凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
パリ発、1833年2月3日
ベルリオーズ医師宛
大切なお父さん、
この5年半の間僕をひどく不幸にしたあの痛切な感情については、ラ・コートに立ち寄った際、ある程度詳しくお話ししました。スミッソン嬢に対する僕の愛のことです。時も、不在も、軽蔑も、邪魔に入ってきた情熱的な火遊び( une intrigue passionnée qui est venue se jeter en travers )[カミーユ・モークとの恋愛のこと]も、この愛を壊すことはできませんでした。その愛は、当時は共有されていませんでしたが、いまは共有されています。僕の性格をよくお知りになったら、僕がそれで死ぬことなしに僕から彼女を取り上げることは、僕を生かしておきながら僕の心臓を取り上げるのと同様、不可能だとお考えになるに違いありません。今は僕のことを理解してくださるはずです。僕は、いかなる代価を払うことになろうとも、もう彼女を離すことはないと請け合うために、この手紙を書いています。けれども、ただ請け合うだけでは彼女と離れずにいる資格は得られません。そのために必要な、お父さんの[結婚への]同意をお願いしたいのです( Mais ce n’est qu’à un seul titre que cela est possible, et je viens vous demander pour cela votre consentement. )。彼女には、才能以外に資産がありません。これは一つの不幸です。彼女は、僕より1歳半年上で、女優で、プロテスタントです。つまり、お父さんと特に母さんが同意を拒む決定的な理由が幾つもあるということです。けれども、お父さんたちがいかなる代価を払っても避けたいとお望みになると思われる、それらよりもっと大きな不幸もあります。彼女への賛辞を連ねようとは思いません。僕の口から出た言葉では重みも説得力もないでしょうから。この愛がどれほど激しいかを語ることも、やめておきます。無意味で無益なことですから。無意味だというのは、真昼に光の存在を証明しようとする人はいないからで、無益だというのは、このことをお父さんたちに理解してもらうことは僕には決してできないからです。
僕はもう10代の子供ではありませんし、幻想は一つも抱いていません。長い間の苦しみのせいで言葉に尽くせないほど苦い気持ちになっていて、もうこれ以上辛抱はすまいと、心に固く決めているのです。スミッソン嬢の愛は、僕の人生のただ一つの目的でした。それを手に入れたのです。ですから、僕の人生は、完全に幸福になるか、終わるか、そのどちらかです。僕のキャリアについて言えば、それは開けてきています( Quant à ma carrière, elle est ouverte. )。僕は今日、イタリア劇場とのオペラ一曲[シェークスピアの戯曲『から騒ぎ』を題材とした作品]の作曲の契約に署名しました。来る12月に上演されることになる作品で、10月1日に届けることになっています。この劇場の門戸が開かれれば、他の多くがそれに続くことでしょう。
僕は、ドイツ行きの給費の今年前半分の支払を、当地で受けます。残り半分は、フランクフルトにちょっと顔を出すだけで受け取ることができます。
これからなさろうとする選択を、できれば冷静にご検討ください。そしてそのご判断を、すぐにお知らせください。それがどのようなものになるにせよ、落ち着いてお待ちします。
残念ながら、僕は、僕の意見、気質、立場、キャリアが原因で、家族の皆から孤立しています。ですから、こうしたことのすべては、その当然の結果にすぎず、お父さんたちを驚かすはずのないことなのです。ただ少なくとも、僕ら皆には共通の感情があります。それは、とても強い親愛の情です。そして、それを損なうことは、何ものにも決してできないのです、お父さんの献身的で情愛をもった息子、
H.ベルリオーズ
に関しては。
訳注/当時の結婚法制について
この手紙が書かれた頃(ベルリオーズは29歳)の結婚は、1804年に制定された『フランス人の民法典( Code civil des français )』(いわゆるナポレオン民法典)の原初の関係規定によって規律されていた。
それによれば、男子の場合、25歳に達するまでは父母(父母が亡くなっているか意思表示を行うことができない場合は祖父母。以下「父母等」と表記)の同意なしには結婚できないとされ(148―150条)、25歳に達した後も、結婚を取り決める前に、公証人の関与する「丁重な証書( acte respectueux )」(「尊敬証書」とも訳される〜後掲樽見、田中)を差し出して父母等の意向を聴かなければならず(151条、154条)、父母等の同意が得られない場合、30歳に達するまでは、月毎に1回、計3回の「丁重な証書」の差し出しを行い、最後の差し出しの後1か月を経過しなければ結婚の挙式ができないとされていた(152条。30歳を超えれば1回の差し出しで挙式できる〜153条)。
参考に、上記関係条文の仮訳(当館作成)を、次に掲げる(原典:Code civil des français : édition originale et seule officielle, Imprimerie de la République (Paris, 1804) 〜 BnF/Gallica )。
148条 25歳に達していない男子、21歳に達していない女子は、父母の同意( le consentement )なく結婚を取り決める( contracter mariage )ことができない。父母の意見が相違する場合、父の同意で足りる。
151条 148条に定める成年に達した世帯の子( les enfans de famille )は、結婚を取り決める前に、丁重で形式の整った証書をもって( par un acte respectueux et formel )、その父母の意向( le conseil )を、父母が亡くなっているか意思表示を行うことができない場合はその祖父母の意向を、聴かなければならない( sont tenu de demander )。
152条 148条に定める成年に達した後、男子にあっては30歳に達するまで、女子にあっては25歳に達するまでの間において、前条に規定する「丁重な証書」( l’acte respectueux )であって結婚への同意( consentement au mariage )を伴わないものは、別途2度、月毎に繰り返され、かつ、3度目の証書から1か月を経過した後は、結婚の挙式( la célébration du mariage )を妨げない。
154条 「丁重な証書」は、二人の公証人又は一人の公証人及び二人の証人により、151条において指定された尊属に差し出されるものとする(sera notifié)。当該差し出しについて( en )作成される調書には、それへの返答( la réponse )を記載するものとする。
本注作成に当たり、次の文献を参照した。
樽見英樹「ベルリオーズの結婚 — その法的手続きをめぐって」ベルリオーズ友の会ニュース『ベルリオーズ』第2号(1985年4月1日)
中村義孝「1804年ナポレオン民法典(1)」立命館法学2017年2号、「同(2)」同2017年3号
田中通裕「注釈・フランス家族法(1)」法と政治61巻3号(2010年10月)