手紙セレクション / Selected Letters / 1832年12月10日(28歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

パリ発、1832年12月10日
アデール・ベルリオーズ宛

愛しいアデール、

昨日、僕は途方もない成功を収めた。ほぼすべてが申し分なく演奏され、鑑賞された。圧倒的な喝采を受け、これまで起きたことがないことだが、盛大な歓呼をもって呼び出された。会場を出る前に僕の姿をもう一度見ようというのだ。僕はそれで、客席とオーケストラからブラヴォーの声が盛んに上がるなか、前舞台( l’avant-scène )に出て行かざるを得なくなった。君がその場にいてくれなくてよかったと思うくらいだ。神経発作を起こさせてしまうほどの歓声だったからね。お父さんの健康にもよくなかったに違いない。僕の新作、『メロローグ』(この作品は、語りと歌詞( les paroles )も自分で書いた)には、あの素晴らしい悲劇俳優、ボカージュが出演してくれたが、その演技は、非の打ちどころのない、見事なものだった。パガニーニ、V[ヴィクトル]・ユゴー、A[アレクサンドル]・デュマ、ピクシス、A[アドルフ]・ヌリをはじめ、僕に会おうと舞台に上がってきた大勢の男女から、いやというほど抱擁やら興奮した賛辞やらをもらったので、その疲れが今も残っているくらいだ。

僕は自らの感情の制御の面で大いに進歩したことに気付いた。一瞬も気弱にならずにいられたからだ。ああ!それでも、フォアイエ[休憩ロビー]でボカージュがまだ感動に青ざめながら突進してきて僕を3度も猛烈に抱きしめたときには、もう少しで釣られて涙をこぼすところだった。

僕は、これとは全く別にもう一つ、さらに思いがけない賛成票(suffrage)を獲得した。巷は今、その話で持ちきりなのだが、これについては、また別の機会に詳しく話そう。お金については、売上がどれ位になったかまだ分からないが、数百フラン程度の利益は得られたと思う。

盛んに再演をせがまれているが、それをすれば間違いなく大きな利益が上がるだろう。今後2週間のうちに実施できるかどうか、検討してみようと思っている。今日のところはまだ、この演奏会のことを報じているのは『コティディエンヌ』紙と『デバ』紙だけだけれども、この件について出る記事は全部、君たちに送るつもりだ。

さようなら。お父さんとお母さんを僕のために抱擁してあげてくれたまえ。

本局に行く時間が見付かり次第、『メロローグ』[『幻想』の「プログラム」、『生への帰還』の独白と歌詞を印刷した冊子]を送る。

H.ベルリオーズ
12月10日(了)[書簡全集295]

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