手紙セレクション / Selected Letters / 1828年5月16日(推定)(24歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1828年5月[推定16日]
ルヴュ・ミュジカル誌編集長宛

編集長殿、
ご親切に頼り、私にかけられたいくつもの重大な嫌疑に関し、自らの潔白の証しを立てるため、貴誌のご助力をお願いすることを、どうかお許しください。
自分の作品だけで構成された音楽会を、私が開こうとしているとの風評が、音楽界に広まっており、私に対する非難の声が、早くも上がり始めています。慢心、無謀といった批判を、私は受けています。およそあり得ない野望を、私は抱いているとされています。
これらすべてに対し、次のように私は応えるでしょう。私はただ、当地のオペラ劇場の台本作家や監督といった人たちの間に、できれば自らへの信頼を醸成すべく、名前を知ってもらうことを望んでいるだけだと。一人の若者が、このような望みをもつことは、咎(とが)むべきことでしょうか?私には、そうは思えません。そして、このような意図に非難すべき点が一切ないのであれば、それを実現するために、私が採ろうとしている手段に、どのような非難すべき点があり得るでしょうか?
専らモーツァルトとベートーヴェンの作品で構成された演奏会が開催されたからといって、そのことから、私が同じことをすることについて、人が私にあると思っているような、ばかげた思い上がりが、私にあるということが、導かれるものでしょうか?・・・繰り返しますが、このように行動することで、私はただ、ドラマティックな音楽の分野で、自分がしている試みを知ってもらうため、最も実行し易い方法に訴えようとしているだけなのです。
演奏会を開いて自己を聴衆の前に晒(さら)すことが、無謀ではないかという点については、それはむしろまったく自然な成り行きであって、私としては、次のとおり弁明するものです。4年間、私は、扉という扉を叩いてきましたが、開かれたものは、未だ一つとして、ないのです。私は、オペラの台本を一つも獲得していないし、託された台本を上演することも、できないでいます。
自分の作品を演奏してもらおうと、私は、八方手を尽くしましたが、いずれも甲斐なく終わりました。残る手立てはただ一つとなり、私は、それを選ぶことにしたのです。それゆえ、私としては、まさにウェルギリウスの次の詩行を、スローガンに掲げてよい状況だと、確信しているのです。

Una salus victis nullam sperare salutem
救われぬものと知ることのみが救いなり、国破られし我らには

[『アエネーイス』2巻354行。ラテン語。炎上するトロイアで敵中を正面突破すべく、戦士らを鼓舞してトロイア方の英雄エネアスが語った言葉。上記訳は、書簡全集仏訳、ペンギン英訳を参考に作成。参考:京都大学学術出版会2001年、岡道夫・高橋宏幸訳「敗れた者が救われる道はただ一つ、いかなる救いも望まぬことだ」]

敬具(了)

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