凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
ユリアージュ発、1833年2月13日
ナンシー・クラピエからナンシー・パル宛
愛しいナンシー、私たちの知恵( prudence )とは、どれほど誤り易いものなのでしょう!私は、貴女は娘として妻として、お兄さん[エクトル]に対し、取り返しの付かない結果を招いて先々本人の手を焼かせるような無分別な行動を思い止まらせてあげるよう努め、一言忠告してあげる義務を負っていると思っていました。それに、こうも思っていました。彼は貴女にこう言ったかもしれないのです。「何もかも君に打ち明けていたのに、どうして忠告し、止めてくれなかったのか!ためになる意見をひとつもらえていれば、僕の無分別は消え去っていただろうに」と。これほど残酷な打撃からあの素晴しいお父様を守るために試み得る全ての手立てを尽くさなかったとの非難を貴女が受けるのではないかということも、心配していました。そして、これこそがまさに、お父様を破滅に陥れる打撃を制止するために貴女のした努力なのです!(Je craignais que tu ne pusses aussi te faire des reproches de n’avoir pas tout tenté pour préserver cet excellent père d’un coup si cruel, et c’est l’effort même que tu as fait pour retenir le coup qui l’a précipité ! )これほどデリケートな場面で私が貴女に助言をすれば、そのような行動をした思い上りについて、苦い気持ちで自分を責めることになるでしょう。私には、私よりもよく男性方のことや男性方の情熱のことをご存じでいらっしゃるに違いないパルさん[ナンシーの夫、パル判事のこと。なお原文はton mari ]も、きっと私と同様にお考えになるだろうということが分かるだけです。H[エクトルを指す]の突飛な行動は、あらゆる予想を超えるものでした。貴女の憤りはとてもよく分かります。とても大切な人たちのことをそんなふうに心配しなくてはならないとは!愛しいナンシー、私は、これらすべてことをとても悲しく思い、貴女の気持ちに心から共感しています。唯一私を慰めてくれるのは、彼の突飛な行動の前に立ちはだかっている色々な障害です。幾らかの時間を手に入れることで全てが手に入り、燃えるような情熱の高まりが過去のものとなることに、望みを繋いでいるのです。ですから、彼のために言い訳を考えてあげることに関しては、貴女の判断に任せます。彼が常軌を逸した人で、そういう人には分別をわきまえた人と同じルールで判断を下してはいけないと、貴女が考えるのは、正しいと思います( Vous penserez avec vérité que c’est un fou, qu’il ne faut pas le juger sur les mêmes règles que ceux qui ont conservé leur bon sens. )。ああ、あらゆる情熱を正当化し、最も大切な義務をないがしろにして、そのときの熱愛対象のためにすべてを犠牲にすることを誇るような考え方の、どれほど残念なことでしょう。けれども、彼の心は、無我夢中の時期が過ぎれば、これらすべての誤りと相容れないものになるでしょう。私はそう思います。そう確信しています。1人の人の中には、しばしば2人の人がいます。肝要なことは、彼が分別を取り戻すのに十分な時間を稼ぐことでしょう。彼が手紙を書く前にためらい、もっと待つ気になってくれていたら?そう思いたいところですが、彼が貴女に書いた手紙の調子からすると、そんなばかげた希望を抱く余地は、ほとんどなさそうです!
愛しいナンシー、私たちは義務を怠らないよう、許しの理由を探す必要があります[文意不詳〜Nous avons besoin de chercher des motifs d’indulgence, ma chère enfant, pour ne pas nous éloigner du devoir :]。彼らは、常軌を逸した理屈に、悪気なく夢中になってしまっているのです。このように古くからあるきちんとした考え方が壊れてしまっている中、彼らは、もうかつての仕来(しきた)りを拠り所にしていません。そうなれば勝利は情熱に帰すことになります!そうして彼らはさらに、自分たちを強い人間だと思い込むのです。愛しいナンシー、これらのことは束の間のことでしょう。自然もまた、自らの権利をもっているからです。とはいえ、どうか彼が、感情の昂(たかぶ)りのなかで取り返しのつかない過ちを犯してしまっていませんように。これらの続き、この厳しい手紙が引き起こす出来事を、どうか私に確実に知らせてください。気の毒なジョゼフィーヌ[ベルリオーズ夫人]が何も知らずにいられることを強く願っています。あの気立ての優しい小さなアデールには、何と残酷な目覚め(réveil )[意味不詳]、何という謝肉祭の終わりになってしまったことでしょう。パルさんが親身になってしてくれる忠告等( les avis et la sympathie )が、あなた方にどれほど慰めとなるか、私にはよく分かります。この人の助言がとても重要だということは、疑いようがありません( Il est certain que les conseils de cet homme ont bien plus de poids. )。こうしたことに関しては、男性方( ils )の方が私たち女性( nous )よりも、よく分かっています。過度の高揚のせいで彼[エクトル]には普通の予測が及ばないという事情はあるにしても、彼[エクトル]は男性ですから、[パル判事のように]男性であれば、より正しく彼[エクトル]の動きを評価することができるでしょう。結局、私たちが、庇護してくれる人、慰めてくれる人の価値( le prix d’un protecteur et d’un consolateur [「配偶者の有り難み」といった意味か])をすべて知るのは、そうした時なのです。こんな重荷を心に持ち、それを打ち明ける相手もなく出発する小さなアデールを、とても気の毒に思っています。それを私がラ・コート訪問を検討するもうひとつの理由だと貴女が考えるのは、もっともなことです。3月初めに行く準備を整えるように努めます。
可愛いナンシー、健康に気を付けてください。このようなショッキングな出来事が起きている中、貴女の健康が幾らか改善していることは幸いです。
さようなら、とても愛しいナンシー。私のために貴女のお母さんと妹を抱擁してあげてください。そして貴女は、私の心からの誠実な友情を受け取ってください。大切なナンシーのために秘密の厳守と共感を[約束します、の意と思われる。原文:Secret et sympathie pour ma chère Nancy.]。(了)[『家族の手紙』No.313]
訳注/この手紙について
この手紙の書き手、ナンシー・クラピエ( Nancy Clappier 1784 – 1868 )は、ベルリオーズの母、ベルリオーズ夫人の親友として、ベルリオーズの妹ナンシー・ベルリオーズの名付け親となり、彼女が成長してからは、その良き文通相手となった人である。教養のある聡明な女性で(生涯独身だった)、エクトルの職業選択をめぐりラ・コートのベルリオーズ医師とパリにいる本人との間で激しいやりとりが続いていた時期、エクトルの天分、ハイ・アートへの志向に関心を持ち、理解を示す手紙をナンシーに書いている(1828/1/7付『荘厳ミサ曲』再演の成功について[ケアンズ1部14章〜抜粋・英訳、『家族の手紙』No.124〜全文]、1828/10/21付ローマ賞2等受賞の帰省時のエクトルについて[ケアンズ同17章、『家族の手紙』No.163])。また、カミーユ・モークとの恋愛の破局に際しても、エクトルへの深い同情を示す手紙を書いている(1831/4/29付ナンシー宛[ケアンズ同28章、『家族の手紙』No.236])。
本文に訳出した手紙の前段、特に「これこそがまさに、お父様を破滅に陥れる打撃を制止するために貴女のした努力なのです!」までの数センテンスは、ハリエットと相思相愛の間柄になったことを明かす1月7日付のエクトルの手紙に対してナンシーが書いた返事(逸失。おそらく忠告を内容とするもの)が相手の激しい怒りをかってしまった(2月5日付ナンシー宛のエクトルの手紙)ことについて、彼女を慰め、元気付ける内容となっている。
また、この手紙の後段では、ナンシーに対し、彼女の夫、パル判事の助言を求めることの重要性が説かれているが、適切で有効なアドバイスだったとみてよいであろう。実際、後に掲げる手紙の幾つかから見て取れるように、これより先、パル判事は、ベルリオーズ家の人々への助言をはじめ、事態収拾に向けた関係者への働きかけを強めていく。もとより、パル判事のこうした動きは、ナンシーとの緊密な意思疎通を経てなされたものだったのであろう。
なお、エクトルの母、ベルリオーズ夫人について付言すれば、ナンシー・クラピエのこの手紙のほか、既に見たフェリクス・マルミオンの手紙(2月10日付ナンシー宛)、後に続くベルリオーズ医師の手紙(2月20日付ナンシー宛)等、複数の手紙から、エクトルが女優との結婚を望んでいることを彼女に知らせるのをできる限り遅らせるよう、関係者が一致して努めていたことが窺われる。これはおそらく、このことに対する夫人の反応が非常に激しいものになることを予期し、それを気遣ってのことだったのであろうと推測される。
(参照文献)
本訳注作成に当たり、訳注本文に記載したもののほか、次の文献を参照した。
Beyls, Pascal, Nancy Clappier, amie des Berlioz, Grenoble, 2006