手紙セレクション / Selected Letters / 1831年9月17日(27歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

ローマ発、1831年9月17日
フェルディナント・ヒラー宛

親愛な友よ、
貴君の手紙は、ローマに届いた後、かなり時が経ってから、スビアコの山中で受け取った。アカデミーのある彫刻家が、スビアコに持ってきてくれたのだが、それがなければ、受け取りはさらに遅れていただろう。なぜこれほど長く貴君が手紙をくれずにいるのか、僕は、理解できずにいた。貴君が怠け者だとは思っていなかったのでね。だがまあ、ここまでとしよう。貴君は今も、ブーローニュの森を避難先にしているのだろうか?僕も、スビアコの隠れ家に、舞い戻ろうとしている。森の中や岩場を歩き、善良な農民たちと出会い、昼は急流の傍(はた)で眠り、夜は宿の酒場で常連の男女とサルタレロを踊るといった、気ままな暮らしほど、僕の好みに合うものはない。僕は、彼らをギターで大いに喜ばせている。彼らは、僕が来るまで、タンバリンの伴奏だけで踊っていたので、この旋律楽器に、すっかり心を奪われてしまっているのだ。今またその地を訪ねようとしているのは、ここローマで、僕に死ぬほど辛い思いをさせている、鬱ぎ( l’ennui )から逃れるためだ。これまで、何日間かは、狩猟に出ることで、どうにかやり過ごすことができた。夜明けには猟場に着くよう、真夜中にローマを出る。疲れ果て、飢えと渇きで死にそうになる。だが、鬱ぎは、もう感じなかった。先日は、鶉(うずら)を16羽、水鳥を7羽、大蛇を1匹、ヤマアラシを1頭、仕留めた。
ローマ郊外の田舎は、とても厳粛で、威厳がある。夕方は特にそうだ!深い峡谷を刻まれた、樹木もない剥き出しになった大地の上で、沈む夕陽の光を受けた公共建築物や寺院の遺跡が、たいそう画趣に富んだ、ひどく沈鬱な風景を作り出す。朝は、古い貯水槽やエトルリアの墓碑の上で、食事を摂った。昼は、バッカスの神殿で眠ったが、この神に献酒をしようにも、手元には、水しかなかった。ガンジス川の征服者となったこの神が、彼に似つかわしくない、このような供物をした僕を、許してくれるといいが!
さて、すると貴君は、親切にも、僕らの知り合いのあの悪党ども[モーク母娘のこと]と、再会してくれたのだね。貴君はそれで、僕の[受賞]メダルと、金製のちょっとしたがらくた数点を、担保に得たことになる。全部合わせて200フラン以上の価値はあるだろうから、僕がフランスに帰る前にコレラで死ぬようなことがあっても、貴君に借りている分くらいは、それで払うことができる。このとんでもない疫病、コレラは、パリでも、大いに恐れられているだろうか?・・・
メンデルスゾーンは、そちらに着いているだろうか?・・・彼は、けた外れで、非凡で、素晴らしく、驚異的な才能の持ち主だ。僕が彼をこんなふうに言うのは、持ちつ持たれつの意識からではない。というのも、彼の方では、僕の音楽はまったく理解できないと、僕に明確に告げているのだから[ Je ne suis pas suspect de camaraderie en en parlant ainsi, car il m’a dit franchement qu’il ne comprenait rien à ma musique. ]。彼に宜しく伝えて欲しい。彼は、人柄は純真そのもので、その上、信仰心がある。ただ、人との付き合いには、少しよそよそしいところがある。それでも、本人は気付いていないかもしれないが、僕は、彼を大いに気に入っている[ mais, quoiqu’il ne s’en doute pas, je l’aime beaucoup. ]

追伸
最近パリに向けて発ったアカデミーの同僚の建築家が、僕らの知り合いの聖処女[カミーユのこと]に、僕が彼女から受け取ったプレゼント、ラブ・レター、指輪、・・・等が入った包みを手渡す役目を、引き受けてくれた。(了)[書簡全集241]

次の手紙 年別目次 リスト1(1819-29)  リスト2(1830-31)