手紙セレクション / Selected Letters / 1833年3月6日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1833年3月6日、
フェリクス・マルミオンからベルリオーズ夫人宛

気の毒な姉さん、しばらく前から僕らが貴女に知らせずにいたこのニュースが貴女にもたらす苦痛のことは、十分予想していました。僕らを救ってくれることができるのは、偶然だけです。というのも、エクトルが家族の意向や懸念のために些かでも犠牲を払うだろうといった考えは、全くの空論だからです。エクトルの熱情は頭の中のもので、これは、心を奪われるよりも、さらにまずい状態です( Sa folie est dans la tête : c’est encore pis que si le cœur était pris. )。彼と理詰めの話をすることは、全く不可能です。彼は、何にも耳を傾けようとせず、何事にも苛立ち、僕らを敵だと思っています。おそらく会うたびにこの問題を持ち出されるのではないかと思って、僕を避けているのではないかと思います。僕がパリに着いてから、彼が僕を訪ねて来たことは、まだ一度もないのです。アルフォンス[アルフォンス・ロベール。ベルリオーズの従兄弟。パリ在住の医師。回想録4章「パリに出たこと」、5章「医学修養の一年のこと」参照]とは、何度も手紙を書いたり会ったりして情報を交換し、この厄介な事態をどうにかして回避しようと努めています。僕らが今日までに見出した希望は、彼が父親に対して取っている手続が僕らにもたらしている猶予期間と、スミッソン嬢に起きた事故だけです。4日前、彼女は2輪馬車を降りようとして、足の骨を折りました。僕は当然、この事故の報せがあの火山のような気性の人[エクトルのこと]にどう作用するかを心配しました。けれども、僕の見たところ、彼はひどく悲しんではいるものの、思ったよりずっと落ち着いていました。2日前、僕は彼に手紙を書いて、ぜひともアルフォンスと一緒に僕と夕食を摂りに来るように言ってやったのです。そうして彼ら二人に待ち合わせ場所を知らせておいたのですが、やって来たのはアルフォンスだけでした。エクトルは、僕の誘いに返事も寄越さず、ただ、双方の知り合いのある音楽家を通じ、本人が作曲した作品の演奏されるコンサートのチケットを2枚、僕に届けてきただけでした。このようにして3人で集まるはずだったのが、この前の日曜です。集合場所でアルフォンスに会い、辺りを何周か歩いてもエクトルが姿を見せないので、アルフォンスと僕は、エクトルの家に行って彼を悲しみの状態から引き出し、無理にでも僕らとの少々の気晴らしに連れ出すことにしました。それというのも、それが僕らの作戦だったからです。僕らは、問題を感情的に扱うのではなく、冗談やいたずらで彼の常軌を逸した計画を撃破しようと考えていました。実際、会ってみると、彼は僕らにほとんど話しかけようとせず、部屋の中を大またで歩き回っていて、明らかに悲しんではいましたが、十分に落ち着いてもいました。アルフォンスと僕は、僕らの会合の計画をより自然に進めるため、スミッソン嬢の事故については知らないふりを通すことに決めていました。僕はまず、彼に言いました。「さてさて、僕らは一緒に食事するはずだったではないか、君は僕の手紙を受け取っているに違いないのに、何だって返事もくれないのか?」彼は応えました。「できなかったのです。そうすると、叔父さんたちはあの事故のことを知らないのですか?」(彼は例の事故のことを語りました。)それでも僕は、更に言いました。「そうだとしても、食べることはやはり必要ではないか。行こう!」「駄目です」彼は言います。「ある若者を食事に連れていかねばならないのです。」「その約束はどうにかできないのか?」「できますとも!でも、そうはしたくないのです。叔父さんたちは、僕の聞きたくない話をしようとしているのでしょうから。」ここに及んでアルフォンスと僕は悲しく退散しました。そうして二人で食事をしながら、失敗に終わった僕らの計画のことや、僅かしか残っていない希望のことなどを語り合ったという次第です。

僕は、スミッソン嬢を訪ねて二人の結婚に対するエクトルの家族のどうにもならない反対の意向を伝え、彼女の決意をぐらつかせるように努めてみようという考えを持っていました。ただ、その実行の日取りはまだ決めていません。第一、通訳をみつける必要がありますし、このような働きかけは、慎重に行わなければなりません。先日の事故で、このことを熟慮する時間ができました。

僕のいる場所が彼ら二人のそれぞれが住んでいる地区からひどく遠いことも、もう一つの難しさです。その上、色々な用務で夕方の5時、6時より早く宿営地を離れることがめったにできないので、なおさらです。たぶん手紙を書くことにすると思います(彼女宛に)。誤ったアプローチにならぬよう、とりわけ、あのおかしくなってしまった人[エクトルのこと]をひどく怒らせてしまうことのないよう、気を付けなければなりません!いずれにせよ、慎重に、大いに関心をもって対処しますから、その点はご信頼ください。

この一件は、僕が当地で彼や頻繁に行き合う他の多くの知人たちと過ごすことで得られたはずの喜びを、すっかり損なってしまっています。[以下略]

(了)[『家族の手紙』No.317]

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