凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
ローマ発、1831年7月3日
アンベール・フェラン宛
貴君の消息を、やっと知ることができた!・・・僕は実際、何か尋常でない事情があるのだろうと思っていた!貴君はいま、スイスに来ていて、その地の氷河に大いに魅了されているのだね。それを愛でようと、貴君がしばしば出かけているというのも、大いに納得できる。僕は、ニースからローマまで、コルニッシュ街道経由の、たいそう画趣に富んだ、2日半の旅をした。街道は、海から600ピエ[およそ200メートル]も上方に、岩を削って造られたもので、波が真下で砕けているのだが、その轟(とどろ)きは、街道上の人には、聞こえない。それほどの高所なのだ。これほど素晴らしく、そして恐ろしい眺望は、他にない。僕は、あまりにも悲しい時を過ごした場所、フィレンツェに、名状し難い充足感をもって、舞い戻った。部屋も、前と同じだった。僕はそこで、自分のトランク、衣類、総譜[複数]と再会した。二度と見ることはあるまいと思っていた品々だ。フィレンツェからローマに至る道中は、何人かの親切な修道士と一緒だった。フランス語にすこぶる堪能で、きわめて礼儀正しい人たちだった。サン・ロレンツォで馬車を降り、着替えや(土地の名物の)山賊を誘引する可能性のある持ち物をすべて馬車に残して、馬車の出発時刻より2時間早く、ローマに向け、徒歩で出発した。ボルセーナ湖という、美しい湖に沿って進み、ヴィテルボの丘陵地帯を抜ける道を、一日中歩いたのだが、そうして歩きながら、作品を作っていた。その作品が、いま、仕上がったところだ。『幻想交響曲』の続編となり、それを完結させる、音楽独白劇(メロローグ)[後に『レリオ、又は生への帰還』(全集CD2、同3)と題される作品]だ。僕は初めて、音楽と言葉の双方を、自分で作った。それを貴君に見てもらえないことを、どれ程残念に思っていることか!作品は、6つのモノローグ(独白)と、(それらが導く)[次の]6つの音楽で構成されている[ Il y a six monologues et six morceaux de MUSIQUE (dont la présence est motivée).]
第1曲 初めに、ピアノ伴奏のバラード
第2曲 コーラスとオーケストラによる、瞑想曲
第3曲 コーラス、独唱、オーケストラによる、山賊暮らしの情景
第4曲 幸福の歌。開始部と結尾部は、独唱とオーケストラが演奏し、中間部では、右手で奏される一台のハープが、その歌唱を伴奏する。
第5曲 オーケストラのみで演奏される、ハープの最後の吐息
そして最後に、
第6曲 『あらし』序曲。貴君の知るとおり、パリ・オペラ座で既に演奏した作品だ。
僕は、『幸福の歌』に、貴君が総譜を所蔵している『オルフェウスの死』[1827年ローマ賞コンクール提出作品。全集CD7。]の中の、あるフレーズを用いた。それから、『ハープの最後の吐息』も、[『オルフェウス』の]バッカナルのすぐ後で、この情景を結ぶ、オーケストラの小曲を使う。そこで貴君にお願いだが、このページを、僕に送ってくれないか。バッカナルに続くアダージョの部分だけでいい。ヴァイオリンが弱音器を付け、遠くのクラリネットが奏する歌の旋律と、ハープが奏でるいくつかの和音の断片とを、トレモロで伴奏する箇所だ[全集CD7(5)]僕は、この部分を記憶から書き起こせるほど正確には覚えていないが、元の作品を、一音たりとも変えたくないのだ。ご明察のとおり、『オルフェウスの死』は、犠牲にされることになる[ la Mort d’Orphée est sacrifiée; ]。僕は、この作品から、自分の気に入った部分を取り出す。そうなると、バッカナル[全集CD7(4)]を上演することは、決して出来なくなる[1827年のローマ賞審査では、ピアニストのリフォーがこの箇所のオーケストレーションのピアノ演奏に失敗したことが原因となり、ベルリオーズの提出作品に「演奏不能」との判定が下された。以来、ベルリオーズは、この作品の実演を自ら企画し、書かれたとおりにオーケストラで演奏することが可能であることを立証したいとの意欲を持っていた。]。だから、パリに戻ったら、この作品の総譜は、燃やしてしまうつもりだ。そうすると、もし、それにもかかわらず、貴君がいま持っている総譜を保存した場合、それは、唯一にして、最後の総譜となる。その総譜は、将来、僕が貴君に[幻想]交響曲とメロローグの総譜各1部を送ったときに、消滅させてしまう方が、ずっとよいと思う。とはいえ、それは、600フラン[1フラン約千円とすると、約60万円]以上の写譜代が要る話だ!だが、そんなことはどうでもよい。パリに戻ったら、いずれにせよ貴君には、これらの作品の総譜をもってもらわねばならないと思っている。[フェランは『オルフェウスの死』の総譜を保存し、それは、この作品の姿を後世に伝える資料となった。]
そういう訳で、合意は成立だ、貴君は僕にこの小品を大いに細やかに筆写してくれる[ vous allez me copier très fin ce petit morceau, ]、僕は、これから幾らかの時を過ごそうとしている、スビアコの丘陵地帯で、その完了を待つ、とね。いかなる場合も、楽譜は、ローマに送ってくれたまえ。僕は、岩場や急流を踏破して、いまいましいこの兵舎[在ローマ・フランス・アカデミーの館、ヴィラ・メディチのこと]で僕を覆っている、陳腐さの害毒を振り払うべく、努めるつもりだ。アカデミーの実業家諸氏と共有する空気は、僕の肺には、不向きだ。だから僕は、もっと清浄な空気を吸いに行こうとしている。持って行くのは、粗末なギターひとつ、銃を1丁、五線紙帳、何冊かの本、それに、かの地の森の中で何とか孵化させようと考えている、ある大規模な作品の卵だ。
かねてから貴君と成し遂げたいと考えていた大掛かりなプロジェクトがある。パリのオペラ座か、パンテオンか、ルーブル宮の中庭で開く、音楽式典での演奏を想定した、巨大なオラトリオだ。『世の終わりの日( le Dernier Jour du Monde )』と題されることになるだろう。作品の構想は、フィレンツェで書いた。歌詞の一部は、3ヶ月前に書いた。演奏には、独唱歌手が3、4人、各声部のコーラス、舞台前に位置する奏者60人のオーケストラ、それに階段状の舞台の奥に位置する、200人か300人の、もう一つのオーケストラが必要だ[ Il faudrait trois ou quatre acteurs solos, des chœurs, un orchestre de soixante musiciens devant le théâtre, et un autre de trois cents ou deux cents instruments au fond de la scène étagés en amphithéâtre. ]。
人々は、堕落の最終段階に達し、ありとあらゆる悪業に耽っている。一種の反キリスト[キリストの名と権威を否定するもの。ヨハネ福音書では終末の世に現れるとされる~小学館ロベール仏和大辞典.]が、彼らを専制的に治めている。・・・蔓延する退廃の只中、ある一人の預言者に率いられた、少数の正しい人々が、これと対照をなしている。暴君は、彼らを苦しめ、その乙女らを誘拐し、彼らの信仰を嘲り、乱痴気騒ぎの中、彼らの神聖な書物を引き裂かせる。預言者は、ついに暴君の罪の数々を責め、世の終わりと最後の審判を予言する。腹を立てた暴君は、預言者を投獄させ、再び冒涜的な悦楽に身を委ねるが、ある饗宴のさなか、キリストの再臨( la résurrection )を告げる、凄まじいトランペットの音に、吃驚させられる。死せる者たちは墓を出、度を失った生ける者たちは恐怖の叫びを上げる。諸世界は粉砕され、天使たちが大雲の中で雷鳴を轟かす。この音楽によるドラマのフィナーレは、これらの出来事で構成される。お見通しのとおり、それには、まったく新しい手法の採用が必要だ。2つのオーケストラに加え、4つのグループの金管楽器が、会場内の4つの要(かなめ)となる場所に配置される。これらの組み合わせは、きわめて新しいものになるだろう。そしてその結果、通常の方法では実現できない、無数の命題が、このハーモニーの塊から、光を放ちながら姿を現すだろう。
この作品の詩を作る時間が、貴君にあるかどうか、考えてみて欲しい。貴君にぴったりな題材だと思うし、貴君が素晴らしい仕事をしてくれることを確信している。レシタティフはごく少なめに・・・独唱歌曲も少しにして・・・[ Très peu de récitatifs… peu d’airs seuls…]。大破壊の場面や金管楽器を必要とする場面は、作らずにいてくれたまえ。それらを聴かせるのは、全曲の終わりのみにしたいから。[異なる要素の]対置については・・・敬虔なコーラスと舞踏のコーラスの一体化、あるいは、田園、婚礼、酒盛りといった場面相互のそれが考えられるが、それも、月並みなやり方を避けつつ、のことだ。詰まるところ、貴君には、分かると思う・・・。[ Des oppositions … des chœurs religieux mêlés à des chœurs de danses; des scènes pastorales, nuptiales, bachiques, mais détournées de la voie commune; enfin, vous comprenez…]
このような作品は、望みどおりのタイミングで演奏されることは、期待できないだろう。特に、フランスでは。それでも、いずれ、手立ては見つかるだろう。その一方で、それは、とんでもない出費と尋常ならざる時間損失の元になるだろう。考えてみてくれたまえ、場合によっては上演されずに終わる危険を冒しても、この詩を作ってみたいという気持ちに、貴君がなれるか否かを・・・。そして、できるだけ早く、返事をくれたまえ。
今月末、貴君に100フラン送る。残りも同様に、少しずつ送っていくつもりだ。
さようなら。友情を込めて。(了)[書簡全集234]
訳注/『オルフェウスの死』終曲、『音楽の絵画』について
この手紙でフェランに写しの送付を依頼している、1827年のローマ賞コンクール提出作品『オルフェウスの死』終曲(フェランに与えた総譜では、『音楽の絵画(Tableau musical)』との表題が付されている。全集CD7(5))の出来栄えに、ベルリオーズは、大いに満足していたようである。そのことは、この手紙の文面からも読み取れるが、そのほか、『回想録』19章でも、この小品が描く情景を説明した上、「私はこのカンタータのスコアを廃棄してしまったことを悔やんでいる。この結末の部分の仕上がりからも、この作品は、残すべきであった」と語っている。また、同14章にも、「私の提出作品[『オルフェウス』]には、その最終楽章に、いくらか見どころがあったと思う」との言葉がある。
この手紙でフェランに説明しているとおり、イタリア滞在中に作った『音楽独白劇(メロローグ)』(以下、後に付された題名、『レリオ』の呼称を用いる。)は、第4曲『幸福の歌』[全集CD3(2)]に『オルフェウス』前半の旋律[『回想録』(19章)で「オルフェウスの愛の賛歌の主題」と説明。CD7(1)00:50、(2)02:57]を用い、第5曲[CD3(4)]に『オルフェウス』の『音楽の絵画』を、そのまま用いている。その結果、『レリオ』は、『オルフェウス』が持つ、先行する楽曲の旋律を後の楽曲が回顧するという構造も、受け継いでいる。
なお、ベルリオーズは、結局、フェランからは『音楽の絵画』の写しの提供を得られなかったらしく、5ヶ月後の12月3日、パリの友人、フェルディナント・ヒラーにも、同趣旨の依頼(パリ音楽院に保管されている『オルフェウス』の総譜[その後散逸]から写しを取り、送付すること)を手紙でしている。