手紙セレクション / Selected Letters / 1833年2月23日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

[パリ発、1833年]2月23日、
ベルリオーズ医師宛

ああ、お父さん、お父さん、これは恐ろしいことです!!お父さんは、僕の将来を不当にねじ曲げて描くことまでしておられます!僕をギャンブラー( joueur )と仰るとは!いったい何ということでしょう、僕はこれまで、賭け事に手を染める誘惑を感じてもおかしくない試練をどれほど色々と受けてきたことでしょうか。無資力に陥ったとき、僕は賭け事をしましたか?いいえ、僕は、軽歌劇( vaudeville )の合唱団員に身を落とす方を選びました回想録12章「コーラスの仕事に応募したこと」参照]。僕は月50フランで生活し、賭け事はしませんでした。

お父さんは、僕のアンリエットへの愛を昨日始まったものであるかのように書いておられます。ですが、ああ、このことについては前にお話ししたではありませんか、それは1827年9月6日[英国劇団の『ハムレット』パリ公演を観た日を指すとみられる。なお、その日は正確には9月11日]に始まり、まる5年もの間、僕の生( vie )を苛(さいな)んだのです。お父さんが僕に反対して引合いに出すあの情熱的なエピソード( L’épisode passionné [カミーユ・モークとの恋愛])ですら、この愛が引き起こしたものなのです。というのも、モーク嬢の関心と気まぐれを僕に向けさせることになったのは、僕の心の病、スミッソン嬢への僕の人を嘆かせるほどの志操堅固さ( ma désolante constance pour Miss Smithson )が関係者の間に広めたうわさだったからです。彼女は僕に手紙を書き、二人だけで会いたいと言い( me demanda un rendez-vous )、口頭で愛を告白し、僕の部屋まで会いにきて、僕と駆け落ちして等々・・・そして、仕舞には僕の心に強烈な官能の熱情を生じさせることになったのです。それ[官能の熱情=カミーユとの恋愛]がもう一方の女(ひと)[=ハリエット][への報われぬ愛]から自分を解き放つ唯一の方法だと思っていただけに、僕はそれ[カミーユとの恋愛]にいっそう情熱を傾けました。この常軌を逸した若い女性とその母親の卑劣な行動のことは、お父さんもご存じです。しかしながら、この嵐のような恐ろしくひどい出来事も、僕がなお心に持ち続けていたアンリエットへの愛を根絶やしにすることはできませんでした。それ[アンリエットへの愛]は、この前の冬[1831年から1832年にかけての冬]、ひどく恐ろしい症状を伴って再び表面化したのです。ある日、ローマで、ヴェルネ夫人がシェークスピアとの関連で彼女のことを話題にしたときのことです。会話が始まって数分後、ある種の神経発作が僕を襲いました。その発作はもっぱら、自分を愛してくれることなど全く期待できないと思っていた女(ひと)[ハリエット]の記憶によって引き起こされたのです( une espèce d’attaque de nerfs causée uniquement par le souvenir de celle dont je ne croyais jamais devoir être aimé )。

今では、彼女は僕を愛しています。この志操堅固さが、彼女の愛を勝ち取ったのです。カミーユのことは、すべて彼女に打ち明けました。僕は能(あた)う限り誠実に行動しました( j’ai eu toute la franchise possible )。自分が誰に話しているのかも、分かっていました( Je savais à qui je parlais. )。アンリエットは、高貴な心を持っていますが、その多彩な天分にかかわらず、穏やかで内気な( calme et timide )女性です。彼女がその生きてきた世界の中で維持してきた生活態度は、彼女の性質に他のあらゆる女性のそれにはるかに優(まさ)る美点を与えています。ですが、それは当然のことです。お父さんは、僕とカミーユの結婚には同意してよいと判断されました。ところが、この女性は(今では僕も分かっているとおり)淫蕩な浮気娘でした。その一方で、お父さんは、アンリエットについての同意を僕に与えることは拒まれています。そのアンリエットは、僕の芸術家としての全生涯に関わる大切な女(ひと)で、僕を大いに不幸にしているある一つの誇りを僕に対して常に保ち、僕にほとんど死ぬ思いをさせていて[後掲原文のqui m’a mis以下の節文意不詳につきm’a misをm’a fait avoirの意と解して訳出]、この点について、彼女の感情に照らし、大いに尊敬に値する、そういう女性なのです。( Mais c’est dans l’ordre ; vous avez cru pouvoir consentir à mon union avec Camille qui est une coquette dévergondée (comme je le sais aujourd’hui) et vous me refusez votre assentiment pour Henriette qui est l’amour de toute ma vie d’artiste, qui a toujours conservé à mon égard une dignité qui m’a rendu bien malheureux, qui m’a mis un pied dans la tombe, mais qui n’en est pas moins honorable pour ses sentiments.[この一文は全体として、ハリエットの身持ちの正しさをカミーユ・モークの行動との対比において強調しているものとみることができる。])お父さん、貴方は完全に思い違いをしておられます。悲しむべきことですが、そうなのです。どうしてもお父さんの誤解を解くことができない以上、僕は貴方に一つの最後のお願いをするほかありません。それは、僕の心の中にある、貴方への愛を壊さないでください、ということです。お父さん、僕は貴方を愛しています、貴方が僕の子ども時代の環境に巡らせてくれた心遣いがそれ[=僕の貴方への愛]を生じさせるためになされた[僕の]愛のすべてをもって。それを僕から取り上げないでください。僕を親不孝な息子にしないでください。( Je vous aime, mon père, avec tout l’amour que les soins dont vous avez environné mon enfance étaient faits pour inspirer, ne me l’ôtez pas, ne faites pas de moi un fils dénaturé. )

是非はともかく、理解してください、確信してください、どのようなことをしても僕をアンリエットから引き離すことはできないのです。彼女を得るためにはどんなことでもすると僕が言うのは、言葉どおりの意味です。けれども、絶望とその恐ろしい随行団[絶望が引き起こす種々の恐ろしい行動のことであろう]をそこに登場させるため、僕の心から優しい天然の感情を取り上げてしまうような、ある一つの途方もない蛮行もあるのです[ ; quand je dis que je ferais tout pour l’obtenir c’est dans toute l’acception du mot, mais il y a une barbarie immense à tirer de mon cœur les sentiments tendres et naturels pour y faire entrer le désespoir et son affreux cortège. 〜文脈に合うよう、tirerを「(AからBを)取り上げる」と訳したが、辞書には、「(AからBを)引き出す」との訳語はあるものの、「取り上げる」との訳語は見当たらない。その意味をもつ言葉は、arracher (取り上げる、奪取する等)、emporter(奪い去る等)等である。なお、「ある一つの途方もない蛮行」とは、二人を無理に別れさせることを意味するものと解した。]スミッソン嬢と結婚することで僕が彼女を不幸にするだろうとか、別の女性のために彼女を棄てることになるだろうとか、これ以上仰るのなら、お父さん、僕は貴方への愛情を失ってしまうことのないよう、ラ・コートからの手紙はもう開けないようにするので、このことで僕に手紙を書こうとされても無駄ですと、包み隠さずお伝えせざるを得ません。エドゥアールが公証人の支援を受けてお父さんたちに最初のソマシオンを提出できるよう、委任状を彼に送りました。ほかに付け加えることはありません。僕を理解してくださらないのであれば、全ては無意味でしょうから( Je n’ai rien à ajouter, si vous ne me comprenez pas tout sera inutile. )。

H.B.(了)[書簡全集323]

訳注/1回目のソマシオン
最初のソマシオンは、この手紙及び同日に書かれたエドゥアール・ロシェ宛の手紙[前掲]がラ・コートに届いて間もなく、すなわち1833年2月末に、エドゥアール・ロシェ及び公証人シミアンによって実行されたとみられる(後掲1833/3/6ナンシーからベルリオーズ夫人宛1833/3/12ロシェ宛1833/3/29シャラヴェル宛の手紙、ブルーム編『回想録』p.415n.41参照)。

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