手紙セレクション / Selected Letters / 1833年9月3日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1833年9月3日
アンベール・フェラン宛

アンリエットは来た。僕は留まる。僕らのことは公になった[当時の法制は、婚姻の要件として、一定事項が事前に役場の入口に掲示されることを求めていた〜ナポレオン民法典63条]。人の法がそれを許容することを良しとするなら、2週間後にはすべて終わっているだろう。手続の遅延だけが気がかりだ。やれやれ!!ああ、分かってくれると思うが、必須だったとはいえ、無用の手間だった[の意か。原文:Enfin !!! Oh il le fallait, voyez-vous, c’était inutile.]

僕らは何人かで、あの気の毒な逃亡中の娘の件にちょっとした解決を図った( Nous avons, à plusieurs, fait un petit sort à la pauvre enfant fugitive. )。特にジュール・ジャナン[Janin (Jules)(1804‐74):作家、批評家。「デバ」紙にロマン派に好意的な演劇時評を掲載した。〜小学館ロベール仏和大辞典]が、彼女を出発させるために尽力した。

Н. В.(了)
[書簡全集343]

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