手紙セレクション / Selected Letters / 1829年5月10日(25歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1829年5月10日
母ベルリオーズ夫人宛

お母さんの親戚のひとりで、従兄弟レモンの義姉妹、ド・ロジェ夫人について、消息をお知らせします。この人は、しばらく前から当地に滞在していたのですが、シャンポリオン氏が僕の住所を知らせたことから、僕を訪ねて来て、僕と近づきになりたいとか、大叔母さんに僕の近況を知らせたいなど、たいそう熱心な申し入れがありました。
今日は、その答礼に夫人の家を訪ね、彼女のお嬢さんにお会いしました。6ピエ[1ピエは約32.48センチ]もある大柄な娘さんで、従兄弟レモンに、驚くほど似ています。自然と、僕らは、お母さん、お祖父さん、ナンシーといった、日頃手紙で消息をきいている人たちのことを、色々と話題にしました。僕は、チュイルリー宮殿まで、ご婦人方のお供をしたのですが、正直に言うと、通りで知り合いに出会うたびに、ひどくばつの悪い思いをしました。長身で恰幅の良いお嬢さんに腕を貸している僕の姿をみて、ほとんど誰もが、面白そうに笑うのです。それというのも、彼女は、僕より頭ひとつ半も背が高いからなのです。「擲弾兵さん、何と貴方は私を悲しませるの!」[ grenadier(擲弾兵)は、「男のような大女」のたとえにも用いられる。]という、あの歌を、思い出さずにいられませんでした。とはいえ、彼女は、たいへん感じのよい人です。ただ、僕は、ロッシーニの音楽は好きでないと彼女に率直に告げ、彼女の頭に血を上らせてしまいました。音楽という芸術の何たるかについて、自分たちは何も知らないのだということを、彼女たちに分からせようとして、僕は、これまであまりにも多くしてきたこの発言を、もう一度繰り返さずにいられなかったのです。
最近、ル・シュウール先生に関することで、とてもショッキングな出来事がありました。とても親切なこの先生は、残念ながら、音楽に関してはルイ14世の世紀に属しているということを、お母さんにご報告しなければなりません。先生は、それにもかからず、音楽院の一連の素晴らしい演奏会のひとつで、ご自身の作品の抜粋2曲が演奏されることを望んだのです。結果がどうなるか、聴く前から、僕には分かっていました。二つの曲は、ベートーヴェン、ウェーバーの作品との組み合わせで演奏され、散々な失敗に終わってしまったのです。けれども、先生は、この結果をまったく予期していませんでした。先生は、ご自身の祭典用オラトリオから抜粋したこの2曲を、自己の最良の作だと考えています。これらの音楽は、教会でしか演奏されたことがないのですが、そこは、聴衆が賛否を公然と表わすことができない場所です。そのため、先生は、自分の作品を聴いた人たちが、それについてどう思ったかを知らずにいました。聴き手が先生に感想を告げに来ることがないのですから。それが突然、お金を払って聴きに来た、教養の点においてオペラ劇場の観客をはるかに凌駕する聴き手に直面させられた上、ドイツ音楽の2人の巨匠と対比されたのですから、素朴な、あまりにも素朴な先生の組曲は、まさしく最悪の効果を上げることになってしまったのです。先生は、自分がどれほど失敗したのかすら、理解することができませんでした。さらに間の悪いことに、先生は、貴族授爵状により、国王から男爵の爵位を授与されたばかりだったのです。片や、先生と共同で王室礼拝堂の音楽監督を務めているケルビーニは、音楽院の同じ演奏会のシリーズで、素晴らしい成功を収めていました。ケルビーニの大規模作品からの抜粋は、シリーズで2回取り上げられ、ベートーヴェンの作品と、ほとんど同じくらい、拍手喝采を受けました。ところが、ケルビーニは、いまフランスで活動している、最も偉大な作曲家であることが明らかであるにもかかわらず、栄典授与の対象にはされませんでした。想像がつくと思いますが、この出来事は、音楽家たちのゴシップの格好の材料にされ、尾ひれがついて広まることでしょう[の意か。原文:Vous pouvez penser que de quolibets, tous les artistes font des gorges chaudes de cette aventure, et c’est à qui renchérira.]。先生のお嬢さん方は、このことでプライドをひどく傷つけられ、罪のないベートーヴェンに、さらには、試練に打ち勝ったケルビーニにはなおいっそう、一日中、怒りを爆発させています[原文:Ses filles en ont été piquées au vif, et se déchaînent à toute heure contre Beethoven qui n’en peut mais, et contre Cherubini qui n’en triomphe que davantage ;]。新聞や雑誌は、先生に十分配慮した記事を載せましたが、それが配慮であることは、誰の目にも明らかでした。流行の人、ロッシーニも、この一連の演奏会では、すっかり無視されました。彼は、このシリーズに関わるべきではなかったし、それが安全だったでしょう。取り上げられた作品は、ごくわずかでした[の意か。原文:il ne fallait pas s’y frotter, ou bien être un pot de fer ; et il y en a très peu.]。僕にできることは、世間で噂されていることを、できるだけ先生に知らせないようにすることだけです。先生は、声楽の演奏のしくじりのせいだと信じています。たしかにそれは、その日の先生の音楽にはひどく不釣り合いでしたし、わざとそうしたようにみえました。けれども、実際には、申し分のない演奏がなされたとしても、結果は同じだったでしょう。
大切なお母さん、お知らせしますが、僕は、近頃創刊された強力な定期刊行物の寄稿者になりました。宗教、政治、哲学、文学を扱う週間誌で、名称は、『ル・コレスポンダン』です。この雑誌の発行人から、2人の執筆者を介して、音楽について格調高い記事を書いて欲しいと依頼されたのです。その記事を、僕はもうすでに一本書いていて、それは先月、『宗教音楽に関する考察』という題で掲載されました。同誌の関係者は、僕の記事を大いに褒め、毎週手紙を書いてきて、僕が前に約束していて、彼らを長く待たせている、2本目の記事を書いて欲しいと言うのです。いままではとても忙しくて、その仕事をする時間が少しも見つからなかったのですが、来週はもう少し真剣にこの仕事に取り組むよう努力するつもりです。というのも、6月には、執筆料が支払われる予定だからです。
ベルリンの『ラ・ガゼット・ミュジカル』誌の社主からも、最近、在フランスの通信員になって欲しいと頼まれました。パリ音楽界での出来事をレポートする仕事で、僕の記事はドイツ語に訳され、半年ごとに印刷用紙1枚あたり25フランが支払われます。印刷用紙1枚には小さな段が16もありますから、何も支払われないも同然の仕事ですが、僕のことをプロイセンでいくらか知ってもらうためには、大いに役立つ可能性があります。
学士院のコンクール[ローマ賞選抜]が近づいてきています。7月の予定です。シャンポリオン氏に依頼して、ケルビーニに会ってもらうつもりです。この人は、ケルビーニと親しいので、ケルビーニが、今なお僕に遺恨をもっているのかとか、今年も僕に賞を与えることに反対するつもりなのかといったことについて、感触を取ってもらおうと思っているのです。僕は、学士院の音楽部会に、もう1人、支持者をもっています。ゴセックの後任として会員に選ばれた、オベールです。彼との関係は、たいへん良好です。とはいえ、僕は、彼が書いているようなジャンルの音楽は、心底、嫌いなのですが。それでも、この人は僕の幸運を大いに願っていてくれていますし、僕に対し、非常に好意的な意見をもってくれていることも、分かっています。
本当にもう、こんなつまらない茶番[ローマ賞選抜のこと]は、これで終わりにしたいものです。審査員のうち、最も懸念される数人の1人が、ベルトン[1767-1844。オペラ作曲家。当時、パリ音楽院作曲科教授。]です。くどくどと同じことばかり言うこの老人( ce vieux radoteur)は、僕がスポンティーニの音楽の熱烈な賞賛者であることが、許せないのです。「まあ、この男は、才能がなくもないがね。」と、彼は、スポンティーニについて、言いました。『ヴェスタの巫女』の作者に対し、「才能がなくもない」とは!・・・ああ、まったく。こんなレベルの人が何人もいるのなら、学士院は、もはや、シャラントンの施療院[有名な精神病患者収容施設]でしかないでしょう[原文:Oh vraiment, s’il y en avait quelques-uns de cette force, l’Institut ne serait plus que l’hospice de Charenton.]
当地には、僕がこの2誌に寄稿していることを知っている人は、誰もいません。そうでなければ、僕は、良いことであれ、悪いことであれ、思っていることの半分も書けないでしょう。『コレスポンダン』誌の2本目の記事が載ったら、前の号と一緒に送ります。これらの仕事でいくらかのお金を稼ぐことが、大いに必要です。というのも、今年の冬の演奏会のために準備している幾つかの作品のパート譜の筆写のために、僕の時間は、ほとんど全部費やされてしまっているからです。100フランばかりのお金があれば、しないで済ますことができる、こんなつまらない仕事のために、数か月もの時間を無駄にすることほど、やりきれないことはありません。英語のレッスンも中断を余儀なくされ、いつ再開できるかも分からない有様です。レッスンを受ける時間が、まったく取れないのです。
さようなら、大切なお母さん。このような書き殴りになってしまったことを許してください。どうしてこんなに血がたぎるのか分かりませんが、きちんと文字を書くことにも苦労しています。思いどおり速く書くことが出来ないのです。とはいえ、それは、早く書き終えてしまいたいからではなく、とても長い手紙を書いているからなのです。
愛情を込めてお母さんを抱擁します。愛する息子より。

H.ベルリオーズ(了)[書簡全集124]

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