手紙セレクション / Selected Letters / 1830年6月30日(26歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1830年6月30日
ナンシー・ベルリオーズ宛

優しい妹よ、
君の手紙はとても優しく愛情がこもっていたので、たとえどんなに辛い精神状態にあったとしても、僕は深く心を動かされていたに違いない。モーク夫人にも君の手紙を見せたい気持ちに抗えなくなって、僕はそうしたのだが、彼女も僕と同じように心を打たれ、このような素晴らしい妹に恵まれたことについて僕を祝福してくれた。カミーユも、はじめは熱心に手に取ったのだが、それから、「いいえ。今日は暗くて、私はもう先から悲しい考えに捉われてしまっているので、読めば泣いてしまうから」と言って、僕に返してきた。愛しいナンシー、何と言えばよいのだろうか、僕はいま、少しばかり意気阻喪している。名状しがたくうっとりした気分で過ごす日々があるかと思えば、彼女に再会しない限り心を去ることのない不安や暗い考えに包まれて過ごす日々もあるといった状態なのだ。彼女の微笑みは霧を晴らしてくれる太陽のようだけれども、彼女の大はしゃぎは僕を魅了しているのか、それとも苦しめているのか、よく分からない。彼女は未来に対する確信が僕よりも強い。だから僕はむしろ、彼女が隠そうともせずに言い放つ、軽い焼きもちの冗談を聴く方が好きなくらいだ。先日、彼女の母親と三人で、ドゥヴリアン夫人が崇高な( sublime )歌と演技を披露した最近の『フィデリオ』[ベートーヴェンのオペラ]の公演の話をしていたときのことだ。彼女は、極めて少数の芸術家しか値しないこの賞賛の言葉(épithète([ 形容詞 sublime のこと ])を僕がこのドイツの悲劇女優に用いた途端、少し怒った様子でそれを遮ってこう言った。「その女性のことをその言葉を使って話して欲しくありません。私が知っている誰か[quelqu’un ~男性形が用いられているから、ベルリオーズを指しているとみられる]以外の女(ひと)[ une autre ]を、崇高( sublime )だと思ったりすることは、ムッシュー、禁じます。」
彼女のことを書いて欲しいと君は言う。だが、僕は思うのだが、君も僕が彼女の人物描写をすることを望んでいる訳ではないはずだ。恋人同士がする互いの人物描写ほどばかばかしいものはないからね。それでも僕は君に、彼女がどんな人か、少しばかりイメージをもって欲しいと思う。彼女は、背の高さは僕とほとんど同じくらいで、ほっそりした優美な体つきをしている。美しい黒髪と二つの大きな碧(あお)い眼を持っているが、その眼は、あるときはきらきらと星のように輝いていると思うと、またあるときは死にゆく人のそれのように輝きを失ってしまうが、そうなるのは彼女が音楽上の霊感に支配されているときだ。陽気な気質の人で、基本的には優しい性格だが、それと対照的な辛辣、痛烈な一面もある。少し子供っぽく、君に輪をかけて怖がりだが、必要なときは断固とした態度を取ることもできる。小さなことについては移り気なところがあるが、母親がそれを欠点だと僕に指摘すると、彼女はそれを遮って、こう言い返していた。「そう、私は移り気よ。でも、それは絹のローブと同じで、変わるのはニュアンスだけ。色は変わっていないの。」ピアノを弾くときの彼女は、まさにコリンナ[古代ギリシャの女流詩人〜小学館ロベール仏和大辞典]だ。そこにはもはや、子供っぽさも陽気さもない。アダージョの長い楽節で、彼女はフレーズの最後まで呼吸を止めて弾く。血の気を失い、紅潮し、高揚し、静まり、そして止まる。作曲家の内奥の思考、あるいは、彼女自身のそれ[内奥の思考]に従っているのだ。それは、聴くのがほとんど苦痛なくらいで、まして演奏する姿を見るのは、まったくもって苦痛そのものだ。彼女の才能は奇跡的だが、彼女はそのことを僕に賞賛されるのを好まない。僕の彼女への愛にそのこと[音楽の才能]が何の役割も果たさないことを、彼女は望んでいるのだ。もちろん、僕が彼女に魅かれるのは、彼女[の音楽の才能]が僕に起こさせる賞賛のせいではないし、そのような天使に愛されることの誇らしさのせいでもない。ただ、僕はこのことで大いに自尊心をくすぐられはしているが。先週、僕はその証しを手にした。ドイツ劇場の監督がボックス席のチケットをくれたので、僕はそれを午前中に彼女たちに届け、夕方、2人を劇場に案内した。僕らが演し物が終わらないうちに退席すると、劇場にいた音楽家たち全員の視線が僕らに釘付けになった(というのも、彼女は僕と同じくらいよく知られているからだ)。廊下を通ったときには、通り過ぎる彼女を見ようと、いくつものボックス席の扉が開けられた。僕が皆に羨まれたかどうか、喜びをどんなふうに押し殺したかは、神様がご存じだ。ああ!僕は[状況さえ理解できていたなら]骨も砕けよと彼[ピクシス]を抱き締めてしまうところだった!・・・劇場を出ようとしたところで、有名なドイツ人の作曲家、ピアニストのピクシスに出会った。この人は、僕を一番熱心に支持してくれている人たちの1人だった[ Oh ! que je l’aurais brisée dans mes bras ! … au moment de sortir nous rencontrons Pixis, compositeur allemand et pianiste célèbre, qui est un de mes plus chauds partisans. ]。彼は2人のご婦人方をよく知っていた。二言三言フランス語で話した後、彼はモーク夫人とドイツ語で話し始めた。カミーユはドイツ語が分かるので後で教えてくれたのだが、話題はもっぱら僕らのことで、ピクシスはモーク夫人に、自分は僕[ベルリオーズ][カミーユに対する]気持ちに十分気付いているが、そのことについて彼女[モーク夫人]に話すことに躊躇は感じない、何故なら自分は彼女[同]はそれに反対すべきでないと思っているからだと話していたという。それから彼は僕を言葉の限り褒めちぎったのだが、僕はそれが一言も理解できなかったから、当惑もせずただ聴いているだけだった。僕のことをモーク夫人にこんな風に話した人が他にも大勢いたかどうかは知らないが、ここ数日彼女が僕に優しくなっているように感じる。そのことには僕だけでなくカミーユも気付いている。それでもモーク夫人が僕らの結婚をずっと先のことだと考えている点は一向に変わらない。学士院のコンクールはもう間近に迫っている。ああ、もし賞が取れなかったら!・・・まあ、そのことは考えないでおくとしよう。
さようなら。
(ビュイソン氏の本の、第何巻のことを、お父さんが言っているのか、分からずにいる)(了)[書簡全集167](2018/1,2023/11rev)

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