凡例:緑字は訳注
ティヴォリ発、1831年7月8日
アデール・ベルリオーズ宛
僕はいま、大きな滝のそばにいる。4分の3くらいが当時のまま残っている、小さなヴェスタの神殿[ Vesta:古代ローマのかまどの火をつかさどる女神]で、この手紙を書いている。この神殿は、料理屋(兼旅館)の隣にあるが、両者の中間に、台のような形の場所がある。明らかに、かつて、聖なる火を絶やさぬようにしていた場所だ。滝壺の間際(まぎわ)に、それはある。僕はいま、紅茶とギターを持ってきてもらったところだ。言葉に表せないほど、気持ちが沈んでいる。今朝、僕は、前の手紙に書いたローマ皇帝ハドリアヌスの別荘の遺跡に行き、たまたまそこで出会った少年たちに、この地を初めて訪ねたとき、僕の案内役を務めてくれた、14歳の少年、アントーニオの消息を尋ねた。僕は、その子がとても気に入っていた。ほとんど理由も分からぬまま、会ってすぐ、すっかり好きになってしまったのだ。だが、少年たちは、彼が10日程前から重い病気に罹っているという。遺跡巡りから戻ると、僕は、アントワーヌ少年[イタリアの人名、アントーニオに相当するフランスの人名]の家を教えてもらい、そこを訪ねた。荒れ果てた粗末な寝室に上がると、母親と小さな妹たちが、少年のベッドを囲んでいた。少年は眠っていた。すっかり蒼ざめ、やつれてしまっていたけれども、イタリアでしかみたことのない、ラファエロの絵のように優しく美しい顔立ちは、変わっていなかった。母親の話では、 アニオ川[アニエネ川のラテン語名]に魚を採りに行き、日光の下で頭を濡らして以来、僕が見たとおりの状態になってしまっているのだそうだ。僕は、[宿に]お金を取りに行った。戻ってくると、彼は目を覚ましていた。僕のことは正しく認識したが、話すことはできなかった。僕は、自由にできるお金を幾許か、母親に渡した。彼女は、アントニオに lo signore francese [イタリア語。「フランスの旦那様」の意。]にお礼を言わせようとしたが、彼は、意味をなすことは、何も言えなかった。僕にはただ、生気を失った彼の美しい眼が、僕の方に向けられていることが分かっただけだった。すると、気の毒なこの寡婦は、僕に、もうどうしたらよいのか分からないと言い、泣き始めた。頭をヒルに吸わせることもしてみたが、この子はいつも嫌がったとか、たしかに自分は不幸だが、この子を失くさずにいられるようにマリア様がお取り計らいくださらないとは思えないなどと、彼女は僕に言う。僕は、この子はまだ暫くは臥せっていなければならないだろうけれど、きっとマリア様が救ってくださるに違いないと、彼女に言った。僕は、もうそれ以上、そこに居られなかった。息が詰まりそうだった。僕は逃げ出した。そして、ティヴォリの背後の山に登った。山のずっと上の方に、粗末な木の十字架があった。僕はその根元に腰を下ろした。広大な平野、蛇行するアニエネ川、陽光を受けて彼方に輝く湖[複数]に囲まれた、あの愚かな街、ローマが、遠くに見えた。僕はとても長い間、その場所に留まっていた。・・・叩きつけるような雨が降ってきた。岩場の奥深くに入っていかなければ、雨宿りは、とても出来そうになかった。僕はそれで、雨に打たれながら、エリカの花や、初めて見る野生のギンバイカの小枝を摘むことにした。ギンバイカの花を一束、持ち帰った。着替えをし、ギターで自分の感情を掻き立て、少しばかり、作品の楽想を得ようとしたが、何も思い浮かばなかった。気の毒なあの母親と、聖母マリアのことが、頭を離れなかった。数日前にはあれほど元気だったのに、今や命を落とそうとしている、薄幸なアントニオの姿が、眼に浮かんだ。
今夜君に手紙を書いているのは、ここティヴォリから、さらに10リュー[1リューは約4キロメートル]ばかり先にある、山間の小さな市場町、スビアコに向かう、明日の馬車の席が取れたからだ。彼の地にどれくらい滞在するかは、未定だ。そこからの手紙が、君に届くかどうかも、よく分からない。ローマを出る前、ナンシーの手紙を受け取った。彼女によれば、ラ・コートは、相変わらず単調で、何もないそうだね[la Côte est toujours plus monotone et plus nulle.]。でも、君たちはときどき、ヴェロン嬢と会っているそうだね。僕は、彼女の方でも、君たちが彼女との交流を必要としているのと同じように、君たちとの交流を求めているに違いないと思う。お母さんはもう、カイコの世話の疲れから、回復しているだろうか?こちらには、お母さんが見たら、きっと大いに羨ましがるに違いない、見事なクワの木がある。お父さんは、アルフォンス[・ロベール]の最近の成功に、大いに満足しているに違いないと思う。僕も、彼の手紙を受け取ってすぐ、彼を祝福する返事を書いた。フォルジュレ夫人がヴィクトルを優遇した経緯もあるから、ロベール夫妻はいま、とても機嫌が良いに違いない。
僕は先日、恐ろしい夢を見た。ラ・コートの家の食堂に、3人の山賊が入って来て、お父さんを無理やり連れ去ろうとするのだ。僕が叫ぶのを聞き、[鍛冶職人の]クロード・ファルレが駆けつけてきて、1人を金槌で殴り倒した。一方、僕は、先の曲がった大きな短刀で、他の2人の前腕を切った。実際、僕は少し前、オラス氏のアラブの短刀に触れたことがある。それが夢となって僕の脳裏に甦った訳だ。何と奇妙なことだろう!・・・
館長オラス・ヴェルネ氏は、蒸気船スフィンクス号に乗って、フランスに向け、出発した。馬車を船に積んで行き、パリ往復に10日間、同地滞在に5日間の、計2週間しか、かけない算段だ。「飛んでいく」とは、まさにこういうことを言うのだろう。
前の手紙で君たちに知らせた、スフィンクス号の士官たちからの申し出は、活用できなかった。僕の旅券では、彼らと一緒にここを発つことはできなかったし、チヴィタ・ヴェッキア[ローマの外港]に一人きりで行きたいとは、もう思わなかったからだ。
さようなら。夜になった。
ヴェスタの神殿は、囲いを汚(けが)された。
神の火は消え・・・もうこの場所には見えない。[スポンティーニのオペラ、『ヴェスタの巫女』から]
H.ベルリオーズ(了)[書簡全集235]