手紙セレクション / Selected Letters / 1831年5月10日頃(27歳)

凡例:緑字は訳注

ニース発、1831年5月10日又は11日
アンベール・フェラン宛

さあ、フェラン君、活動を始めようではないか。怒りも、復讐も、身震いも、歯ぎしりも、それに地獄も、もうたくさんだ。[ Eh bien, Ferrand, nous commençons à aller; plus de rage, plus de vengeance, plus de tremblements, plus de grincement de dents, plus d’enfer enfin. ]貴君は僕の手紙に返事をくれていない。それでも僕は、貴君にまた手紙を書いている。貴君は、僕がいつも貴君の手紙1通に対して3通、4通もの手紙を書くよう、習慣付けてしまった。貴君がローマに宛てて書き、一ヶ月前に僕がフィレンツェで受け取った貴君の手紙から数え、これは3通目になる。それにしても、貴君がどうしていまだに返事をくれずにいられるのか、理解できない。友の思い遣りを、僕は、本当に必要としていたのだ。貴君が僕に会いに来てくれるのではないかと、ほとんど本気で考えていたくらいだ。妹たちは、一日おきに手紙をくれていた。先日などは、一度に5通も受け取ったのに、貴君からの手紙は、そこにもなかった。僕は途方に暮れている。きいてくれたまえ、もしこれが、純然たる不精のせいだったり、怠惰や不注意のせいだったりするのであれば、それはよくない。とてもよくないことだ。住所は、ちゃんと知らせてあった筈だ、ニース、ポンシェット通り、クレリシ館とね。ああ、貴君に分かってもらえたら!生へと帰還したとき、というよりむしろ、生へと舞い戻ることを余儀なくされたとき、友情の両腕が自分に向かって開かれていることを、人が、どれ程望むものであるかを!引き裂かれ、生気を失っていた心[ le coeur 英語の「ハ―ト」と同じく、「心臓」の意も。]が、再び鼓動を始めたとき、それ[心]が、どれ程強く、自己を生と和解させる作業を助けてくれる、もうひとつの高貴で強い心を求めるものであるかを。速達で[ courrier par courrier ~配達人引き継ぎの方法で ]返事をくれるよう、僕はあれほど貴君に懇請したのだ! あちこちから届いていた励ましや慰撫の言葉に加え、僕に慰めを与えてくれる、貴君からの助言が、速やかに得られることを、僕は疑っていなかった。にもかかわらず、僕はそれを受け取ることができなかった。そうなのだ、カミーユは、プレイエルと結婚した!・・・僕は、今ではそれを喜んでいる。このことを通じ、僕は、自分が免れた危険を認識することが出来るようになったのだから。何というあさましさ、何という無情、何という卑劣さだろう!・・・これは、途方もない、ほとんど見事な悪行だ。もし、見事さが「下劣さ(l’ignoblerie)」(貴君の申し分のない造語を拝借)と両立し得るとしてだが。
5、6日のうちに、ローマに戻るつもりだ。給費の受給権は、失われなかった。僕に返事を書いてくれるよう貴君に懇願することは、もうすまい。詮のないことだからね。だが、もしそうしてくれるのであれば、宛先は、次のようにしてくれたまえ。ローマ、ヴィラ・メディチ、フランス・アカデミー。その場合には、貴君の出版業者のドゥナンから連絡が来たかどうかについても、知らせてくれたまえ。僕はまだ、貴君が彼に支払うべき額のうち、100フランしか、彼に渡していない。僕の貴君への借財は、あと幾ら残っているだろうか。そのことも、どうか知らせてくれたまえ。
さようなら。貴君は怠け者だが、それでもやはり、貴君の誠実で、献身的で、忠実な友より。
追伸。新しい序曲を一つ、僕のレパートリーに加えたところだ。シェークスピアの『リア王』序曲が、昨日、仕上がった。(了)[書簡全集225]

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