手紙セレクション / Selected Letters / 1828年5月16日(推定)-2(24歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1828年5月[推定16日]
ベルリオーズ医師宛

大切なお父さん、
僕は今、正念場に立っています。僕の演奏会の日が迫っているのです。数えきれないくらい多くの障害を、次々と克服してきた結果、僕は、逆境を見事に切り抜けることができるだろうと思っています。
ド・ラ・ロシュフーコーさんが、王立音楽学校の大ホールを、僕に使えるようにしてくれました。パリで一番使いやすく、条件の良いホールです。その上、一番安上がりなのです。僕に使用許可を出さないよう、学長が彼にちょっとした働きかけをしたのですが、幸いにも、すぐにそれが分かったので、僕からもド・ラ・ロシュフーコー氏に手紙を書いたところ、氏は即座に、会場を僕に使わせるよう指示する文書を出してくれました。
この交渉では、イゼール県選出の代議士のシュナヴァさんと、ド・ラ・ロシュフーコー氏の親戚のド・シャブリアン伯爵が、僕を大いに支援してくれました。ド・ラ・ロシュフーコー氏が僕の後ろ楯になってくれていることが分かった今は、学長もたいへん愛想が良くなり、今朝は、声楽科の学生を全員使ってよいとまで、申し出てくれました。今朝、救貧税の徴税官吏と交渉しました。彼らは公開演奏会の売上の4分の1を徴収するのです。担当官は、オペラ座のコーラスの雇い上げが不可欠であること、それに費用が掛かることを考慮に入れ、演奏会の前日に150フランを納付すれば、売上金からは徴収しないと言っています。この支払いについて、お父さんに支援していただけるようであれば、ぜひ、お願いしたいのです。僕の経済は、とても逼迫しているので、5月24日土曜日に納付金を払うことは、それまでにお金を送っていただかないと、まったく不可能です。何度もこんなお願いをして、恥ずかしい限りですが、どうにもならない状況です。
急いでこの手紙を投函しないと、集配に間に合いません。その上、今日も、終日、奔走しなければなりません。
さようなら、大切なお父さん。2週間後には、よい報せをお届けできると思います。
お母さん、妹たち、弟を抱擁します。
お父さんを敬愛する息子、

H・ベルリオーズ

僕の演奏会は、5月25日日曜日、聖霊降臨節の日に開催されます。(了)

訳注/医師は、240フランを息子に送った(ケアンズ1部16章)。

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