手紙セレクション / Selected Letters / 1831年2月9日(27歳)

凡例:緑字は訳注

リヨン発、1831年2月9日
トマ・グネ宛

親愛なグネ君、
貴君にフェランの消息を知らせるつもりでいたのだが、彼は例によって、3通の手紙に返事をせずに、僕を3週間も待たせた挙句、ラ・コートには来られないから、代わりにベレー[フェランの住居地。リヨンの東方に所在。]に来ないかと書いてきた。ベレー行きは、フェランに会えるという意味では、大いに魅力があったが、彼のご両親がとても変わった人たちなものだから、その点を考慮して、思いとどまることにした。かくて僕は、僕をイタリアへと駆り立てる力に身を任せ[古代ローマの叙事詩『アエネーイス』(ウェルギリウス作)を思い起こさせる表現。故国再興の使命を帯びたトロイアの英雄エネアスが、陥落直前の故国の都を兵を率いて脱出し、地中海を経てイタリアに上陸し、彼の地でローマ建国(=トロイア再興)を果たすまでを描いたこの作品は、ベルリオーズ終生の愛読書であった。]、今夜、発つことにした次第だ。
あと10日もすれば、地獄の責め苦に等しいこの流浪の生活が、いったいどれくらい続くものか、判然とするだろう。ああ、親愛なグネ君、僕はとても不幸だ!僕は請け合うが、いかなる言葉をもってしても、僕が何を苦しんでいるのか、少しでも貴君にイメージしてもらうことは、できないだろう[ Oh ! mon cher Gounet, je suis bien malheureux, rien, je vous assure, ne peut donner une idée de ce que je souffre. ]
ところで、貴君のことだが、その後どうしているのだろうか?・・・貴君の苦悩は、まだ癒えていないのだろうか?・・・僕はしばしば貴君のことを考え、貴君が悲しんでいるだろうと想像している。ローマのヴィラ・メディチ宛てに、ときどき手紙を書いてくれたまえ。
同封の20フランの手形を、僕の印刷業者、モンマルトル通りのミシェル夫人に届けてもらえないだろうか。住所は、シュレザンジェの店で分かる。僕は彼女に62フランの借りがある。済まないが、彼女に告げてくれないか。僕はしばらくイタリアに滞在するが、残りの代金は、帰国までに送ると。
シュレザンジェは、歌曲集8冊のうち、7冊分の代金を僕に払った。1冊は、ある生徒のところで買って貰った。だから僕は、各5フラン、4冊分の売却代金を、貴君に負っていることになる。ということで、貴君の歌曲集の収支簿に、僕は貴君に20フランの借りがある、と付けておいてくれたまえ。でないと、このことが、僕の頭の中でこんがらかってしまうからね。ローマで給費をいくら受け取れるのか、僕はまだ分からないでいる。
さようなら、親愛なグネ君。オーギュストに、どうか宜しく伝えてくれたまえ。
貴君の誠実な友。(了)[書簡全集209]

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