手紙セレクション / Selected Letters / 1833年10月25日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1833年10月25日
アンベール・フェラン宛

友よ!親切で、立派で、気高い、僕の友よ!ありがとう!これほど率直で、心に触れ、思いやりのある手紙を、ありがとう。僕は今、一日中パリの街を走りまわることを僕に余儀なくさせる色々な差し迫った用事に、ひどく、とてもひどく急き立てられている。それでも、貴君の優しい感情のほとばしりに、今すぐお礼を言いたい強い気持ちに抗うことができない。

そうなのだ、親愛なアンベール、僕は、貴君の言葉のすべてに逆らって( malgré vous tous )、信じた。そしてそれが、僕を救った。アンリエットは素晴らしい女(ひと)だ。彼女は、オフィーリアそのものだ。ジュリエットではなく。ジュリエットのような熱情を、彼女は持たないから。彼女は優しく、穏やかで、内気な女(ひと)だ。ただときどき、無言のまま僕の肩によりかかって僕の額に手を置くか、あるいはまた、画家も思い描いたことのないほど優雅な姿勢で、微笑みながら泣くか、するだけだ。
「可哀想に。いったいどうしたの?」
「何でもありません。胸がいっぱいなのです。貴方は大きな代償を払って私と結婚し、私のためにひどく苦しみました。・・・泣かせてください。そうしないと、息が詰まってしまいます。」
そして僕は、さめざめと泣く彼女の声に耳を傾ける。そうするうちに、彼女は言う。「歌って、エクトル。私に!」
そこで

[『幻想交響曲』の固定楽想の最初の8小節の譜〜略]

あるいはまた、彼女の大好きな旋律、舞踏会の情景[『幻想交響曲』第2楽章]が始まる。野の情景[同第3楽章]は、彼女をひどく悲しくさせる。それで彼女は、この旋律を聴きたがらない。多感な女(ひと)なのだ。実を言うと、こんな感受性は全く想像していなかった。とはいえ、彼女には音楽の心得が全くない。それに、貴君は信じられるだろうか?彼女はポン・ヌフ[セーヌ川に架かる橋の名]のはやり歌みたいなオベールのいくつかの旋律( certains pont-neufs d’Auber )を聴くのが好きなのだ。美しいのでなく、心地よいと言う。

貴君の手紙で一番嬉しかったのは、彼女の肖像を欲しいと言ってくれたことだ。必ず送ろう。僕用のもの( Le mien )が製版されるところだ。出来次第、それが貴君のものになる。僕は今日、パリに独りでいる。ヴァンセンヌから出て来たのだが、妻は夕方まで向こうに残っている。彼女に貴君の手紙を見せるとき、僕は喜びに我を忘れてしまうだろう。彼女にはきっと、貴君の手紙、取り分け演劇活動に関する箇所の意味がよく分かるだろう。彼女の一番の願いは、それをやめられるようになることなのだから。( Je serai transporté de joie de lui montrer votre lettre, et je suis sûr qu’elle la sentira, surtout le passage relatif au théâtre, son vœu le plus cher ayant toujours été de pouvoir le quitter. )

『「あらし」に基づく劇的幻想曲』の写譜の料金を調べるつもりだ。貴君には、僕の交響曲( la Symphonie )[『幻想交響曲』のこと]の断片よりも、こちらを持ってもらいたいと思う。これは完結した作品( un œuvre complet )だから。それに、ちょうど今、リストがこの交響曲全体をピアノ独奏に置き換えた( réduire )ところだ。これが製版されるから、この作品の記憶の喚起は、それでできるだろう。

さようなら。頻繁に手紙をくれたまえ。貴君に返事を書き、自分のいる天国のことを話すのは、とても嬉しい。そこにはただ貴君だけが欠けている。ああ!もし・・・いや、後にしよう。もしこの地上に、何か美しく崇高なものがあるとすれば、それは、僕らの理解している意味における、愛と友情だ。

『秘密裁判官』( les Francs-Juges )[フェランと協力して作ったオペラ]のことは、いつも心に懸けている。あれほど律動的で音楽的な貴君の詩( vos vers )[台本のこと]が、世に知られず、所を得ぬままになっていることを、どれほど僕が残念に思っているかは、貴君に告げるまでもない。第2幕冒頭のコーラスを織り込んだ『ボヘミア人たちの情景( la Scène des Bohémiens )』を書いた。亡霊の登場だ( : L’ombre descend )。奇妙なリズムを持つ、途方もないコーラスになるだろう。効果については、ほぼ確信している。次の演奏会で演奏するつもりだ。

さようなら、友よ!

アンリエットに会うまでもなく、僕は、貴君が彼女と僕のために書いてくれたことがどれほど心に染みたかを、彼女を代弁して貴君に伝えることができる。

さようなら。[以下英語。シェークスピア『ハムレット』(1幕5場)で父王の亡霊がハムレットに掛ける言葉をまねて]さようなら、親愛なホレイショー、僕を忘れずにいてくれたまえ。僕も君を忘れない。( farewell dearest Horatio, remember me. I’ll not forget thee. )(了)

[書簡全集357]

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