手紙セレクション / Selected Letters / 1827年11月29日 (23歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1827年11月29日
アンベール・フェラン宛

親愛なるフェラン君、
貴君は、説明のつかない沈黙を、僕にも、ベルリオーズ[リヨン出身の友人]にも、グネにも、続けている。貴君が2度目の病気に罹ったことは、何人かの人たちが僕らに知らせてくれたので、僕も知っている。だが、貴君は、僕らに貴君の回復を知らせるのに、兄弟のペンに頼ることだって、できるはずではないか?なぜそのように僕らを心配したままにしておくのか?僕らは長い間、貴君がスイスに行ったと思っていた。だが、僕はいつも言っていたのだが、そうだったとしても、僕らに手紙をよこさない理由がまったく見当たらない。スイスにだって、郵便はあるのだから。だから僕は、貴君の沈黙は、失念というより、不精と混ざり合った呑気(のんき)のせいに違いないと思っている。貴君は生来、そうした素養を大いに備えているからね。それでも僕は、貴君が僕に返事を書いてくれることができるだけの活力を取り戻してくれることを願っている。
僕の『ミサ曲』は、聖セシリアの祝日に演奏され、初演のときの倍の成功を収めた。作品は、僕が加えた微修正で、目に見えて改善した。特に、この『エト・イテルム・ヴェントゥルス』の楽章(譜例〜略)は、初演のときには失敗もあったが、今回は、トランペット6本、ホルン4本、トロンボーン3本、オフィクレイド2本により、効果てきめんのやり方で演奏された。これに続くコーラスは、僕は、金管の雷鳴を中に入れ、全ての声部をオクターブで歌わせたのだが、聴衆全体にとりわけ強烈な印象を与えた。僕としては、そこまでは、冷静さをかなりよく保っていた。動揺しないことが重要だった。僕はオーケストラを指揮していた。だが、この最後の審判の情景、6人のバス・ターユ歌手たちがユニゾンで歌う審判のはじまりの告知、途方もないトランペットの大音響(クランゴル・トゥバルム)、コーラスで表される、人々の恐怖の叫び、これらすべてが、ついに僕の構想どおり厳密に実行されるのを目の当たりにしたときには、激しい痙攣性の震えに襲われてしまった。僕はそれをなんとか楽章の終わりまではコントロールすることができたが、その後は、演奏を少し中断し、座って震えが引くのを待たなければならなかった。ああ、貴君がその場にいてくれたら!僕は、素晴らしいオーケストラを手にしていた。声をかけた45人のヴァイオリン奏者のうち、32人が参加した。ヴィオラは8人、チェロは10人、コントラバスは11人だ。コーラスは、残念ながら、特にサン・テュスタシュ教会のような大きな施設で演奏するには、人数が足りなかった。『コルセール』と『パンドール』は、賞讃してくれたが、詳しい記事ではなく、よくある当たり障りのない万人向けの内容だった。いまは、聴きに来ると約束していたカルティル・ブラーズの評価と、『オプセルヴァトゥール』のフェティスの記事を待っているところだ。招待したプレス関係者は、これで全部だ。あとはみな、政治に忙殺されていたからね。
演奏を聴いてもらうには、たいそう時期が悪かった。招待した人たちのなかには、ルフランのお嬢さん方[恩師ル・シュウールの令嬢]をはじめ、数日前サン・ドニ地区で起きた恐ろしい暴動のせいで、来なかった人が大勢いた。いずれにせよ、僕は、期待していた以上の成功を収めた。実際、僕は、オデオン座、ブフ劇場(le Bouffes)、音楽院、ジムナーズ劇場に、支持者を持っている。僕は、至る所から、祝福の言葉をかけられた。演奏当日の晩には、名も知らぬ人から、たいそう感じの良いことがいろいろ書かれた、賞賛の手紙を受け取った。僕は、学士院の全会員に招待状を送ったが、彼らが演奏不能と判定した作品が実際に演奏されるところを、彼らに聴かせることができて、大いに満足した。というのも、僕のミサ曲は、ローマ賞選抜で作った僕のカンタータより、30倍は難しいからだ。貴君も知るとおり、あの課題曲は、リフォー氏がピアノで演奏できなかったという理由で、ベルトン氏があたふたとオーケストラでも演奏不能だと判定し、僕は、作品を取り下げさせられてしまったのだ。
この年寄りで無感動な古典主義者(少なくとも今は)の目には、僕の大罪は、何か新しいことをしようとすることなのだ。
「なあ君、君の考えは、幻想だよ。」ひと月前、彼は僕に言った。
「音楽に、新しいものなんて、ありはしないんだ。君が従うことを嫌う、ある種の音楽上のしきたり(フォルム)は、巨匠たちだって、受け入れてきたんだ。何だって巨匠たちがしてきたことを改良しようとしたりするんだ?おまけに、君がたいそう入れあげているあの男、スポンティーニは、・・・まあ、たしかに才能がなくはないがね。・・・いや、天賦の才があるといってもいい。」
「そうなんです、先生!僕は、あの人は、とても素晴らしいと思います。僕のこの考えは、変わることはありません。」
「だが、君、はっきり言うが、本当の目利きの人たちの間では、スポンティーニの評価は、・・・そんなに高くはないんだよ。」
お察しのとおり、僕はここで、彼を見限った。ああ、年寄りの痛風もちめ、もし、これが僕の罪だと言うのなら、確かに僕は大罪人だ!なぜなら、僕のスポンティーニに対する賞賛以上に、深く、理由のある賞賛は、なかったからだ。この賞賛の深さ、正しさには、何ものも、匹敵し得ない。このアカデミー会員のつまらぬジェラシーが、僕の心に引き起こした軽蔑の深さ、正しさは別にして。
僕は、身を落として、もう一度ローマ賞選抜に参加しなければならないのか?・・・そうしなければならない。父がそれを望んでいる。父は、この賞が非常に重要だと思っているのだ。それが理由で、僕は、次も参加するだろう。そして、彼らのために、ピアノで弾いても最大級のオーケストラで演奏しても効果が変わらないような、2部か3部のつまらないブルジョア向けのオーケストラ曲を書くだろう。冗漫な装飾を大盤振る舞いするだろう。何しろ、それが「巨匠たちも従ってきたしきたり」であり、「巨匠たちのしてきたことを改良してはならない」というのだから。そうしておいて、もし受賞したら、誓って言うが、僕は、授与されたとたん、先生方の目の前で、自分の作品を引き裂いてやるつもりだ。
フェラン君、僕はここまで熱っぽく語ってきた。だが、貴君には、それが僕にとってどんなに小さな意味しかないか、分からないと思う。僕は、3か月の間、何ものも紛わすことができない悲しみの餌食になっていて、人生への嫌悪感でいっぱいになってしまっている。今しがた手にした成功すら、ほんの一瞬しか僕にのしかかる悲しみの重圧を取り払ってはくれず、それは今、前よりいっそう重くなって舞い戻ってきている。この謎の答えを、今ここで貴君に明かすことはできない。あまりに長くなってしまうだろうし、そもそも、僕は、貴君にこのことを話すに足るだけの文字を書くことはできそうもない。貴君と再会したときに、すべてを話します。デンマーク王の亡霊が、息子のハムレットに告げた次の言葉で、手紙を結びます。

Ferwel ferwel remember my
[ハムレット1幕5場。父王の亡霊がハムレットにかける言葉。「さらば、さらば、忘れるまいぞ」。原文:Adieu, adieu, Hamlet, remember me.]

H.ベルリオーズ

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