凡例:緑字は訳注 薄紫字は音源に関する注
ローマ発、1832年3月26日
アンベール・フェラン宛
親愛なアンベール、貴君の手紙と、貴君の見事な怠け癖の自認を受け取った。してみると、貴君はそれを自分で直すつもりがないのか?・・・だが、それにしても、この追放刑がどれほど辛い責め苦で、このばかな兵舎[在ローマ・フランス・アカデミーの館、ヴィラ・メディチのこと]で、僕がどれほど「sad hours seem long(悲しい時間は長く感じる[『ロミオとジュリエット』1幕1場、ロミオの台詞])かを知ってくれているなら、貴君も返事をくれるのをこれほど待たせはしないだろうと思う。
貴君は僕に結構なお説教をしてくれている。請け合うが、それは全く的外れで、僕がまさに陥ろうとしていると貴君が推測しているカロ[ジャック・カロ(1592-1635)。フランスの銅版画家]的な傾向について、僕のことを案じる必要は全くない。
僕が醜悪なものの愛好者になることは決してないから、安心してくれたまえ。押韻(la rime)に関して僕が貴君に言ったことは、ただ貴君の負担を軽くすることが目的だった。貴君が無意味な課題に時間と才能を浪費するのは見るに忍びないからね。押韻された詩句が、脚韻(la rime)も半句の区切り(l’hémistiche)も全く分からなくなる(disparaître)ような形に配列されて音楽を付される例がいくらでもあることは、僕だけでなく、貴君も知っていると思う。そんな時、韻文化(versification)に何の意味があったことになるだろうか?申し分なく韻律を整えた詩句(les vers bien cadencés et rimés)は、歌詞の繰り返しが全然ないか、ほとんどない音楽においては、所を得る。押韻の効果(versification [f.])が感知されるのは、そういう場合だけだ。それ以外のいかなる場合も、それは、失われてしまうことになる(elle n’existe pas)。
朗読される詩と歌われる詩の間には、大きな隔たりがある。僕は押韻の文学的な問題を取り上げて貴君と議論する立場にはない。それでも、貴君が無韻詩(vers blancs[脚韻を踏まない詩])に対して抱く嫌悪が、教育と習慣に由来するものだということは、確信している。考えてくれたまえ、シェークスピアの作品の4分3は無韻詩で、バイロンも無韻詩を書いたということを。ドイツ語の叙事詩の傑作、クロプシュトックの『救世主』もまた、無韻詩だということを。僕は最近、シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の無韻のフランス語訳を読んだが、少しも不快に思わなかった。貴君の話から、大いに反発を感じることを覚悟していたのだけれどね。こうしたことは、皆、習慣のなせる業で、無韻のフランス語詩に不快感を覚える、同じその人たちが、韻を踏んだ中世のラテン語を悪趣味に感じるのも、そのせいなのだ。さあ、この話はもうこれで十分だ。
では、貴君は、僕の提案(mon sujet[オラトリオ『世の終わりの日』の台本を書くこと。フェランへの前の手紙(1月8日付)参照])を承諾してくれるのだね。貴君のイマジネーションを縦横に発揮できる、途方もない壮大さと豊かさをもった世界が、ここにある。そこでは、何もかもが真っ新(まっさら)だ。未来が舞台なのだから。風俗、作法、文明の程度、芸術、習慣について、さらには、(軽んずべからざる要素だが)服装についてさえ、貴君の思いどおりに設定できる。つまり、貴君は、知られていないものを探し求めてよいということであり、また、探し求めねばならないということですらある。なぜなら、誰がどう言おうと、知られていないものは存在するし、すべてが見つかっている訳ではないのだから[il est donc vrai que vous pouvez, que vous devez même chercher I’inconnu ; car, vous avez beau dire, il y en a, de l’inconnu : tout n’est pas découvert]。音楽に関しては、僕は、計り知れない豊かさの見込まれる、ブラジルの森を切り開くつもりだ。僕らは歩むだろう、豪胆な開拓者として、力の続く限り[Pour la musique, je vais défricher une forêt brésilienne, où je me promets d’immenses richesses; nous marcherons, hardis pionniers, tant que les moyens matériels nous le permettront.]。
5月中には貴君に会えるだろう。そのときにはもう、何かをスケッチしてくれているだろうね?・・・
僕は、アルバーノ、フラスカティ、カステル・ガンドルフォ等々を、また駆け巡ってきたところだ。湖、平原、山、古い墓、礼拝堂、修道院、のどかな村、岩山の上で鈴なりになった家々[これらの名詞はいずれも複数形]、地平線の彼方の海、静けさ、太陽、薫るそよ風、訪れたばかりの春。これは、夢想、夢幻の世界だ!・・・
これとは別に、僕はひと月前にも、[教皇領国家と両シチリア王国の]国境の高山地帯に本格的な小旅行をした。旅行中のある晩、ちょっとした歌曲[『囚われの女』のこと]を炉辺で鉛筆書きしたので、それを貴君に送ろう。この小品は、ローマに戻ってから、大使館のサロンから彫刻家たちのアトリエまで、至る所で歌われる幸運に恵まれた。貴君も気に入ってくれるとよいが。少なくとも今回は貴君も伴奏を難しいとは感じないだろう。
さようなら、親愛な友よ。5月1日に当地を出発する前に、もう一度貴君の近況を知らせて貰えることを願っている。連絡をより確実にするため、郵便の遅延を見越し、貴君の手紙をフィレンツェの局留め(posta firma[〜イタリア語。ただし、正しくはferma in posta、fermo posta等と綴るべきところとみられる])にして、そこで受け取れるようにしてくれたまえ。
心を込めて。
敬具(了)[書簡全集267]
訳注/オラトリオ『世の終わりの日』の行方
フェランは、ベルリオーズの期待に応えることができなかった。『世の終わりの日』の台本は、結局、書かれずに終わる。ベルリオーズとの文通のパターンにも示されている、フェランの生来の不活発については、青少年期に患った脊髄の病気が一因であった可能性があるとの指摘がある[出所:ベルリオーズ辞典Ferrandの項(執筆者Alain Reynaud)]。