凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
パリ発、1833年1月23日
アデール・ベルリオーズ[在ラ・コート・サンタンドレ]宛
愛しいアデール、
互いの手紙が行き違いになったことに、君も気付いたに違いない。優しく気遣ってくれて有難う。だが、僕は病気に罹っていたのではない。
気掛かりなことがひどくたくさんあったのだ。
2週間も何もせず過ごしていたが、今は活動が平常に戻りつつある。製版職人、印刷業者、出版業者といった人たちの仕事ぶりを見張らなければならないのだ。シュレザンジェが僕の『メロローグ』の中の3つの曲を製版している。これらが全部刊行されたら、バラード『囚われの女』と一緒に、ナンシーに送ろう。僕の歌劇場でのデビューがほぼ決まった。僕の音楽家としてのキャリアは、いつも風変わりなものになると決まっているらしい。僕は、イタリア劇場( le Théâtre Italien )でデビューする。僕はこの劇場の経営陣に大いに気に入られている。ここではイタリアで既に知られている作品しか上演されないから、僕は、この劇場に新作を書く、ただ一人の作曲家ということになる。
僕はいま、その作品の台本の草案を劇場に届けてきたばかりだ。題材選びも、脚色も、僕が自分でした。経営陣諸氏がそれを読み、気に入った場合、すぐに作詞家に引き合わせてくれ、その人が僕の監督下で台本を書くことになる。この劇場では著作権料は支払われないが、募金公演を開いてくれ、その収益が平均で5千フラン、多ければ8千フランに上る。
契約は書面で交わす。そうでなければ何もするつもりはない。来(きた)る10月、つまり、9か月後の予定だ。
すべてが希望どおり運んだら、君に知らせよう。
家の皆はどうしているだろうか? ・・・ナンシーがひどく長く手紙をくれない。
叔父さん[母ベルリオーズ夫人の弟、フェリクス・マルミオン]が、駐留任務のため、3日前に当地に到着した。彼の連隊は今朝がたようやく市内に入った。彼らが大通りを通るのを見たが、素晴らしい勇姿だった。
さようなら、僕の優しい、素晴しい妹よ。僕が君を愛しているのと同じように、君も僕をいつまでも愛してくれたまえ。
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集312]
訳注/イタリア劇場に向けたオペラの構想について
ベルリオーズは、この手紙に先立つ1833年1月19日付の友人ドルティーグ宛の手紙(書簡全集311)で、シェークスピアの喜劇(『から騒ぎ』)を題材にしたイタリア語のオペラを作る構想を語っているが、この手紙と合わせ読むことで、その構想がイタリア劇場に向けられたものだったことが分かる。この構想は実現することなく終わったが、ベルリオーズは、後年、同じ題材に基づくフランス語のオペラ・コミック(全2幕)、『ベアトリスとベネディクト』を作曲(1860―62年)、上演(1862年、バーデン・バーデンで初演)している。