凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
パリ発、1833年8月30日
アンベール・フェラン宛
友よ、貴君の言うとおりだ。僕は、自分の将来に希望を持っていないのではない!僕がそれでも観察し、獲得したあの臆病な人たちは知らないのだ、暴風を受けぐらつきながら、僕が成長しているということを[Il ne savent pas, tous ces peureux, que, malgré tout, j’observe et j’acquiers ; que je grandis en fléchissant sous les efforts de la tempête ;( 文頭のIlをIlsと解して訳出 )]。風が僕から奪えるのは葉だけだ。青い果実は、枝にしっかり付いているから、落ちはしない。貴君の信頼が僕を励まし、支えてくれている。
あの可哀想なアンリエットとの別れについて、貴君に何と書いたかは覚えていないが、それはまだ起きていない。彼女がそれを望まなかったからだ。あれ以来、いざこざは、ますます激しさを増している。結婚の手続を開始したが、あの憎むべき妹が証書( un acte civil )を引き裂いてしまった。絶望する彼女。彼女を愛していないとの非難を受け、万策尽きた僕は、彼女の面前で毒をあおることでそれに応えた。アンリエットの恐ろしい悲鳴!・・・素晴らしい絶望!・・・僕の残忍な笑い!・・・愛の誓いを激しく繰り返す彼女を見て、生きる意欲がよみがえる!・・・催吐薬!・・・吐根!・・・2時間もの嘔吐!・・・阿片は2粒しか残っていなかった。3日ほど体調が悪かったが、一命は取り留めた。絶望したアンリエットは、それまで僕を痛めつけてきたことすべてに埋め合わせをすることを望み、僕が彼女にどうして欲しいのか、僕らの運命を決めるため彼女は何をすればよいのかを訊いてきた。僕はそれを彼女に告げた。彼女は良いスタートを切った。だが、3日前から、妹の唆(そそのか)しと僕らの悲惨な経済状態から来る不安に動揺し、また迷っている。彼女は無一文で、僕はそれでも彼女を愛している。それなのに、彼女には自らの運命を僕に託す勇気がないのだ。・・・幾月か待ちたいという・・・何か月もだって?何とまあ!待つのはもう御免だ。僕は苦しみ過ぎた。僕は昨日、手紙で彼女にこう告げた。明日、土曜、[結婚の手続をしに]彼女を役所へ連れて行くため、迎えにきてほしいというのでないのなら、僕は今度の木曜、ベルリンに向けて発つ、と。彼女は僕の決意を真に受けず、今日返事をすると言ってきた。空虚な言葉、会いにきて欲しいとの懇願、体調が良くないとの言い訳等々がまだ続くのだろう( Ce seront encore des phrases, des prières d’aller la voir, qu’elle est malade, etc. )だが、僕は持ちこたえるだろうし、彼女は知ることになるだろう。これほど長く気弱になって彼女の足下で切なげに跪いていたにせよ、僕は、立ち上がって彼女の許を離れ、僕を愛し理解してくれる人々のために生きていくこともできるのだ、ということを。僕は彼女のためにあらゆることをした。もうこれ以上できることはない。彼女のためにあらゆる犠牲を払っているのに、彼女は僕のために危険を冒そうとしないのだ。それは過度の意思薄弱であり、分別だ( C’est trop de faiblesse et de raison. )。だから、僕はここを去る。
この恐ろしい別離を耐え忍ぶのを助けるため、聞いたこともない巡り合わせが、一人の気の毒な若い女性を僕の腕の中に投げ入れてきた。彼女は18歳で、チャーミングで、ひどく興奮している。4日前、あるとんでもない卑劣漢の支配から脱出してきたのだ。そいつは彼女を子供のときに買い受け、4年もの間、奴隷のように監禁していた。彼女はその怪物の支配下に戻されることを死ぬほど怖れていて、再びそいつの所有物になるくらいなら入水すると明言している。僕がこの話を聞かされたのは一昨日のことで、その娘(こ)は何としてもフランスを出たいと望んでいるという。僕が彼女を連れて行くとの考えがふと浮かんだ。僕のことを伝えられると、彼女は僕に会うことを望んだ。僕は彼女に会い、彼女を少しばかり慰め、安心させた。僕と一緒にベルリンに行き、スポンティーニの仲介を得て向こうの合唱団のどれかのパートに職を得ることを提案すると、彼女は承諾した。彼女は美しく、天涯孤独で、絶望していて、人を信用しやすい。僕は彼女を護り、彼女に愛情を持つ努力を惜しまないだろう。もし彼女が僕を愛するなら、僕は自分の心を絞り上げ、それによって得られた愛の残存物を伝えるだろう( Si elle m’aime, je tordrai mon cœur pour en exprimer un reste d’amour. )。つまり、僕は自分が彼女を愛していると思うようになるだろう。いま彼女に会ってきたところだが、とても行儀がよく、ピアノをかなり上手に弾き、歌も少し歌え、よくしゃべり、自身の風変わりな立場にも品を持たせることができる。何と常軌を逸した小説だろうか!
旅券は整っている。まだ少し片付けねばならないことがあるが、それが済めば出発だ。もう終わりにしなければならない。あの可哀想なアンリエットを、ひどく不幸な状態のままにして行くことになる。ぞっとするような苦境に彼女はいる。だが、僕には自分を責める理由がない。彼女のためにできることが、もう何もないのだ。僕は今でも、すぐに命を投げ出すだろう。僕がそうであらなければならないように彼女から愛され、彼女のそばで過ごすことのできる、もうあとひと月のためになら( Je donnerais encore à l’instant ma vie, pour un mois passé près d’elle, aimé comme je dois l’être. )。彼女は泣き、絶望するだろうが、もう手遅れだ。意志薄弱で崇高な感情を抱くことも確固たる決断を下すこともできない自分の不幸な性格がもたらす結果を、彼女は甘んじて受けることになる。・・・そうしてそれから立ち直ったかと思えば、今度は僕を責めるのだろう。いつもそうなのだ。だが、僕はと言えば、前に進まなければならない、自分はあまりも不幸せだとか、人生とは醜悪なものなのだとかいうことを絶え間なく語りかけてくる、自分自身の意識の叫びに耳を貸すことなく( Pour moi, il faut que j’aille en avant, sans écouter les cris de ma conscience, qui me dit toujours que je suis trop malheureux et que la vie est une atrocité. )。僕は、耳の聞こえない者でいよう。親愛な友よ、貴君に確約しよう、貴君の預言を事実と違わせることはないと( Je vous promets bien, cher ami, de ne pas faire mentir votre oracle. )。
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[2センテンス略]
さようなら。貴君の終生の誠実で忠実な友より。
『世の終わりの日』を、ヴェロン[オペラ座監督]が断ってきた。彼は上演する勇気がないのだ。序曲『秘密裁判官』を、貴君に送らせる。
僕の交響曲[『幻想交響曲』のこと]をリストがピアノ編曲した。見事な出来栄えだ。( Liszt vient d’arranger ma symphonie pour le piano; c’est étonnant. )
次はベルリンから書く( Je vous écrirai de Berlin. )。(了)
[書簡全集342]
訳注/監禁被害女性のエビソードについて
この女性が誰なのかは、知られていないようである。この件に関与した者に関しては、フェラン宛の次の書簡(9月3日付)に、ジュール・ジャナン(『ジュルナル・デ・デバ』紙の批評家)名が登場するほか、同書簡中に「僕らは何人かで」との言葉があることから、ジャナンを含め数名が関係していたことが推測される。このエピソードについて、書簡全集の編者シロトンは、フランスのベルリオーズ研究者アドルフ・ボショ(Adolphe Boschot 1871-1955)が(要旨)「ハリエットの決断を促すためジャナンを含むベルリオーズの友人たちが企んだいたずらではないか」との推測を示していることを指摘し、この仮説に妥当性を認めている(書簡全集 t.2, p.113 n.1)。ケアンズも、監禁云々の事情は、ジャナンらが(要旨)「ベルリオーズの騎士道精神に訴え、スミッソン嬢の呪縛から彼を解放するために、創作した可能性が大いにある」と述べている(2部1章 p.10)。
(参照文献:訳注掲記のものに加え)
ベルリオーズ辞典「Boschot」の項(Peter Bloom執筆)
書簡全集 t.2, p.747「Janin」の項
