手紙セレクション / Selected Letters / 1827年1月20日(23歳)

凡例:緑字は訳注

パリ発、1827年1月20日
ナンシー・ベルリオーズ宛

可愛い妹よ、
お母さんから最近きいた家の様子からすると、君はたいそう悲しい毎日を過ごしているに違いない。この手紙があまり君を楽しませる気晴らしにならなくて残念だが、僕は、どのように振る舞まっても、ほとんど必ず君たち、特にお母さんの心に、様々な好意的でない考えを生じさせてしまうようだ。
僕がしばらく手紙を書かないでいると、それは僕の君たちに対する心底からの無関心のせいだと言われるし、書けば書いたで、お金の無心のためだとか、誰かにそうするよう耳打ちされたからだと言われる。こんな際限のない非難の繰り返しほど、僕をがっかりさせるものはない。なかでも、お母さんは、僕がお父さんからの手紙を受け取ったことを連絡してこない、といって僕を非難している。まずは手紙に書いてある仕事に取り掛かり、お父さんが僕に注文した本を発送すれば、それがいつものとおりの受け取りの連絡になるはずだと思うのだが。僕がちょっとした病気に罹ったとき、アルフォンスを主治医に加えなかったことも、お母さんは怒っている。けれども、アルフォンスはそのとき、オテル・デュー[パリの大きな総合病院]の勤めのほかに、さらに実入りの良い新しい仕事をいくつももっていた。彼はまず、日に2回、かなりの数の学生が参加する解剖学の講座を担当していた。その上、彼には、ブレシェさんが見つけてくれた何人もの患者がパリに居て、そのうちの1人は、特に注意して診る必要があった。これらの仕事は、アルフォンスに大きな収入をもたらしていた。第3に、僕自身は、彼に診てもらうまでもなかった。となれば、これほど有効に使われている彼の時間を、どうして僕が無駄にさせる必要があっただろうか?・・・
だが、この話はここまでにしよう。マルクが彼のお母さんからきいたところでは、お母さんもすっかり平静を取り戻し、家の皆もまずまず元気にしているに違いないようだからね。さて、僕が最近どうしているかについてのお父さんの問いに答えよう。それはこんな具合だ。朝7時からとても忙しく、夕方になってやっと一息つける程度だ。オデオン座が新作オペラの上演許可を得られそうになっていて、僕はその初興業の機会を捉え、いの一番に作品を提出する準備をしている。僕のオペラ[『秘密裁判官』( Les Francs-Juges )]は、2か月前に出来上がっていて、いまはオーディションの機会が来たら聴いてもらおうと思っている部分のパート譜を作っている。これには大変手間がかかり、これとハーモニーの生徒へのレッスンとで、一日が埋まってしまう。僕は目覚まし時計を買い、毎朝7時、ときには6時に起きている。この日課に慣れるのは大変で、ものすごい時計の音でもしなければ、ランプの明りで作業するためにベッドから出ることなど、とてもできない。こういうことは、本当は書きたくない。自分が克服しなければならない困難がどんなものかはよく知っているし、次のような小言も、聞きたくないからだ。「ほらほら、そんなに無理すると体を壊してしまうよ、苦労したって何にもなりはしない、どうせできっこないんだから等々。」だが、僕は、同時に、これは第一歩を踏み出すことの困難だということ、そして、この困難が、どんな職業につく若者も必ず経験するもので、少なくとも山の麓に留まっていることを潔しとしない者の前には、いつの時代にも存在してきたものだということも、分かっている。
アンドラの第4巻と、『良き造園家』は、数日前にはお父さんに届いたはずです。気の毒なクルイユボワは、つい最近、奥さんを亡くしました。
愛しい妹よ、さようなら。僕に手紙をくれるときは、少しばかり叱責の調子を薄めるようにしてくれたまえ。
君を抱擁します。(了)

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