手紙セレクション / Selected Letters / 1832年12月16日(29歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1832年12月16日、
フランソワ・セゲール宛

親愛な友よ、

僕は大いに疲れ、大いに無気力になり、大いに意気阻喪し、大いに生気を失っているが、それでも自らの茨の道を行かねばならない。先日の演奏会の再演を計画していて、それが明日の8時になりそうなのだが、貴君の好意をもう一度当てにしてもよいだろうか?関心のない人たちへの支払は済んでいるから、経費がかさんでも乗り切れるだろうと思っている[Je crois me tirer d’affaire malgré l’augmentation des frais, tous les indifférents 2 étant payés.]

さようなら、今晩はH.スミッソンに会えないことがひどく悲しく、何も考えが浮かばない。明日にならないと彼女に会えないのだ。昨晩は、2人で滂沱の涙を流した( La soirée d’hier a été pleine de larmes pour tous les deux. )。彼女は、僕が思ってもいなかった深く誠実な感受性を持っている( Elle a une sensibilité profonde et vraie que je ne lui supposais pas ; )。僕は最初の日と同じように彼女を愛しているし、愛されていることも確かだと思う。だが、彼女は怯え、ためらっていて、どう心を決めてよいか分からずにいる。どのような結末になるのだろうか?

さようなら。リハーサルの日は連絡する。アブネックはすっかり夢中になっていて[Habeneck est tout feu, ]、音楽院演奏協会の演奏会で僕の交響曲を取り上げることができるよう、僕がもっと長くパリに留まることを望んでいる。

彼が腹の底で何を考えているかは分からない[ Le diable sait ce qu’il pense au fond ]。行動のみを評価しよう。

もう一度さようなら、
貴君の誠実な友、
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集300]

訳注/この手紙について
名宛人の François Jean Baptiste Seghers(1801-1881)はフランスのヴァイオリン奏者。アブネックが組織したパリ音楽院演奏協会の創設以来のメンバー。ベルリオーズの演奏会にも当初から加わっており、その後長きにわたり両者は良き友人だったという(情報の出所:ベルリオーズ辞典「セゲール」の項〜執筆者D.カーン・ホロマン)。

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