凡例:緑字は訳注
ニース発、1831年4月29日
ベルリオーズ医師[とその家族]宛
いいえ、僕は帰りません[ Non je ne reviens pas. 「ラ・コート(故郷)へは戻らない」の意味であろうか。 ]。この地[ニース]に僕がいる理由を、これからお話しします。僕に魔法をかけていたガラガラヘビの手紙が、一向にローマに届かないので、僕は給費を受ける権利を擲(なげう)ってパリを目指したのですが、その一方で、ヴェルネ[在ローマ・フランス・アカデミー館長]とは、イタリアを離れる際は彼に知らせること、それまでは僕はアカデミーに在籍しているものと扱われることを、取り決めてあったのです。いずれにせよ、問題の手紙がパリから届くことを期待して、僕は8日間、フィレンツェで待ちました。そしてそのとおり、その地でその手紙[モーク夫人からの手紙]を受け取ったのです。封を切った途端、僕は、自分が何をなすべきかを悟りました。計画は、即座にまとまりました。僕は、あらゆる破壊手段のうちで、最も迅速で、最も情け容赦ないものを、自由に使える状態にあったのです[パリの友人たちに宛てた一週間後の手紙に語られているように、館長ヴェルネは、館及び館員の安全の確保のため、在館研究員全員に武装を義務付けていた。]。悪党どもを根絶やしにすべく、僕は、郵便馬車で出発しました。この最初の時点で、お父さんたちのことに考えが及ばなかったことは、赦していただけると思います。僕は、200リュー[1リューは約4キロメートル]を、風のように駆け抜けました。死が、全速力で飛翔していました。憤激は、鎮まるどころか、増すばかりでした。けれども、3日目になると、沸騰した僕の頭に、お父さんたちがひどく絶望している姿が浮かんで来て、僕は、自分の人生を擲(なげう)つことで、お父さんたちの人生まで犠牲にしようとしているのだということを、はっきりと理解しました。そのとき、恐ろしい葛藤が起こりました。僕は、両舷砲撃をした直後の船の中甲板の乗員のように、ぐらついていました。それでも、一瞬の機会をうまく捉え、ディアーノという小さな村からヴェルネに手紙を書き、イタリアを離れないことを名誉に懸けて誓うとともに、アカデミーの籍を抹消しないでくれるよう、彼に懇請することができました。ひとたびこの誓約を書面にして投函してしまうと、そのことが、計画の実行を思いとどまる助けになってくれるようになりました。そこで僕は、来た道を引き返すことはしないで、ニースまで旅を続けることにしたのです。というのも、お父さんたちと迅速に連絡をとり合う差し迫った必要は、ここニースでなら、その立地から、他の何処よりもよく充たされるだろうと思ったからです。イタリア域内にありながら、フランスに隣接しているので、この地にいれば、お父さんたちからの手紙も直ぐに受け取ることができるし、給費を受ける権利も失われないという訳です。
それに、僕はまだ暫く独りでいた方が、よりよく自分を回復させることが出来て、たぶん、よいと思います。ニースは、イタリア域内の街で、これまででいちばん気に入った場所です。お父さんたちに手紙を書いてから、苦痛を味わったのは一昨日の一日だけで、今日は、至って元気です。これ程の悪事の全貌を理解するには、僕がそうだったように、自分が置かれた状況を、細部までよく承知していることが必要です[ il faut connaître comme moi les détails de mon affaire pour concevoir l’étendue d’une pareille scélératesse. ]。もしフィレンツェではなく、パリからせいぜい100リュー程度のところにいたのだったら、この下劣な強欲、この意気地のない不実は、その報いを受けていたでしよう。けれども、音楽が、僕を引き止め、生き返らせてくれました。僕はいま、シェークスピアの『リア王』を題材にした音楽を書いています。ローマに帰る前に、ここで仕上げるつもりです。ロシェさんのお金は、ベランジェ夫人のご子息に託しました。訪ねて行ったとき、夫人が不在だったものですから。
大切なお父さん、お金の支援は要りません。十分な額が手許にありますし、近日中にローマから手紙が来て、5月分の給費を受け取る方法を知らせてくる筈だからです。
フェランに手紙を書きました。彼の手紙を、フィレンツェで受け取ったのです。僕に会いに来てくれるかもしれません[ il est capable de venir me trouver. ]。
さようなら。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集222]
訳注/序曲『リア王』について
『リア王』という標題を作品に付したことを別にすれば、ベルリオーズは、自らが書いた音楽と、シェークスピアの原作(戯曲『リア王』)の物語との関係について、多くを語っていない。それ故、聴き手は、原作のストーリーを想起しつつ、自らのイマジネーションを自由に羽ばたかせながら、この音楽を聴くことができる。
全曲およそ15、6分の長さの作品である。ゆっくりと進行する「序奏」と、急速な展開をみせる「主部」の、2つの部分で構成されており、この点で、『幻想交響曲』の第1楽章、『夢-情熱』に似ている。「主部」に劣らぬ重要性が「序奏」に与えられている点も、同じである。だが、この作品の「序奏」は、『幻想』に較べても、一段と長くなっている(6分余り)。また、その上、性格の異なる2つのセクション(AとB)を対置する、本格的なA-B-Aの構造を与えられている(『幻想』第1楽章の「序奏」は、このような構造を持っていない)。これらのことから、この作品の2つの構成部分の関係は、もはや、「序奏」、「主部」と呼ぶより、「前半」、「後半」と呼ぶ方が分かりやすいほど、独立・対等なものになっている。よって、以下の説明では、この呼称を用いることとする。
さて、前半、最初に示されるのは、中低音弦楽器の不機嫌な唸りに始まる、荘重な雰囲気をもった、セクションAである。ベートーヴェンの第9交響曲、最終楽章の開始の部分に触発されたとみられる、この幕開けは、作品の最初の聴きどころである。
次に、オーボエ(高音の葦笛)独奏による美しい旋律を特徴とする、高貴で、慰めるような雰囲気を持った、セクションBが示される。
その後、すでに触れたように、セクションAが、打楽器(ティンパニ)を伴って再登場し、前半が結ばれる。太鼓の打音の見事な効果は、徒弟時代のベルリオーズが、師のル・シュウールに伴われ、毎週日曜日に通っていた、パリの王室礼拝堂のミサにおいて、国王の退場を告げるために奏されていた、古い起源をもつファンファーレ(『回想録』6章参照)に着想を得たものである。このことを、ベルリオーズは後年、友人に宛てた手紙で明かしている[1858年10月2日付 Baron Wilhelm von Donop 宛。書簡全集2320。]。(なお、この手紙は、このセクションについて、王国分割の方針を宣明すべく、議場に入るリアを示すものだと説明している。)。
『リア王』の物語に親しんでいる聴き手は、前半セクションAには、王の威厳とリアの怒り(ブリテン王リアは、娘たちとその夫に彼の王権と王国を分割譲渡し、以後、二組の夫婦の国を交互に訪れてそこに滞在し、余生を安楽に過ごすことを計画する。ところが、ひとたび国を譲り受けた長女と次女は、手のひらを返すように態度を変え、リアを粗略に扱うようになる。)を、同セクションBには、世辞・追従を言わなかったために父王の逆鱗に触れ、持参金も与えられぬままフランス王家に嫁ぐことになった三女コーディリアの、父への変わらぬ愛情や、やがて彼女に訪れる悲劇の暗示を、それぞれ聴き取るかもしれない。また、カミーユ・モークとの破局を巡る、ベルリオーズの一連の手紙を読んだ聴き手であれば、これらの事柄に、モーク夫人の奸計に対する怒り(セクションA)、カミーユとの愛への惜別(セクションB)といった、ベルリオーズ個人の感情をも重ね合わせながら、これらの音楽を聴くかもしれない。
シェークスピアの『リア王』の物語は、上に述べた展開を経て、ブリテン域内での三つ巴の対立状況の出来(しゅったい)、リアの狂気と嵐の荒野への出奔、コーディリアの死、リアの死と進行していく。
しかし、序曲『リア王』後半の開始を告げる、勇壮な第1主題や、これに続きオーボエ独奏が呈示する優美な第2主題が、これらの物語のどの場面を表し、あるいは、どの登場人物を表しているのかは、定かでない。
ケアンズ(1部28章。以下同じ。)は、後半第1主題にもリアの怒りを聴くが、これは、この音楽に、原作3幕の、嵐の中、リアが荒野に出る場面のイメージを重ねたものであろう(例えば、第1場冒頭のケントと紳士[小田島雄志訳『リア王』(白水社・白水uブックス)によれば、コーディリアの従者]の会話や、第2場冒頭の怒れるリアの独白の場面を参照されたい。)他方、こうした聴き方とは別に、この主題が持つ勇ましく躍動的な雰囲気から、リアの忠臣にして義人、ケント伯の活躍や、王妃コーディリアを戴き、リア救援に勇躍するフランス勢をイメージする聴き手も、あるいは、あるかもしれない。
これに続く、高雅で優美な後半第2主題には、多くの聴き手が、美しく高貴なコーディリアのイメージを重ねることだろう(例えば、原作4幕3場のケントと紳士の会話~コーディリアの様子を訊ねられた紳士が、リアの状況を知った彼女が、フランス王妃としての威厳を保ちつつも、自然の情愛を抑えきれず落涙する様子を、ケントに語る場面参照。)。ケアンズは、ベルリオーズが、この主題を50小節以上もの長さにわたって提示した後も、なおそれを手離さず、痛切に感情表出的な種々の旋律処理を続けているところに、コーディリアの悲劇に重ね合わされた、ベルリオーズ自身の失われた愛への惜別の感情を読み取っている。
音楽はその後、後半第1主題、前半セクションA、後半第2主題のそれぞれの断片が入り乱れる、波乱の展開となる。上述の友人宛の手紙は、この中にリアの狂気を表す部分があり、それは、嵐の最中、低音部が「序奏の主題」を取り上げるところから始まると説明している。後半第1主題の断片の強奏とともに繰り返される、巨大なハンマーを打ち下ろすかのようなオーケストラの大音響は、たしかに、嵐とその最中(さなか)の落雷を思わせるものがある。なお、「序奏の主題」とは、本解説で「前半セクションA」と呼んだ旋律のことであろう。
そして最後、荒々しく渦巻くオーケストラに、後半第2主題の断片(コーディリア?)が呑み込まれてしまう、ドラマティックな結尾部(コーダ)を経て、曲は終わる。このエンディングは、コーディリアの運命を示すとみられると同時に、ケアンズが指摘するとおり、カミーユ喪失のイメージをも、我々に喚び起こす。
最後に、この音楽が訳者個人にもたらす、二つの印象について記し、参考に供したい。
(1)ベルリオーズは、生涯にわたり、たいへん見事な葬送・追悼の音楽を、いくつも書いているが、序曲『リア王』前半セクションBは、短いながら、それらに比べ得る、真正の「惜別・哀悼の音楽」であると、訳者には感じられる。その惜別・哀悼の対象は、ブリテン国王リア、及びその三女、フランス王妃コーディリアであるとともに、もはや言うまでもなく、作者ベルリオーズの、カミーユ・モークとの、失われた愛の記憶であろう。
(2)作品全体に、作曲直前、ベルリオーズが身をもって経験した、紺碧の地中海のイメージが、色濃く反映されているように感じられる。とりわけ、前半セクションBの優美な雰囲気からは、癒しの地、ニースの丘から望んだ、大らかで表情豊かな湾内の海のイメージが、後半第1主題の勇壮・快活な雰囲気からは、満帆に風を受け、洋上を快走する小型帆船のイメージが、それぞれ、喚起される。
参照文献
本文中に記したもののほか、マクドナルド6章、新ベルリオーズ全集20巻『序言』(ダイアナ・ビックリー)。
音源
CD
作品全集C D1トラック3(エイドリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラ、1956年)
Berlioz Overtures, Sir Colin Davis ( conductor ), London Symphony Orchestra, Recorded in London in 10/1965, Philips
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訳注/カミーユ・モークとの恋愛の喪失について
一連の手紙から明らかなように、この喪失は、作曲家の心に、きわめて深い傷を残した。『回想録』の「イタリアの旅」の各章(32章―43章)に語られている、同地滞在中のベルリオーズの様々な(一見特異に感じられる)心境は、このことを念頭に置くことで、初めて正しく理解されると、訳者は考えている。
ところが、同じ『回想録』の28章(当館未所収)及び34章に記されたこの恋愛の回顧は、一連の出来事について、一場の茶番劇のような、コミカルな描き方をしている。ケアンズは、『回想録』「イタリアの旅」のもとになったベルリオーズの著書『ドイツ・イタリア音楽紀行』(1844年出版)の記事(ほとんど手を加えず、『回想録』に再録されているという。)についてのコメントであるが、12年の歳月を経てさえ、そのような形でしかこの出来事を語れないでいるということ自体が、彼が負った傷の深さを物語っているとの趣旨のコメントをしている。それらの文章よりさらに後に書かれたものとみられる『回想録』28章の記述にも同様に当てはまる、正鵠を射た指摘である。
カミーユ・モークとの恋愛は、ベルリオーズの生涯でほぼ唯一のといってよい、『ロミオとジュリエット』的な、双方向の熱烈な愛だった。ベルリオーズは、代表作、『ロメオとジュリエット』(1839年)、『ファウストの劫罰』(1846年)、『トロイアの人々』(1858年)の創造を通じ、「人生に、至福の時は、たしかに存在する。だが、それは、いかにも短く、また、儚(はかな)い。」というメッセージを、繰り返し、我々に語りかけている。それは少なからず、若き日の、この痛切な喪失体験に根ざしているのではないかと、訳者は考えている。(了)