、見出せなかった。夕刻はいつも人に会っていて(相手が誰かは、分かると思う)、オペラ座に顔を出せなかったのだ。そのような次第で、手紙でさようならを言うほかなくなってしまった。僕は出発する。だが、幸いなことに、不安をもたずに。僕のエーリアル、僕の天使は、もう僕から引き離されはしない。僕らは十分に固く結びついているので、僕ら自身の意思によるのでなければ、別離はあり得ない。僕はまたひとつ辛酸を嘗(な)めねばならなかった。こんなふうに出発するという・・・。ああ、益体もない仕来たりの奴め!・・・お前[仕来たり]の支配は、まだ長く続くのか?・・・いくら平手打ちを食らわしてやっても、お前はその笑うべき間抜け面を、なおもたげてくる。それでも、僕はいつか、お前を屈服させ、踏み潰してやろうと思っている。
流浪の身でいる間、少しばかり大掛かりなものを書いてみるつもりだ。いま考慮中のある途方もない構想を形にするようにするから、僕が[パリに]戻ったところで、並外れたやり方で、音楽界を揺さぶってやろうではないか。それまでの間、貴君は倒れかかった伝統墨守主義の廃屋に突破口を開くべく、残存部分に砲撃を加えていてくれたまえ。それが、貴君の友情の新たな証しとなるだろう、
貴君の誠実な
エクトル・ベルリオーズへの。
12月30日、パリにて(午前2時)
追伸
6時間後、僕は発つ。1人で。さようなら。(了)[書簡全集200]