・ ベルリオーズが用いた「Putipharder」の語、ブルーム編『回想録』が参照する『パリ俗語・隠語辞典』に収められている「putipharder」の語は、どちらも旧約聖書(創世記)のヨセフとポティファルの物語(概要は本文訳注に記したが、おって本記事で更に詳しく検討する)に由来する表現とみて誤りはないであろう。前者ではこの語がヨセフと対置されており、後者ではこの語の定義にポティファルの妻が登場するからである。
・ そうすると、この語は、聖書に登場する人名 Putiphar(ポティファル)の末尾に、der の3文字を付加したものとみることができる。そして、この3文字は、名詞、形容詞の語尾に付されて元の語を動詞化する働きをする接尾辞 -er の別形であるとみてよいであろう(小学館ロベール仏和大辞典 -er の項参照)。そうすると、固有名詞「ポティファル」は、この接尾辞を付されることにより、ちょうど英語の動詞 boycott (ボイコットする)が末尾に er を付されることによって同じ意味のフランス語動詞 boycotter となり、フランス語名詞 faisan (詐欺師〜本来の意味は鳥類の「キジ」であるが、話し言葉としてこのような意味で用いられることがある〜小学館ロベール仏和大辞典)が末尾に der を付されることにより、「だます」という意味の動詞 faisander(俗語)になる(いずれも小学館ロベール仏和大辞典の用例)のと同じように、動詞化され、聖書のヨセフとポティファルの物語と関わりのある何らかの行為をするとの意味を持つようになる、ということが理解される。そこでいま、このようにして生み出された造語、Putipharder に、差し当たりこうした広めの意味を想定しつつ、「ポティファルする」との暫定訳を与えることにしよう。
・ 次に、ベルリオーズのフレーズで動詞 Putipharder の前に置かれている代名動詞 se laisser は、後に続く動詞(不定型)が他動詞であるか、自動詞であるかにより異なる働きをする言葉である。すなわち、後に続く動詞が他動詞である場合には、その動詞に「される、されるがままになる」といった受け身の意味を与え、自動詞である場合には、その動詞に「するがままでいる、するに任せる、おとなしく〜する」といった意味を与える(小学館ロベール仏和大辞典、三省堂クラウン仏和辞典第6版等)。
・ 以上により、問題のフレーズ「 je finis par me laisser Putipharder 」は、動詞 Putipharder(暫定訳「ボティファルする」)が他動詞であるならば「私は、仕舞にはポティファルされた、ポティファルされるがままになった」等の意味、自動詞であるならば「私は、仕舞にはポティファルするに任せた、おとなしくポティファルした」の意味であるということが分かる。
・ 問題のフレーズの当館の解釈(「仕舞にはポティファルよろしく讒言を易々(やすやす)と信じ」)は、上記の分析結果の「ポティファルする」の部分に、当時のフランスの読者の多くが熟知していたと考えられる聖書のヨセフとポティファルの物語から導かれる「ボティファルは、妻の讒言を安易に信じ、行い正しい部下ヨセフを投獄した人である」との知識を当てはめ、造語「 Putipharder(ポティファルする)」は、「讒言を真に受ける」との意味の自動詞である、と解したものである。(なお、辞書の訳語「おとなしく」を、文脈上、より分かりやすいと思われる「易々と」に置き換えた。)
・ これに対し、『パリ俗語・隠語辞典』が与える「 putipharder 」の定義、「 violer sans plus de façons que la femme de Putiphar 」に依拠して問題のフレーズを日本語にする作業は、もう少し複雑である。それは、この定義の中心となる動詞「 violer 」が多義的だからである。そこでいま、「 violer 」の厳密な解釈はひとまず措き、とりあえず『パリ俗語・隠語辞典』の与える定義を「ポティファルの妻ほどの遠慮、ためらいもなく violer する」との日本語に置き換える一方、「 violer 」については、仏和辞典(小学館ロベール仏和大辞典、三省堂クラウン仏和辞典第6版等)の与える語義、①「[法律、規則等]に違反する、[権利を]侵害する」、②「〜を力ずくで開く、(無理やり)侵入する」、③「〜をレイプする、犯す」を確認するにとどめよう。これらの候補のうち、①は、この段階で除外してよさそうにみえるけれども、②、③のいずれであるかを判断するには、更なる手がかりを得る必要があるからである。
・ ところで、『パリ俗語・隠語辞典』の定義には、もう一つ気付かされることがある。それは、引き合いに出されているのが、ポティファル本人の行為・態度ではなく、ポティファルの妻のそれであるということである。にもかかわらず、なぜ妻本人ではなく、夫の名を動詞化するのだろうか?この点については、おそらく、聖書には彼女の名が示されていない(「ポティファルの妻」とあるのみである)ことが関係しているのではないかと推測される。すなわち、彼女の名が分かればそれを動詞化するところであったが、それができないので、ポティファルの名を用いるほかなかったということではないだろうか。そこでいま、この理解のもとに、「ポティファルの妻をする」、「ポティファルの妻のように振る舞う」という意味での「 putipharder 」の内容として、どのような行動が考えられるか、いま一度、聖書の物語に立ち返って確認しておこう。ヨセフは、イスラエル民族の始祖とされるヤコブの12人の息子の一人であったが、兄弟たちによってイシュマエル人の隊商に売られ、エジプトに連れて行かれる。そして、その地でファラオの宮廷の役人で侍従長のポティファルに買い取られ、やがてその信任を受け、主人の家や財産の管理に当たるようになる。彼は、主の祝福を受け、その仕事に立派な成果を上げたが、容姿にも優れていたことから、主人の妻から「私の床に入りなさい」と毎日言い寄られるようになる。彼がそれに耳を貸さず、彼女とともにいることもせずにいたところ、ある日、仕事をしようと家に入ったときに彼女に着物をつかまれ、再び同じことを言われた。彼は着物を彼女の手に残し、家の外に逃れた。彼女は家の者たちを呼び、その着物を示してヨセフが自分にいたずらをし、自分と寝ようとしたと説明する。彼女が帰宅したポティファルにも同様のことを語ったことから、ポティファルはこれを信じて怒り、ヨセフを王の囚人をつなぐ監獄に入れてしまう(以上は『図説 地図とあらすじで読む聖書』を参考に新共同訳聖書から要約)。こうしてみると、この考え方による「 putipharder 」の内容としては、「言い寄る」、「誘惑する」、「強引に関係を求める」などが考えられることになる。そして、この理解からは、先にみた仏和辞典上の「 violer 」の語義のうち、③「をレイプする、犯す」は除外してよさそうにみえる。ポティファルの妻は、そこまでのことはしていないからである。
・ 「 violer 」の意味の特定の助けとなる情報の探索を続けよう。本文脚注に記したとおり、『パリ俗語・隠語辞典』は、ガリカでその全体を閲覧することができる。そうして同書の序文を見ると、この本の収録対象は、表題の「 argot(隠語、スラング、符丁)」という言葉から一般に想起される盗人たちの間の符丁のようなものに限らず、パリで実際に使われている、普通の辞書には(まだ)載っていない口語的な表現を広く集めた書物であることが分かる。ただし、編者は、話し言葉として巷間用いられているというだけでなくパリの出版物中に用例のあるものに限って収録した旨も、同時に明らかにしている。また、編集方針として、収録した語には、語義に加え、典拠とした用例及びその書き手の名を記したことが説明されている。そして問題の「 putipharder 」の項には、既に引用した定義に加え、シャンフルーリ( Champfleury 〜19世紀フランスの作家・批評家)による用例として、「 Ces diables de gens, il faut vraiment les putipharder pour avoir l’honneur de peindre leurs silhouettes. 」との文が掲げられている(掲載書名は示されていない)。そこでこの文を取りあえず日本語にすれば、「悪魔のようなこの連中のシルエットを描く光栄に浴するには、彼らを大いにポティファルする必要がある」といったものになる。残念ながら、これだけでは「ポティファルする( putipharder )」 の内容を確知するには至らない。とはいえ、「 violer 」の辞書訳②、③のうちでは、③より②(「〜を力ずくで開く、(無理やり)侵入する」)に近い意味なのではないかとの見当はつけられそうである。しかし、さらなる意味の特定を行うには、この文の原典に遡り、前後に書かれている内容を知る必要がある。それは、この例文をネット検索にかけて出典を知り、そのテクストを入手することで可能になるが、その前に、この文の作者、シャンフルーリについて、もう少し知っておくことにしよう。まず、小学館ロベール仏和大辞典には、彼が「写実主義運動の推進者」として「クールベ、ドーミエらのリアリスム画家を擁護」したことが説明されている。他方、文献によっては、「フランスの大衆小説作家」とするもの(ブリタニカ国際大百科事典小項目電子辞書版「シャンフルーリ」の項)、「(小説家としては)多くは奇人変人を題材とし、文体も素朴、感傷的で今日は読まれない」といった言葉で紹介するもの(小学館日本大百科全書[ニッポニカ]「シヤンフルリー」の項[執筆者:齋藤一郎])があり、絵画の批評家として著名であった一方、作家としての作品には軽めのものが多かったことが窺われる。
・ さて、本題に戻り、上記のネット検索を行うと、この文の出典は、『 Confessions de Sylvius : la bohème amoureuse (シルヴィウスの告白:惚れっぽいボヘミアン)』(1857年)という小説であることが分かる。そして、これを手がかりに更に検索を進めることにより、この本のテクストはガリカで閲覧等できるほか、下記リンクのとおり、フランスのリジュー市図書館によって電子的に提供されていることが分かる。特に後者は、ブラウザの機能で全文を英訳等することができ、便利である。
https://www.bmlisieux.com/archives/confes02.htm
こうしてテクストに目を通すことにより、この小説は、主人公の若い画家シルヴィウスが、幾人もの女性に出会って次々と彼女らに心惹かれ、それぞれに大胆に近づいていく様子を描いた一種の恋愛冒険談で、問題のセンテンスは、そのうちの『女性画家マリアナ』と題する章の中で、登場人物の一人であるベテラン女性画家ジュリエットが主人公シルヴィウスに語りかける言葉として登場することが分かる。そこで、以下、必ずしも厳密な要約ではないが、この場面とその前後の出来事のあらましを記そう。シルヴィウスは、若い女性画家マリアナに一目惚れし、二人で会おうと手紙で彼女を誘う。マリアナは先輩格の画家ジュリエットにどうすべきかを相談する。シルヴィウスとも面識のあるジュリエットは、彼に費用を持たせてジュリエットの家で3人で食事をすることを提案し、シルヴィウス、マリアナも、これに賛同する。ジュリエットは、シルヴィウスに自宅の鍵を渡し、彼とマリアナの二人を彼女の家に先行させる一方、自らは食事の配達の注文をするため、料理屋に赴く。彼女はそこで料理屋の亭主と、値段以上に美味しい料理を届けてくれるならその見返りに彼の肖像を格安の料金で描いてやるとの約束をする。一方、マリアナと一緒にジュリエットの家に入ったシルヴィウスは、早速彼女を口説きはじめる。そうしているうちにジュリエットが帰宅し、届く料理はきっと美味しいはずだと言い、亭主との約束の内容を二人に説明する。そしてさらに、シルヴィウスに次のように言う(後段が用例のセンテンス)。「亭主がやって来たら、彼の肖像を描けるよう、本人をウォームアップしてやってくれないか。悪魔のようなこの連中のシルエットを描く光栄に浴するには、連中を大いにポティファルする必要があるのでね。( Sylvius, chauffez le cuisinier pour son portrait, vous me rendrez service. Ces diables de gens, il faut vraiment les putipharder pour avoir l’honneur de peindre leurs silhouettes. )」ちょうどそこへ、亭主が料理を持って現れる。シルヴィウスは彼の名を尋ね、会話を始める。その内容は、貴方の容姿なら料理人より絵のモデルの方がよほど向いていると言って相手の意表を突き、かつ、相手を大いに持ち上げるものだった。そこでジュリエットが会話に加わり、さあ、約束の肖像はいつ描こうかと亭主に追い撃ちをかける。亭主が肖像描きの料金のことを心配して躊躇していると、彼女は、現物払い(料理)でよいからと言って安心させ、次の日曜の午後、再び料理を持って彼女の家を訪れ、そこで肖像画のポーズを取ることを彼に承知させてしまう。(余談であるが、この話の結末は次のとおり。・・・食事が済むと、ジュリエットはシルヴィウスにマリアナを送らせる。翌朝、シルヴィウスは誇らしげにマリアナを伴って彼ら3人の仕事場であるルーヴル美術館にやってくる。彼はいまや、マリアネットの愛称で彼女を呼んでいる。・・・)以上が、この小説で問題の例文が現れる文脈である。
・ さて、これを見れば、まず、『パリ俗語・隠語辞典』の編者が「ポティファルする( putipharder )」の語義として挙げた「 violer 」の意味に、仏和辞典の挙げる語義 ③「レイプする、犯す」が含まれないことは、いまや確かになったと考えてよいと思われる。そうすると、ここでの「 violer 」の内容としては、②「〜を力ずくで開く、(無理やり)侵入する」か、それに近いものが、消去法で残ることになる。また、もう一つ、テクストを読んで気付かされる点として、問題の言葉はこの小説において画家たちの仲間うちの会話の中で使われているということが挙げられる。書き手のシャンフルーリもまた絵画の世界に通じた人であることを考えると、『パリ俗語・隠語辞典』が取り上げた「ポティファルする( putipharder )」の語は、画業界で用いられていた一種の業界用語であり、語義として挙げられている「ポティファルの妻ほどの遠慮、ためらいもなく violer する」とは、画家がモデルに対し不安や緊張をほぐす「下ごしらえ」として行う、幾らか大胆又は手荒な働きかけを意味しているのではないか、とも考えられるのである。(他方、シャンフルーリがこの造語を一般読者向けの小説の中で特に説明することもなく用いているという事実からは、この語のこうした意味は当時のパリ市民一般にもある程度広く知られていたのではないかとの推認も行い得るかもしれない。)
・ 以上の調査・考察に基づき、当館としては、『パリ隠語辞典』の挙げる語義については、「ポティファルの妻ほどの遠慮、ためらいもなく(相手の心の中に)手荒に入り込む」(他動詞)といった意味であると解し、この用法に拠ったベルリオーズのフレーズの解釈としては、本文脚注に示したように、「仕舞には心の中に手荒に入り込まれてこれに屈し」とすることとした。また、同じ方向での訳出のヴァリエーションとして、「 putipharder 」について、『隠語辞典』の定義にはよらず、代わりに、既にみた「ポティファルの妻のように振る舞う」との意味、すなわち、「言い寄る」、「誘惑する」、「強引に関係を求める」などの意(他動詞)であると解し、「仕舞には強引に関係を求められてこれに屈し」等の意と解する、第3の解釈も成り立ちそうに思われる。いずれにせよ、これらの場合は、ブルーム編『回想録』が指摘するように、カミーユからのそのようなアプローチに屈した結果として、ヴァンセンヌへの駆け落ちが暗示されることになる。(了)