手紙セレクション / Selected Letters / 1831年12月3日(27歳)

凡例:緑字は訳注  薄紫字は音源に関する注

ローマ発、1831年12月3日
フェルディナント・ヒラー宛

親愛なヒラー君

貴君は怠け者で、変わり者で、悪い奴「なのに」、僕に連絡もくれず、僕の手紙に返事も書かずにいて、どうして恥ずかしくないのか?(そう、確かに僕は「なのに」と書き、それを結ぶのを忘れた!)[Quoique vous soyez un paresseux, un drôle, un vilain, comment n’avez-vous pas honte de me laisser sans signe de vie de votre part, sans réponse à ma dernière lettre ? (Ma foi, j’ai oublié la conclusion de mon quoique ! )]

まあ、それはよいとして、僕は、ひと月前、ナポリから帰ってきた。この旅は、最終日を除き案内人も雇わず、僕のお気に入りの町、スビアコまで、山、森、岩場を越えて進む、徒歩の旅行だった。ナポリ、ヴェスヴィオ火山、ポンペイ、海、島々が僕にもたらした驚くべき感覚の洪水のことは、書けばあまりに長くなるから、すべてを会って話そう。たいへん有難いことに[Ce qui vaut beaucoup mieux,]、僕はパリに、おそらく貴君が思っているより早く、そして、館長が思っているよりは間違いなく早く、入れるだろう。

さあどうだ、これが成功というものだ!『悪魔のロベール』[この年11月21日、パリ・オペラ座で初演されたマイヤベーアのオペラ]が、素晴らしいことをやってのけた[Allons donc, voilà un succès ! Robert le Diable a fait merveilles.]。済まないが、マイヤベーアのところへ行き、僕の心からの祝意を伝えてくれないか。彼の優れた作品が収めた見事な成功をとても喜んでいることを、せめて伝えて欲しい。新聞や雑誌の記事を読み、僕は、眠れぬ夜を過ごした。身体中の血がたぎる。50万回のこんちくしょうめだ!パリでは『合唱付き交響曲』[ベートーヴェンの交響曲第9番]『オイリュアンテ』[ウェーバーのオペラ]、『ロベール』の公演が行われ、リヨンでは織工たちが人生を大いに謳歌しているというのに[pendant que les ouvriers de Lyon s’amusent comme des diables]、この生気のない反音楽の国に閉じ込められていなければならないとは!僕自身、リヨンに居合わせたかもしれないし、そのときは[蜂起に]加わっていたと思う[『ロベール』初演と同じ11月21日、絹工業の街リヨンで、賃金率引上げをめぐる資本家層との対立から織工らが蜂起し、市政を一時掌握するに至った]。だが、イギリス人はブリストルでもっと派手に楽しんだようだ。少なくとも彼らの企ての方が余程強い印象を与えた。気骨があるからね[この年10月、イギリスでは、選挙法改正案が上院で否決されたことから、選挙制度の改革を求める民衆運動が急速に盛り上がり、いくつかの都市で暴動に発展した。なかでもブリストルの暴動は規模が大きく、市長公舎、主教館等が焼き払われ、暴民と軍隊の衝突で多数の死者・負傷者が出た]。リヨンでは、女性への暴行も一切なかったに違いない。

人生を楽しむ番がやっと巡って来たというだけの、この気の毒な人たちに立ち向うことなど、できるものだろうか?そんなことをするのは、どうあれ、大いに間違っている[Seriez-vous capable de marcher contre ces pauvres diables, dont le tour de jouir de la vie vient seulement d’ar- river ? Ce serait bien mal à vous, de toutes manières.]。用件を話そう。音楽院のレティ氏に会いに行き、僕の作品の中から、カンタータ『オルフェウスの死』[1827年ローマ賞コンクール提出作品。全集CD7(1-5)の総譜を出してもらって欲しい。このことはもう彼には頼んであるのだが、それを持ってきてくれるはずだったプレヴォ[この年のローマ賞(作曲)受賞者]が当地に来なくてよくなったらしい。そこで貴君がその総譜を受け取り、『バッカナル』に続く最後のページにあるトレモロ伴奏付きのアダージョ(adagio con tremolandi)[同7(5)『音楽の絵画』]を便箋に書き写して封筒に入れ、優品で送ってくれないか。どうしても必要なのだ[ベルリオーズは、当時手がけていた、後に『レリオ』(全集CD2、3)と題される作品の第5曲に、『オルフェウス』の『音楽の絵画』をそのまま用いようとしていた。1831年7月3日フェラン宛の手紙(書簡全集234)参照]
さようなら!貴君の返事がなかなか来ないとき、僕はいつも、貴君の庇護を神に祈っている[SI vous me faites attendre une réponse, je vous voue à la Providence. 〜ベルリオーズには、日頃、ヒラーの前でことさら不信心な発言をするなどして、相手の反応を楽しんでいた節がみられるから、この言葉は、「すぐに返事をくれるのなら、僕は君のために、自分としては信じていない、神にさえ祈ろう」と、ユーモラスに伝えているもののように思われる]
貴君の誠実な友、H.ベルリオーズ(了)

(参照書籍)
『フランス史2』(『世界歴史大系』シリーズ)、柴田三千雄、樺山紘一、福井憲彦編、山川出版社、1996年
『イギリス史3』(『世界歴史大系』シリーズ)、村岡健次、木畑洋一編、山川出版社、1991年

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