手紙セレクション / Selected Letters / 1827年7月28日(23歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1827年7月28日
ナンシー・ベルリオーズ宛

愛しい妹よ、君の手紙とそれに同封されていた短信を受け取ったことを知らせるため、急いでこれを書いている。それらが届いたのは、あと1時間半で[ローマ賞選抜の答案作成のため]学士院に入るというときだったから、ちょうどよいタイミングだった。
一昨日、[ローマ賞の]予備選抜があった。本選参加者を選ぶための試験だ。何の役にも立たないのに、解くのだけはひどく難しい、厳格なスタイルのフーガが出題される。受験者はわずか4人で、そのうち、フーガの主目的である、「応答(la réponse)」と呼ばれるものを、ちゃんと書くことが出来たのは、僕だけだった。去年2等賞を取り、今年は1等賞を得ることになっているもう一人は、それが理由でやはり正しい応答を書き損じたが、作品に他の美点をちりばめることで、その欠陥を、いわば、カバーした。彼は、ともかくも、合格することができた。だから、規則上は、二人だけが、予選を通過できたはずなのだ。ところが、実際には、4人が通過した。他の二人はベルトンの教え子だが、ケルビーニとル・シュウールが強く反対したのに、通ってしまった。
学士院の判定がどんなものか、君もこれで分かるだろう。僕もそんなものだと諦めている。僕は2等賞を取るだろうと言われている。もしそうなら受け取るつもりだが、あとの二人を打ち負かしたからといって、少しも名誉なことはない。彼らは、劇的な音楽とはどのようなものかさえ、まるで分かっていないのだから。
アルフォンスは、もうすぐ3次試験に合格するだろう。彼は、今年の帰省をあきらめ、僕らがラ・コートに一緒に旅行できる最初の機会まで伸ばすことにしている。
それでは、僕が牢屋[答案作成のため入室を義務付けられる小部屋のこと]を出られるまで、可愛い妹よ、さようなら。
君の兄、

H.B.

追伸
学士院の広い中庭に、毎日夕刻、応接サロンが設けられ、6時から9時までの間は、訪ねて来てくれた友人や知り合いと面会できる。試験の内容に関わる物件が外から持ち込まれないよう、監視役が1人、立ち会いをする。(了)

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