凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
スビアコ発、1831年7月10日
家族宛
とうとう雨が降ろうとしています!雲が出ています!ああ!スビアコの空に幸いあれ!そして、いつも焼けつくように暑く、雷鳴も閃光も発しないローマの鉛色の空に災いあれ!この地スビアコは、僕がこれまでに見た中で最も画趣に富んだ場所です。ティヴォリにあるような滝こそありませんが、アニオー川とほとんど同じくらい大きい猛烈な急流を見ることができます。それは2、3の箇所で、ティヴォリの大滝ほど貫禄はないにせよ、同じくらいの轟音を発しながら、[滝となって]流れ落ちています。
そして、さあ、当地の山ときたら!そう、山です!僕は1時間前、そこから戻ってきました。今朝、画家の人たちが「鯨」(バレーヌ)と呼んでいる、高い岩塊に登りました。実際、この山の姿は、息をするため海上に姿を現した巨大な鯨に似ています。午後1時、僕はその頂上に辿り着き、その場所で石を積み、ドルイド教の祭壇の形をした石の板で仕上げをした小さなピラミッドを作りました。ああ!僕は真に呼吸し、真に見、真に生きていました![ Oh ! comme j’ai respiré, comme j’ai vu, comme j’ai vécu! ] 空には雲ひとつありませんでした。それより前(さき)、僕は30分ばかり手足を使って岩をよじ登り[ Je montais des pieds et des mains pendant une demi-heure,]、それから、密生したツゲの上で寝そべりました。慈悲深い風が僕を優しく揺らしていました。素晴らしい高所に至る前(まえ)、1軒の小さな空き家が目に入りました。葡萄の木やトウモロコシがたくさん植わった庭園を横切って生垣を越えると、オリーブの木が生えた感じの良い高台の牧草地に出ました。・・・僕はそのとき、15年前のお母さんがこの歌を口ずさむ声が聞こえたような気がしました。
僕の愛しいあの女(ひと)と
春の季節[「若い時代」の意も]を過ごせるような
果樹の木陰が側(そば)にある
小さな家があったなら
[Que je voudrais avoir une chaumière
Dont un verger ombrage l’alentour,
Pour y passer la saison printanière
Avec ma mie et ma muse et l’amour.]
もっと上の、これらの植生が終わったところで、まばらな穂を刈り入れている農民たちに出会いました。彼らは、僕がたった一人、一見してそれと分かる目的もなしに(銃はスビアコに置いて来ていました)登ってきたのを見て、不安に感じたようでした。当地にはジェタトーレ(呪いをかける人々)[ les jettatores 。人に不幸をもたらすまなざしを投げるとされた、「呪いの目」を持つ呪術師のこと。]に関する迷信がありますが、この人たちは僕をその一人だと考えたのだと思います。何処へ行くのか、この先の高所で何をするつもりかと、無愛想に訊ねてきました。幸い、良い考えが浮かびました。ある願懸けをマドンナにしていて、山に登るのはその実行のためだと答えたのです。懸念はそれで払拭され、彼らは再び刈り入れに専念したのでした。山頂に着くと、前日訪ねた聖ベネディクトの修道院が眼下に見えました。この修道院は、聖ベネディクトが悪魔の誘惑を避けるために刺のある野バラの茂みに身を隠したという話をよく僕らにしてくれた、あのデュラン老司祭を思い出させました。僕は聖ベネディクトが悪魔に立ち向かったという洞窟を見ました。祭壇のちょうど後ろがその洞窟になるように小聖堂が建てられていて、その横に小さなバラの木立があります。その一隅にバラの葉が積まれていますが、ベネディクト会の修道士は、その葉を幻覚を見る病人に与えているのです。幻覚はそれで治まるそうです。教会の中には、大いなる二つの奇跡の明白な証拠として、2丁の騎兵銃の残骸が架けられています。それらの銃は、猟師たちが弾薬を詰め込み過ぎたために破裂したのだけれども、その最中(さなか)、彼らが聖ベネディクトの加護を求めて祈ったところ、誰ひとり怪我をせずに済んだとのことです。ベネディクト会の修道士たちは、カルトゥジオ会の修道者と違い、僕の欲しかったコップ一杯の水も提供してはくれませんでした。スビアコは、聖アンドレに奉じられた(ラ・コートとの第二の共通点)薄汚れた町で、頂上に小さな砦のある円錐形に固めた砂糖の塊のような形の山を取り巻くように作られています。下方には、どうどうと轟音を上げる急流があります。この川は、他の人々になら富をもたらしたかもしれませんが、この土地の人たちには、ぼろ着の洗濯くらいにしか役立っていません。
食べものは、ジャガイモも牛乳もイチジクもオレンジもないのですが、ヤギ肉とヘーゼルナッツがふんだんにあり、毎日同じご馳走を食べています。僕のいる宿( la maison )には、この土地の素晴らしい自然の景観を写し取りに来たフランス人の風景画家が何人も滞在していて、夕食は彼らと摂っています。うち一人は、アカデミーの同僚です。もう一つの( [l’]auberge )もスイス人、アイルランド人、フランス人の風景画家たちでいっぱいになっています。僕らはもう互いに知り合いになっています。
昨日の夕方、宿の子どもたちが、近所の小さな女の子のタンバリンに合わせてサルタレロを踊っていたので、見にいくと、いちばん年かさの12歳の女の子が、甘えた様子でこう話しかけてきました。「 Signore, oh ! signore; pigliate la chitarra francese.[イタリア語。「お客さん、お客さん!フランスのギターを弾いてください。」]」僕は、キターラ・フランチェーゼ[同。「フランスのギター」。]を手に取り、バーロ[同。「ダンス、舞踏会」。]は再び、いっそう賑やかに、始められました。僕らの音楽を聴き、画家諸氏も踊りに加わりました。田舎の小さな女の子たちは、みな大喜びして、魅力的な無頓着さで踊り続けます。そしてその間、近所の女の子はタンバリンを振り続け、僕は、キターラ・フランチェーゼを指も擦りむけよとばかりにかき鳴らして、即興のサルタレロを演奏し続けたのでした!
マエストロ・デル・アカデミア・フランチャ[イタリア語。「フランス・アカデミーの音楽の先生」。]が来ていることは、町の誰もがもう知っていて、僕の知り合いの画家で町の社交界でも知られている人を通じて僕を取り込んで、地元の色々な音楽の集まりに加わらせようとする動きが出てきました。昨日は昼食の時間に、歌唱の指導者が町の有力者の一人と連れ立って僕のことを探りに来ましたが、ジベール(これが僕のアカデミーの同僚の名です)が僕が人間嫌いでひどく御し難い人物であることを彼らに分からせるように努めてくれたので、彼らも僕に直接申し出をしようとはしませんでした。僕は彼らがそうした申し出を控えてくれることを望んでいます。合唱団では、美しいご婦人方も歌っています。けれども、僕は散歩中に彼らを見たのですが、それは彼らの音楽が僕に与える苦痛を埋め合わせるに足りるほどのことではなく、僕は、彼らには何の役にも立てないでしょう。
7月17日
ああ、もし君たちがここにいたなら、ナンシー、君はどれほどこの土地に魅了されたことだろうか!アデール、君はどれほど山登りに眼を輝かせたことだろうか!(僕は、アデールがいつもみなの先頭に立ち、僕らの30歩も先を歩いていた、サン・テナール山[ベルリオーズの初恋の舞台となった町、メランの背後にそびえる岩山]登頂の遠足を思い出しています。)僕はいま、仕事の最中です。ときおり襲ってきては僕をひどく苦しめる気の鬱(ふさ)ぎに立ち向かっています。[これらの言葉について、ケアンズ(1部30章)はベルリオーズが序曲『ロブ・ロイ』(全作品CD1(4))に着手したことを推測させるものだと指摘する。この作品の主題は、後に彼のヴィオラ独奏付き交響曲、『イタリアのハロルド』の固定楽想に用いられる。]。ここでは雨もしばしば降るし、スビアコの町が暑すぎる場合、急流に下り、川の蛇行場所で照りつける日光を避けるという手もあります。そこでは空洞のある岩の上で、流水の轟音に、眠気を誘われるというよりは茫然とさせられながら、眠ることもできます。昨日は急流の絵を描いている風景画家たちに連れ出され、彼らとその場所に行きました。僕はギターを持って行き(この楽器は、たちまちのうちにジャンリス夫人の有名なハープのような存在になってしまいました。この人はいかなる場合もハープを離さず、ハープの話ばかりしていたそうです。)、僕らは、『ああ、山行の愉しさよ![ Sur les Alpes, ah! quel délice ]」』だとか、あの素晴らしい傑作、『吟遊詩人らの狩[ chasse des Bardes ]』だとか、僕のバラード、『エレーヌ』[ 『[アイルランド]9歌曲』第2曲。全集CD8(2) 、YouTube: Hélène berlioz ]だとかを、大いに歌いました。僕は決まって日に2度、これらの曲を彼らのために弾かなくてはならないのです。『オルフェ』等々の曲についても同様です。ただ、今日は急流の音が少しばかり近かったので、せっかくの熱唱も、あまりよく聞こえませんでした。それにしても、あの優しいル・シュウール先生は、まさか自分の作品がスビアコで大人気を博しているとは想像もしていないだろうと思います。僕らが山で足並みを揃えて歩きながら歌った先生の『吟遊詩人らの狩』は聴き手をすっかり魅了してしまいましたし、僕らの後をついて来た田舎の子どもたちも、リズムをとって表情豊かに体を動かして喜びを表していました。先生からは、まさにローマを発とうとしているときに手紙が届きました。僕は、ニースから先生に手紙を出していたのです。仕事の進捗について先生に尋ねられたことを詳しく説明した僕の第二の手紙を、オラス[・ヴェルネ]氏が先生のところへ持って行ってくれました。
今日がマドンナ・デル・カルミノの大祝祭の日なので、昨晩は灯りが飾られ、祝砲が撃たれました。僕らは明日、クリスピーノという名の若い山賊の結婚式に出ます。彼はこの山にまだ三月とは住んでいないのですが、僕ら全員を招待してくれました。僕は、贈り物としてニースで買ったスカーフを彼に渡しましたが、彼は、これは自分には綺麗すぎるから、彼のラガッツァ[イタリア語。女の子、恋人の意。]に与えると言っています。そのラガッツァの家が僕らの宿の近くにあるので、僕らには彼がラガッツァのために歌うセレナードが夜通し聞こえます。彼は、あるときはバグパイプ[ musette]の伴奏で歌い、またあるときはマンドリン、ギター、トライアングルの伴奏で歌います。歌はせいぜい10小節くらいの悲しげな長い叫びのようなもので、歌詞は彼の即興です。この地域には多くの未開な風習があります。夫たちが休んでいる間に、妻たちが荷物運びの重労働をしています。彼らはヤギを[食用に]殺すとき、肉屋に連れて行く前にその家畜に街路を走らせ、石ころ、棒切れ、泥を投げつけたり、どぶに追い落としたり、あらゆる方法で責め苛みます。その様子は、まさに捕虜を生贄にする[アメリカ・インディアンの]ヒューロン族さながらです。[住民たちの]貧しさはこの上なく、不潔さもまた然りです。たぐい稀な美しさをもった女性たちがいます。彼女らのほとんどが金髪ですが、これは、イタリアでは非常に驚くべきことです。かつてサクソン族の入植者たちがスビアコに本拠を置き、この地に金髪の人を増やしたと考えられています。
僕はお母さんたちからの知らせ[この手紙の名宛人は不明であるが、一応、母親宛に発出されたものとして、このように訳した。ナンシーやアデールに宛てて出されたのであれば、「君たちからの知らせ」と訳すところである。いずれにせよ、家族全員に回覧されることを想定して書かれたものことに変わりはない。]をいつも待ち焦がれています。4日前にローマから当地に入ったある彫刻家からローマには僕宛の手紙は届いていないと聞きましたが、これには少々驚きました・・・。ですが、僕はもうこういうことに慣れっこになっていて、遅延なく手紙を受け取れるかどうかは、非常に多くの場合、ただお母さんたち次第だと分かっています。[ mais, j’y suis fait à présent, et je sais que bien souvent il ne dépend que de vous de m’éviter ces retards.]。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集236]